第8話 千里眼
エクスの案内のもと、応接室へ向かう。しっかりと気を引き締めていないと溜息が出てしまいそうになる。いきなり暗殺してくるとは思わないが、可能性は無きにしも非ずなので気を引き締めて向かう。腐っても相手は公爵家の遣い、やり手の可能性が十分に高い。
「コンコン」
「失礼いたします。パピスビル公爵家、スミュール・フォン・パピスビルが代理、ハッサンと申します。本日はいきなりの訪問にもかかわらず、歓待していただき感動の念が堪えません。」
何も持て成されていないのを暗に指摘するかのようなセリフが神経を逆なでしてくる。そもそも代理の分際で己の時間を消費してくるのが腹立たしい。
(こいつ喧嘩売ってんのか? ここで始末してもいいんだぞ? …しないけど。)
「これはご丁寧にありがとうございます。私の名はエルグランド・フォン・ハーブルルクスと言います。して早速ですが、本題に入りましょう。今日はどのような件で参られたのでしょうか?」
普通はいろいろと世間話をして、相手を牽制したり相手の知らない情報を出したりして主導権を握るのだが、エルは直球で勝負した。その裏にはまだ自分は成人しておらず、セーフだろうという打算と早く会話を終えたいという素直な欲望が存在した。
案の定相手は良い顔ををせず、見下したような顔つきになる。
(まぁ、お互い様だろう。そもそも競い合っている家の者が話せばこうなる。というか手土産もない時点でもてなす意味もねぇんだわ。)
「…ふむ、もうすこし話したいのですが、エルグランド様がそう仰るならば仕方ありません。本題というのはハーブルルクス家が慣習を破ってることについてです。」
(慣習? 何かあったっけ。一応重要なしきたりとかは抑えているけど、全部覚えているかって言われたらノーだからなぁ。)
「ほう、具体的にお教え願いますか?」
エルの返しに少しむっとした顔をするハッサン。これが気にいらないというポーズなのか、本当にそう思っているのか分からないほど真に迫った表情だった。
「ハーブルルクス家が我がパピスビル家の管轄する服飾業界に進出してきてることですよ。すでに南の方ではハーブルルクス家が寡占状態ではありませんか。」
思わぬ返答に嗤いそうになる。己の無能さを他者のせいにしているのだ。これを嗤わずして何を嗤えと言うのか。
ずっと盤石だったからこれからも大丈夫、どうせそんな風に思っていたのだろう。彼らの考えることなんて手に取るようにわかる。
だからこそ――
「それのどこが慣習を破っていることになるのでしょうか?」
あっけらかんと返答する。
まさかそんな返事が返ってくるとは思ってもみなかったのか、ハッサンは大きく目を見開く。
「破っていますとも。相手の管轄の業界には手を出さないのが鉄則でしょう!」
「はて、なにぶん若輩者でありまして、まだそういう細かいルールには疎いのです。申し訳ございません。」
「何がっ!…いえ、エルグランド様。あなたもハーブルルクス家の一員です。ハーブルルクス家の暴走を止められるのはあなたしかいません。ぜひ、御父上を説得していただきたい。」
ハッサンは白々しいエルの態度に思わず激高してしまいそうになるが、慌てて怒りを鎮める。
「それはできません。私は父に期待されてませんからね、私の忠告なんて聞き入れませんよ。」
そう、自分は父に駒としてしか見られていない。そんなことは重々承知しているが、だから何だという話だ。自分も父を駒に見ればいいだけ。この場においては父という駒の味方をすることが己の利益にもなる。
(…ここまであの男が読んでる可能性があるっていうのが一番ムカつく話だがな。)
「…それはパピスビル家と敵対するという宣戦布告でよろしいですか?」
またまた頓珍漢な返答に嗤いそうになる。宣戦布告も何も、すでに戦っているし、父は相手が潰れるまでとことんやり合うだろう。あれはそういう男だ。もしどこかで妥協できると構えているならば悠長にすぎる。もっとも隠し玉があるなら別だが、この様子を見るにあったとしても勝負をひっくり返すには全然足らないように思える。
「そちらがそう仰るならそういうことになるかもしれません。」
「後悔なさいますぞ。」
そのセリフに一番嗤い転げそうになる。
「人生なんて後悔しかないだろ。」
深い闇を湛えた瞳に思わず吸い込まれそうになる。先ほどは確か海の色だったはず。だが今は灰色となっており、背筋が正されるような凍える心地がする。
「…もう退室させてもらいます!」
「ええ、ご自由に。お気をつけて。」
誰も来てほしいなんて言ってないのに、わざわざ来てやった感が腹立たしい。だから最後に毒をちりばめた。もちろん何もする気はないが。
しかし効果は覿面だった。ハッサンは顔を青白くして去ってゆく。
「エルグランド様、処理いたしますか?」
「しなくていい。あいつをやっても意味ないしな。」
そこでエクスは目を伏せる。なかなか気が進まないが、主にやれと言われたらやるのが騎士だ。
「…エルグランド様、ご当主様からの伝言です。」
「伝言?」
「お前は甘いな、だそうです。」
「は?」
心底低い声が出る。どういうことだ? …まさかあの男はここまで読んでいたのか? そうだとするならば許しがたい。少し、世界が赤に染まる。まさか色づくとは思っていなかったが、望んだ色ではなかった。でもほんのかすかに嬉しさも感じる。自分はまだ本当の意味で全部を失ってなかった。
「あらかじめ伝えられていたのか?」
「はい…。」
「なるほどなァ。」
「申し訳ございません。」
「お前は何も悪くない。悪いのはあの男だ。ここまで見通しておきながら俺に処理させたのが凄い腹立つ。」
(糞が! どうやったらここまで読める? 化け物か、あの野郎。)
エルは確かに怒りを覚えたが、時が経つにつれてあの男の恐ろしさに戦慄する。少しパピスバル家に同情してしまう。こんな怪物と戦わないといけないとは。もしかしたらあの代理も恐怖でおかしくなっていたのかもしれない。それならあの態度も納得できる。
(俺も灰色の世界に入ればできるのかもしれないが、あの男は素面でこの精度。…負けないようにはできるかもしれないが、勝てる気がしない。)
エルは初めて敗北感を覚えていた。正直、自分に勝てる者など存在しないと高をくくっていた面があった。仙人になれば誰も並ぶことのない頂点。あの水色の仙人にだって負ける気はしなかった。だが、自分を負かすことができる人間は意外と近くにいたのだ。
「…とりあえず風呂にしよう。もう疲れた。」
「ハッ、すぐに用意いたします。」
今日は最後に濃度が圧縮された一日だった。だがまぁ、あの男の恐ろしさを再確認できただけでいいだろう。警戒するに値する潜在的敵性人物だと判明したのだから。
(誰かの思惑に乗せられるなんて、二度とごめんだ。)
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