アンハッピーサルヴァーション

真幻 緋蓮

第1話 ドン底の朝模様

 あなたの不幸、救われますか?




 第一章


 ——今日の運勢が十二位と最悪だった。

 ——路上に落ちている犬の糞を踏んでしまった。

 ——準備していた道具が急に無くなってしまった。

 ——出かけようとすると高確率で雨が降ってくる。

 ——ある事件の濡れ衣を着せられた。

 など、誰しもが不運・不幸だと思うことは多々あるだろう。

 不幸体質だとよく周りから言われる。自分から好きで不幸体質になった訳じゃないのに「運が悪くて大変だね」と同情される。同情するくらいなら不幸な出来事から少しばかり協力してくれてもいいんじゃないかと常々思う。

「…………」

 アスファルトと僕の靴の音がカッカッと鳴る。明け方まで降っていた雨がアスファルトに染みこんでいた。

 通っている公立高校へ登校する道すがら、僕——幸河樹生こうかわいつきは肩に掛けているショルダーバッグを掛け直した。中身は変哲も無い教科書とノート、筆記用具に弁当とこれといった特殊なものは入っていない。

 目の前の歩行者信号が赤になる。点字ブロックの上で立ち止まり、行き交う車の群れを眺めた。すぐ近くにあった歩道橋は昨日から修繕工事に入っているため、下道の横断歩道を使うしか無い。

 僕の住んでいる六咲市ろくさきしは田舎の都会というような感じである。車通りは大都市より激しくは無いが、それなりに走ってはいるし、道路もそれなりに舗装はされていて、街路樹も設けられている。六咲市付近の住民はこの市を生活の拠点としており、小規模のデパート、本屋、病院、学校等、重要な施設は一通り揃っている。

 六咲市に十六年間住んでいるが、不便に感じたことはそんなに無い。人気商品ほど早く売り切れてしまい、入荷に時間がかかることが今まで暮らしてきた中で不便だと思ったことだろうか。目の前で「売り切れましたー」と言われたことは数知れない。

 カッコー、カッコー……。

 信号が変わり、目の前の歩行者信号が赤から青に変わる。

 僕は信号が変わった横断歩道を渡ろうと五歩くらい踏み出した時——

 キイィィィッ!!

「うわわっ」

 と耳を劈くようなブレーキ音にハッとして、横断歩道に尻もちをついてへたり込んだ。腰を抜かしてしまったようで、起き上がる力が湧かない。

 一体何なんだと思い顔を上げると、右折してきた軽トラックの助手席の窓が開いて、中から四十代か五十代ほどの男性が怒りの形相で僕を睨みつけていた。軽トラックの荷物が木材だったことから、建設現場関係の人なのだろう。

「危ねぇじゃねぇか! ちゃんと信号見やがれ! 殺されてぇのか!」

 それだけ言うと、唾を僕の足下に吐き捨て、助手席の窓を閉めた。

 僕は腰を抜かした体をどうにか歩道まで後退させると、軽トラックは不機嫌そうに排気ガスを撒き散らしてその場から去って行った。

 「信号見るのはどっちだよ」と小さく愚痴りながら、軽トラックを睨む。

 僕は近くの歩行者信号のポールを掴んで体を立ち上がらせた。

 アスファルトに染みこんでいた雨水がパンツまで濡らしてしまい、ぐっしょりしていて気持ち悪い。掌を見てみると、尻もちをついた時に付いた擦り傷が出来ていた。若干であるが血が滲んでいる。

 掌をパンパンと払って手についた砂埃を落とし、信号が変わる前に横断歩道を渡る。

「教室入る前に保健室……かな」

 掌の傷を見て、最初の行き先を変更する。

 横断歩道を渡って少し歩いていると、前に小学生の集団が見えた。綺麗に一列に並んで登校しており、赤や黒のランドセルが眩しいくらいに懐かしく感じる。ランドセルには傘が刺さっており、今日の夕方から降るかもしれない雨に備えていた。

 小学生の集団の最後尾に二名の母親が歩いており、仲睦まじく世間話を広げていた。

 歩くスピードは小学生と高校生の僕の足とではやはり違いが大きい。まるで早歩きをしているかのように、小学生の集団の横を通り過ぎていく。

「なぁ見たか? きのうのジュレンジャー!」

「見た見た! すげーかっこよかったよな!」

 集団の真ん中にいる一年生か二年生くらいの男の子たちが、昨日のゴールデンタイムに放送されていた戦隊ものの話題で盛り上がっているようだ。

 ランドセルに刺さっていた傘を抜き取って、剣みたいな構えをする。

「あれだろ? さいごのほうでレッドジュレンジャーがやってた——」

「それ!」

「もえろせいぎのやり! バーニングスピアー!!」

 ガッ!

「おわっ!」

 男の子がその戦隊の必殺技みたいなものを傘で繰り出した時、ちょうどその傘が僕の足に引っかかってしまい、僕の体が大きく前から倒れる。ビターンと地面に倒れてしまい、視界に一瞬だけノイズが走ったかのような黒い斑点がちらつく。

「いっつつ……」

「だ、大丈夫ですか!?」

 世間話に夢中だった母親二人が、僕が転んだことに気付き、慌てて僕を介抱する。

「ま、まぁ……大丈夫です……いっつっ!」

 起き上がって立ち上がろうとすると、膝がヤケに痛い。ズボンを捲って見てみると左膝に大きな擦り傷が出来ており、血がじわじわと出ていた。

「ああっ、血が……」

「大丈夫です。これくらいはいつものことですから」

「でも……東高ひがしこうまではまだ少し遠いですよ?」

「いいですって。お気になさらず」

「そ、そうですか……」

 僕は痛む膝を我慢しながら立ち上がる。膝の痛みの主張が激しかったが、歩く分には支障ない。

「ほらアンタたち。ごめんなさいは?」

「「ご、ごめんなさぁい……」」

「どうか許してやって下さい。お願いします」

 もう一人の母親が男の子たちに謝罪をさせ、自分も申し訳無いと頭を下げる。

「い、いえ……そんなに気にしないで下さい。僕は先を急ぎますので」

 僕は男の子たちと母親二人に作り笑顔を向け、大丈夫だと思わせてから道を急いだ。左膝の痛みで不安がらせない歩き方が出来ているかどうか分からなかったが、そんなことに気を止めている暇は無かった。

 学校に近づくにつれて制服姿の生徒の数が多くなっていく。自転車に乗った生徒に曲がり角でぶつかりそうになったが、軽トラックみたいな暴言を吐かれることが無かったため、まだ気は楽である。

 やがて大きな桜の木々に囲まれた塀が見えてきた。桜はとうの昔に散ってしまい、今は青々とした葉が木を彩っている。

「おっはよー!」

「おっはー!」

 と周りの生徒が友達に向かって挨拶を交わしていた。挨拶が交わされている間を抜け、校門を潜る。

 僕の通っている六咲東高等学校ろくさきひがしこうとうがっこう——略称は東高——は名前通り六咲市の東側に位置する公立高校である。家から近いという理由でこの学校に行くと決めただけなのだが、学校施設も他の公立高校と比べて充実している方であり、偏差値も普通の公立高校と比べたらやや低い。普通科と商業科の二つの科があり、僕が所属しているのは普通科だ。

 ただ学校に登校するだけなのに軽トラックに轢かれそうになり、パンツが濡れたり、傘に躓いて転んだり、自転車と接触しそうになり、挙げ句の果てには怪我をしたりと不幸な出来事が立て続けに起こっている。そんな連続する不幸な出来事も、今の僕にとっては生活の一部になっている。いつ黄泉の国に行ってもおかしくはない。

「まずは……保健室」

 西側にある二年生の昇降口から上靴に履き替え、東側に位置する保健室へ先に向かう。

 東高は教室や職員室がある本校舎、特別教室や文化系部室がある別校舎、二階建ての体育館、創立記念で建てられた記念館などがある。北側に体育館と記念館が存在し、南側にいくにつれて本校舎、別校舎となる。僕が潜った校門は西側にあり、東側は運動場と運動系部室がある。

 さらに本校舎は「H」のような個性的な形をしている。二階から四階までは全て生徒の教室で、西側の教室は商業科、東側の教室は普通科の生徒の教室だ。四階は一年生、三階は二年生、二階は三年生の教室と階が減るごとに学年が上がっていくという不思議な構図である。一階は職員室や校長室、事務室が存在する。

 僕たちの昇降口が西側で、保健室が東側にあるということは、本校舎の真ん中を突っ切る必要があるのだ。

 本校舎を突っ切り、真っ直ぐ保健室の扉をガララと開ける。

「失礼します」

「その声は……樹生君?」

 白衣を着た女性の養護教諭——橋里はしざと先生は校務用パソコンをパタンと閉じて、入ってきた僕を見ていた。整えられた黒髪は毎日手入れを徹底しているように艶やかで、いい匂いが漂っている。僕を一瞥するや否や「はぁ……」と溜め息を吐いた。その溜め息には「またか」という意味が含まれているように感じた。

 そして僕が何も言っていないのにもかかわらず、消毒液と綿、ガーゼに大きめの絆創膏を引き出しから出して、僕を座らせるよう促した。

 ショルダーバッグを下ろし、橋里先生が指示した場所に座る。

「今日は……左膝だけ?」

「あと、両手の掌も」

「全く……ほんとよく怪我するわね」

 呆れたような口ぶりで橋里先生は的確に怪我を処置していく。消毒液が傷口に染み、体に電流が迸ったような痛みが走った。

 一分も経たない内に、僕の怪我をした部位には絆創膏が貼られている。

「はい終了。これでもう何度目かしら?」

「あ、あっはは……」

 僕は乾いた笑いをするのが精一杯だった。

 橋里先生は僕が怪我の常習犯ということに心底呆れているようだ。先ほどの応急処置一式が入った引き出しは、僕専用みたいな張り紙が付けられていることを最近になって知った。怪我の原因が不幸体質によるものというのは薄々感づいているように思えるのだが、真相は分からない。

「君みたいな子だけは持ちたく無いわね。私の給料の四分の一くらいが応急処置の道具で消えそうよ」

 僕に対する嫌味っぽく、応急処置道具を引き出しに片付けながら言った。

「その前に先生は——」

「——何か言った?」

「い、いえ何でも……」

 危なかった。迂闊に橋里先生の地雷を踏むところだった。

 橋里先生は三十路を過ぎ、結婚に飢えているとの噂がある。これも噂で聞いた話なのだが、同期の先生が次々と結婚ラッシュを迎えたらしく、そのせいで保健委員長に八つ当たりをしているのだとか。そのため、この手の話題は橋里先生の前では地雷だと、暗黙のルールが敷かれている。

「じ、じゃあ僕はこれで……。ありがとうございました」

 僕は半ば橋里先生から逃げるように、ショルダーバッグを背負って保健室を後にした。

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