人類が火の次に望んだもの。それがこの世界を創造した力。魔法である。
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魔王
第1話 思い出を捨てて
「シーラ。また貴様か」
魔王。そう呼ばれる男は老女に言った。
「……60年。その間に私はたくさんの弟子を育てた。けれど、私を超える魔法使いは結局現れなかった。それだけのことさ」
魔王はかつてシーラと戦った60年前を思い出しながら言った。
「今度は……勝てると思うのか?」
「そうさね。昔はなんでもなかったんだが、この城の階段はちょっと辛かったね。アンタは年寄りに対する配慮ができない奴だって改めて気づいたよ」
シーラが挑発的にニヤリと笑う。隣に立つ剣士が一歩前に出て、マントの中で静かに剣を握ったのがわかった。
それを見て魔王に笑みがこぼれる。
「なるほど。いい剣士だ。貴様……名はなんという」
「カーロンヒスピア」
「自信があるようだな」
「それなりには」
カーロンの言葉を聞いて、魔王は満足そうに頷いた。目を閉じて、玉座から諦めたような声を出す。
「最後通告だ。シーラ。あの時のように仲間を失いたくなければ今すぐ立ち去れ。今回もまた見逃してやろう」
「ここまで来てかい?それはカーロンが聞かないだろう。それに、私の魔法がどれだけアンタに通用するか、それも試したいのさ!」
そう言うと、シーラは杖の先で地面を叩いた。
水面に触れるような音がした。
すると、それまで室内だった場所が、魔王の玉座を残して巨大な湖の絶景に変化した。何もない青空を仰いで、勇者と魔王が対面する。二人は湖面に立ち、その下の湖には無数の魚が泳いでいた。
カーロンが黙って剣を引く抜く。
湖面を歩き、玉座に座したままの魔王に近く。そして何も言わずその心臓に剣の先を沈めた。
すると魔王の身体がぶくぶくと泡立ち、花火のように弾けた。すると湖の上に深い霧が現れ、あたりが暗い森の景色に変わった。
落ち着いた様子のカーロンに、森の奥から人が近づいてくる。それはカーロンそのものの姿をしていた。
魔王は青い景色の中にいた。シーラが見せる絶景の中である。ただし、先ほどとは違って、魔王の玉座は消えており、勇者もいなかった。代わりに対面してシーラの姿があった。
「お前は何がしたくてここに来た」
魔王がシーラに問うた。
「話がしたいのさ」
無防備な声でシーラが答えた。
「話など無駄だ。俺とお前の運命は決まっている」
「……その台詞。懐かしいね。今度は変えたいもんだ」
「お前の勇者は確かに善戦しているよ。俺の幻影に対して無駄のない動きだ」
「はんっ。余裕ぶんじゃないよ。こちとら手ェ抜いてやってんのさ。アンタは玉座を失って久しぶりに立っただろうからね。膝が痛む老人のよしみで優しくしてやってんさ」
「……会話の虚しさがまた一段と深まったな」
それからシーラは何も言わずに魔王とただ向かい合っていた。
しばらくして先に口を開いたのはシーラだった。
「60年前。あの時、一番にアンタの幻影から抜け出したのは私だった。そしてそのせいで当時20歳だった私は、たった一人でアンタの前に立たされることになった。4人パーティで、魔法使いの私だけがたった一人で……そん時の恐怖、アンタにわかるかい?」
「痛いほどわかるな」
「あの時も、アンタはそう思ったんだろうね。だから私を見逃した。違うかい?」
「お前にはそう映ったのだな」
「その後、仲間はどうなった?」
「死んだよ」
「そうだろうね」
シーラが終わった話のようにそう言った。それを聞いて、魔王が口を開く。
「お前がいても死んでいた。気に病むことはない。おそらく後悔しているのだろうが、俺に挑んでもいいことはないぞ」
「確かにそうなんだろう。けどね、ここ一番で逃げた人間ってのは、そのことを生涯忘れられないもんなんだよ」
言い終わると同時にシーラの足下から大きな鏡が出現した。それは、波もなく湖面の中から現れ、一瞬強い光を写した。世界が色を失うほどの光。再び世界が色を取り戻した時、目の前に魔王の姿はなかった。代わりに、耳元で声があった。
「勝ったよ。先生」
カーロンの声。しかしもう一度鏡が光る。
「シーラ。生きててくれてありがとう」
逃げ帰った後に聞いた母親の肉声。さらにもう一度鏡が光る。
「行こう。シーラ。世界を救いに」
一瞬、呼吸が止まった。
「グリム。グリムだよ。僕のこと忘れたのかい?」
思い出の蓋がめくれるような声だった。
気がつけば、あたりは草原の景色に変わっていた。一本の木の生えた丘の上で、木の葉がこぼす暖かい陽射しと優しい風の中、シーラは青年と話をしていた。
「剣術大会で優勝したんだ」
「すごいじゃない」
「見て」
グリムは草の上に寝かせていた剣を引き抜いてみせた。
「綺麗な魔剣だ。無骨なのに手が込んでる」
「実力を出せる剣って感じね」
それを聞いて、グリムは真面目な顔をした。
「最近、南西の魔族達の動きが活発になっているらしい」
「らしいわね。学園からも注意するようお達しがあったわ」
「それだけかい?」
「それだけよ」
「君はなんとも思わないのか?」
「仕事じゃないから」
「……非魔法的だね。君達学圏の
「そうね。確かに私達魔法使いにとって、魔石は死活問題よ。けどね、グリム。あなたたち冒険者や議会の人に頑張ってもらうしかないの。魔石の鉱脈がある魔界との干渉地域は私たち調律師にとっては禁足地なんだから」
「禁足地だからなんだって言うだよ。みんなを救えるすごい力が君達にはあるのに、それを使わないなんて、そっちの方がよっぽどおかしいよ」
「違うのよグリム。このバールホーンの地に魔族がいないのは、学園の作った強い結界があるからなの。そしてそれを維持するのが私たち調律師の役目。もし、禁を破って私たちが魔族と関わりを持てば、結界が不安定になる可能性がある」
「可能性だろ?」
「確実な可能性よ」
「……君がいけなくても、どのみち僕は行かなくちゃいけない」
「干渉地によね?」
「いや、魔王を倒しに」
「本気?」
「今、議会が魔王討伐のための準備をしてるんだ。世界中から冒険者が集まってる。それに参加するんだ」
「死ぬわよ」
「剣術大会で議会騎士から勧誘されたんだ。断るわけにはいかない」
シーラはグリムの手をとって言った。
「お願いやめて」
「無理だ」
「私のためでも?」
ハッとした顔でグリムがシーラを見た。
「私はずっとこの街にいる。この先も、ずっと。ねえ、あなたがこの街に初めて来た時、すごく嬉しかったのを覚えているわ。あなたは冒険者になりたてで、お腹を空かせてこの街にやってきた。調律師なりたてだった私は、そんなあなたを嫌厭したわ。だってあなたヘラヘラしてたもの。慣れない田舎の街で調律師やらされることになって、街の人とも話すのも嫌々だったから、あなたを見てて私とてもイライラしたわ。だけどね。話してみると、あなたとっても面白かった。ある日、あなたは突然私に話しかけてきて、色々楽しそうにお話ししてくれた。それで、私もつられて笑ったの。そしたら街の人がそれを見ていて、後から「君笑うんだね」って言ったのよ。それまでギスギスしてた街の人達と打ち解けることができたのはそのおかげね。そうして、私はあなたをよく観察するようになった。明るくて、どんどん冒険者として成長していくあなたを見守るのはとても楽しかったわ……ねえ。そんな毎日は今も続いてると私は思ってる……だけどそれって本当は間違ってるのかしら?」
シーラは確かめるようにグリムを見つめた。
「間違いじゃないよ。日々に変化があっても、僕達の道はずっと同じだと思うから」
「違うわ。行ってしまったらそれで終わり。私わかるの」
「調律師だから?」
「そう調律師だから」
ガラス越しの会話のようにそれは虚しく聞こえた。
「僕は弱くない。そうだね?」
「……ええ」
「そして、君は強い。それもとびきりね」
「……ええ」
「だったら僕と来てくれればきっと魔王を倒せると思うんだ。もちろん僕ももっと成長する。そのためにも、君がいてくれると嬉しい」
「怖くはないの?」
「君は怖い?」
「ええ。ただ、あなたを失うのはもっと怖い」
「君はもっと自信を持つべきだよ」
「どういう意味?」
「君と二人なら生きて絶対に魔王を殺せる。もちろん君だからって言うのはあるけど、調律師っていうのはそれくらいすごい力を持ってるんだ。なのに魔王を倒そうとする調律師は誰もいない。理由があるのはわかるよ?でも、君の場合、ただ怖がってるだけに見えるんだ。本当はこんな場所で一生を終えるより、力を使って皆をもっと幸せにしたい。世界をもっと良くしたい。そう思ってるように僕は感じるんだ」
そう言われてシーラは自分を確かめるように言った。
「……絶対は絶対って言える?」
「何の絶対?」
「私なら魔王を倒せるっていう絶対」
「絶対だよ」
「……わかった。私も行くことにするわ」
「よかった!早速準備しよう。実はあんまり時間ないんだ」
「ただ……ごめんなさい、グリム」
「なにがだい?」
「私の勇者はグリムって名前じゃなかったし、それに、私はこんな物語を知らないわ」
強い光が世界を包んだ。草原は消え、玉座の間に変わる。ここは魔王城の最上階。
「マキナ。寿命の半分と引き換えにあらゆるものを消し去る魔法。そんなもので歴代最強と呼ばれる魔法使いになって、お前は満足か?」
「あんたの話を聞き続けるより幾分かマシだね」
「しかし、次使えば四度目だ。お前の歳ではあと一度の発動で死ぬぞ」
「試してみるかい?」
「愚行だな」
「あの時逃げた私にはなかった勇気だ。60年かけてやっと身につけたのさ。一人で戦う勇気。アンタも身につけた方がいいよ。魔王グリム」
そう言って、シーラはマキナを使った。杖先の宝玉が光を放つ。結果、部屋からは魔王が消え、シーラはその場に残った。
「湖面の世界では無制限であらゆる魔法が使える。だから私が対価を払ってマキナを使ったのは、今の一度だけ。これが年の功ってやつさ」
シーラは空白の玉座の前で軽く黙祷をする。
「カーロン。お前はこれでよかったのかい?」
そう言葉を残して、シーラはローブを翻した。玉座に背を向け、歩こうとする。しかし、できなかった。シーラの目の前に人がいたのである。それは、魔王ではなくかつての彼女。グリムに情けをかけられて逃げた、あの日の自分の姿だった。これこそ完全な幻影。彼女は即座にマキナを使おうとする。カーロンを消した時と同じように。しかし、彼女がマキナを使うと、相対していた若いシーラも同じ魔法を使った。
「度し難いね」
そしてそれが彼女の最後の言葉となった。
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