第2話 信仰と真実

「おいライリ。やっぱどう考えてもおかしいぜ」

 耳元で声がする。

 同感であった。

「とって食われやしねえか」

 本当に同感である。しかし、

「ちょうど私もそんな心配をしていたところ」

 閑散としたメインストリートの石畳を男の後について歩きながら、ライリは少し嬉しそうに言った。

「ライリよう。またお前の悪い癖が出てるぜ。凄い魔法を見たら絶対に諦めないとこ、マジでなんとかなんないかな。今ならまだ断っても失礼じゃないぜ?街を出よう。昨日みたいに野宿しよう。いいじゃねえか野宿。なんなら魔法でいくらでも快適にできる。外も内も変わんねえよ」

「しつこいよ。この街の魔法は危険で、私は調律師なんだ。それに知ってると思うけど、やると決めたら私曲げない主義だから。魔法を消す魔法のことがわかるまで街はでないから」

「かーっ。しつこいときやがった。そりゃいいぜお前は、とって食われたって人間のスープは不味そうだからな。だけどよ、俺は違うんだ。俺様はリスなんだ。スープの具材になった日にゃ、食った人間があまりの美味さに仰天して死んじまう。そしたらどうなると思う?想像してくれ、食われた俺が天国か地獄かを決める門の前で憂鬱そうに順番を待ってるんだ。そしたら、あのじーさんが俺の後ろにいきなり現れてこう言うんだ。死ぬほどうまかったって。そんなの笑えねえ冗談だよ」

「それ、ちょっと面白いね。でも失礼だよそんな冗談。私は今、あの人の家にご飯を食べさせてもらいに行っているのであって、食べられに行ってるわけじゃないんだから」

「いいかライリ、とって食おうって奴はみんな最初お茶でもどうぞって言うもんなんだ」

「ハンプは街の外で待っててもいいよ。私は一人でも大丈夫だから」

「わかった。チッ。わかったよ。行きます。行けばいいんだろ俺も」

 肩の上でため息をつくリスの頬をライリは指でつついた。

「しょうがないじゃない。もう決まっちゃたんだから」


 ……話は数分前に、遡る……。


「私の家に泊まられるとよろしい。無論強制はしませんが」

 男からの誘いを受けたライリは、まだ困惑していた。意味が分からなかったからだ。

「すみません。少し考えさせてもらえませんか?」

「構いませんよ。急ぐ用事もありませんから」

 集団から少し離れて、ライリは小声で言った。

「ハンプどう思う?」

 すると髪をかき分けて、ライリの首元から一匹のリスが顔を出した。

「どう考えてもヤバいだろ」

「でもさ私お風呂入りたいしお腹すいたし野宿したくないよ」

「お前風呂まで入るつもりか。凄いな」

「むしろそれがメインと言ってもいいような」

「あのさひとつ確認していいか?」

「いいよ」

「これ相談だよな?」

「そうだよ」

「俺の意見って反映されるよな?」

「当たり前じゃん」

「お前……腹の中ではもう答え決めてるだろ」

「そんなことないよ。ハンプの意見もちゃんと聞くよ。私いつも聞いてるじゃん」

 その時、ライリのお腹がきゅるりと鳴った。あ、と言って赤い顔で後ろを振り返ったライリに先ほどの男からの視線。

「ちなみにこの街にはご飯が食べられるところもありません」


 こうして現在に至る。あれからしばらく歩いて、今ではハンプもすっかり大人しくなった。(……諦めて黙っているというより拗ねているという方が正しそうだけど、喋るとうるさいのでこのままもう少し拗ねててもらおう)

 しかし考えてみれば、結局この男についていくしかなかったような気がしてならない。もし目の前に宿屋があって、その隣に飯屋があったとしても、今の彼女にはその場にへたり込むことしかできないからだ。実のところ食べるお金も、泊まるお金も、ライリの手元には一銭もないのであった。

 別に無一文といわけではない。貧乏というわけでもない。原因はこの街の結界にあった。

 ライリはどちらかというと金持ちの部類に入る。普段そのお金は全て収納魔法によって魔法概念化して持ち歩いているのだが、今は結界の中である。つまり彼女はお金がないのではなく、単に収納魔法内のお金が、この街の結界のせいで取り出せなくなっているというだけのことなのだ。

 しかしそれが落ち着かない。深く考え始めた彼女はあえて疑念にとどめていた一つの事実をここで断定した。最後にローブの袖口をよくあらためてみたがやはりそうだと思った。

 収納物の発する魔法的感覚が一切感じられなくなっている。

 これは普通ではない。この街の結界が魔法の発動に作用する単純な魔法阻害魔法ディスペルではないということを暗に示していた。それはまるで、この世界に

 そう言われている感覚に近かった。

 ……頭がおかしい。ライリは学会で創世系空間魔法の新理論を発表した時のことを思い出していた。入学して3年目の13歳の秋。初めての学会で自信満々に発表した内容が、そんな理論はありえない。お前の妄想に過ぎない。具体性が足りない。ここは子供の遊び場じゃない等々、大の大人達から散々なことを言われて終わった日。ライリには一つわかったことがある。それは人という生物にとって「信じる」ということが何を意味しているのか。信じるものが崩れる音を聞いた時、人はどうなってしまうのか。その客観的答えだ。今、この魔法を消す魔法に出会い、彼女は同様の命題にぶつかった。ライリにはもう、あの時学会で自分を嘲笑った大人達を笑うことができなかった。

 もし、今のライリがこの魔法概念喪失現象についての観測内容と見解を学会で発表したら大変なことになるのは間違いない。なぜなら、あの時学会を恐怖させたライリでさえ、この魔法には恐怖しているのだから。

 気持ち悪い。深く悩むと頭が変になりそうだった。本当はこの街に入った時から強い不安をずっと感じている。おそらく並の魔法使いなら歩くのもしんどいはずだった。

「一緒にいてくれてありがとう。ハンプ」

 思わず声が漏れる。

 しかし、返事はない。

「寝てるの?そんなわけないよね。ハンプは怖がりなんだから……って、わっ!?」

「着きましたよ」

 よそ見して歩いていたら男の背中にぶつかった。

「し、失礼しましたっ」

「謝るほどのことではありません。我々の犯した罪に比べれば、これくらいなんでもありませんから」

「え?今なんと仰られましたか?」

「なんでもありません。さあ着きましたよ」

 そこは店であった。アンドレア魔道具店。看板にはそう書かれている。

「魔道具店……?でもこの街で魔法なんて」

「そう。そのことをお話ししなければなりません。知りたいのでしょう?この街のこと。そして魔法のこと」

 おそらくアンドレアであろう男は、驚いたライリの顔に目を細めながら、案内するように、手を店の扉の方へと振った。すると、まるで古いアルバムでも開くかのようにゆっくりと扉が開く。一人でにゆっくりと。それは魔法のように。


『収納魔法。持ち物を魔法概念化し持ち運ぶ魔法。原理としては物質から質量を構成する要素を完全に取り除くことであり、そのためこの魔法の本質を「収納」と表現することには少し違和感がある。ただ、この魔法がなぜ一般的に収納魔法と呼ばれているのかと言えば、その理由は簡単で、質量を失った物質つまり魔法概念化された物質は、空間に固定されるからだ。ここでいう空間とは地図上の座標軸ではなく単純に囲われた場所ということであり、空間は大きさの大小は問わず、また移動させることも可能である……』

 『基礎魔法大全』より抜粋

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人類が火の次に望んだもの。それがこの世界を創造した力。魔法である。 あのnull @anonull

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