あなたは親友のふりをした敵ですよね?

青空一夏

第1話 いきなりやって来た親友

 私は太田あかね。太田宝石店を営む夫を持ち、夫の両親と同居しながら店を手伝う日々を送っていた。太田宝石店は宝石を売るばかりではなく、お客様の要望にそった宝石もデザインしている。


 姑は宝石デザイナーで、夫の陽斗と舅の正夫は宝飾師だった。宝石店の隣の建物がアトリエで、夫たち三人は大抵そこで仕事をしていた。私は宝石の販売担当で、店内で接客をする日々を送っていた。


 私の親友の名前は小笠原樹理、旧姓は田中樹理だ。樹理とは高校も大学も一緒で、親友といって良いほどいつも一緒にいた。樹理の夫は高校の同級生で、小笠原賢星さんという名前だった。賢星さんはとても優秀で、日本で最高峰の大学に余裕で合格するほどの人だった。大学を卒業した後は高級官僚としての道を歩み、まさにエリート中のエリートになった。


 樹里は色白で大きな瞳を持つ小柄な愛らしい女性よ。男性の庇護欲を誘う容姿で学生時代からもてたが、今は幼児と乳飲み子がいるママになっている。二人の子供の名前は美優と瑠奈といい、樹理に似て愛らしい顔をしていた。


 つまり、樹理はどこから見ても、とても幸せな暮らしをしている高級官僚を夫に持つエリート妻なのだった。賢星さんは穏やかな性格だったので、きっと大事にされているはずだと思っていたわ。




 ある日突然、その親友の樹理が思い詰めた表情で店にやって来た。


「あかね。私、賢星と離婚したいの。あの人とはもうやっていけないわ。だって、私の腕を折ろうとしたのよ」


 私は話しを聞くために店の奥に樹理を通した。そこには広い居間とキッチンがあり、その奥は私たち夫婦の居住スペースになっていた。ちなみに二階は義両親が住んでいる店舗付き二世帯住宅だった。


 「賢星さんがそんなことをするかしら? 優しい性格だったと思うけど」


 「そりゃぁーー、結婚した当初は優しかったわよ。でもね、実は神経質な性格で、私のすることにいちいち文句をつけるし、子供たちには怒ってばっかりなのよ。最近は筋トレにはまっていて、子供の世話も手伝ってくれないしジムばかりに通っているのよ」


 樹理はワンピースの袖をめくって腕の痣を見せてくれた。くっきりと赤紫色になったそれは痛々しかった。時間が経てば、人間は変わるものだけれど・・・・・・優しい賢星さんの豹変ぶりには驚いた。


 私が結婚したのは1年前。それまではたまに樹理の家にも遊びに行き、賢星さんとも話す機会はあった。結婚してからの私は太田宝石店を手伝うのに忙しくてすっかり足が遠のいていたけれど、当時の賢星さんは温厚な夫というイメージで暴力を振るうようになるなんて想像もできなかった。


 居間にあるからくり時計が15時を告げると、時計の中の人形たちが踊り出す。いつもこの時間には夫たちが休憩に居間に来てお茶を飲むのよ。


「これから陽斗たちがここに休憩に来るのよ。ちょっと待ってね。お茶を人数ぶん、用意しないと」


 私がお茶と羊羹を準備している間、樹理はジロジロと居間やキッチンを観察する。


「へぇーー。アトリエと居間は中庭を挟んで隣なのね。この掃き出し窓から庭にも出られて、アトリエにも行けるわけか。便利だし、なかなか広い家よね。あら、こんにちはぁーー。お邪魔していますぅ」


 さきほどまで暗い表情だった樹理が、明るく夫たちに花のように微笑む。アトリエにいた三人が居間に向かって来たところだった。


 私と夫の結婚式に出席してくれた樹理は姑たちとも面識がある。にこやかに挨拶をすませると、樹理は夫たちにもその痣をみせて、腕を折られるかと思ったと言いながら目に涙を浮かべた。


「これは酷いね。暴力夫からは一刻も早く逃れるべきだよ」

 陽斗はとても心配そうに優しく声をかけた。


「暴力を振るう男は『もうしない』と言っても絶対にするものさ。だが、離婚したら仕事や住む場所はどうするのだね? 実家は頼れるのかい?」


 いつもは空気の舅が珍しく口をはさんだ。可愛い樹里を眩しそうな眼差しで見つめている。その瞬間、樹里は私に縋るような視線を投げかけた。


 樹理と両親との関係はあまり良くないと聞いたことがあったし、樹理の実家はお姉さん夫婦が同居していることもあり、出戻るのは難しいだろう。


「近くにアパートがあるから、そこを借りたらどうかしら? 少しぐらいならお金を貸してあげられるわよ」

 私は独身時代に貯めた自分の貯金を貸すつもりでそう言った。大金は貸せないけれど樹理を助けたい。


「ううん、いいの。お金なんて申し訳なくて借りられないわよ。それより、ここにしばらく置いてくれないかしら? 私がここに住むようになれば、いつでも子供を抱かせてあげるわよ。子供があかねには嬉しいでしょう?」

 

「まだ結婚して1年ちょっとだもの。タイミングが合わないだけだと思うわ」


 私は樹理の思いやりのない言葉に思わず言い返した。


 樹理ってこんなことを言うような子だったかしら? 


「あら、あかねさん。結婚して1年以上妊娠しない女なんて、不妊症と見なされますよ。こんなことは一般常識です」


 口を挟んできたのは姑で、私に問題があるというような言い方をしてきた。そして、子供が大好きだと言いながら六ヶ月の瑠奈に手を伸ばし抱き上げたものの、雑に扱いすぎてしまいすぐに勢いよく泣かせてしまう。


「ほら、あかねさん。将来のために子供を抱く練習した方が良いわ。この子の面倒を見たら子供に恵まれますよ」


 姑はすっかりぐずりだした瑠奈を私に手渡した。一方、樹理は姑の言葉を肯定的に捉え、しきりに頷いている。


「樹理の子供をお世話したって、私の子供はできないと思いますが」


 思わず私はそう口を滑らせた。未だかつてそんな話は聞いたことがなかったし、樹理の言葉に違和感を覚えたからよ。子供ができないことは、私だってとても気にしていたわ。


「これだから宝石のデザインも出来ない女は駄目なのよ。私がいくら教えても、ほんとうに才能がなかったものねぇ? 他人の子供を育てると、不思議と自分の子供を授かるものなの! これは昔からよく言われていることです。一般常識ですよ」


 私が反論すると途端に姑は顔をしかめ私を責めだした。姑は頻繁に謎な一般常識を作りたがる。姑の常識は私の非常識だと反論したいことが度々あった。


 私は高校を卒業し中堅大学の経済学部に進学した。そこでマーケティング等を専攻し、卒業後は広告代理店で消費者の需要や市場トレンドを分析する広告戦略を行っていた。嫁いですぐに販売に専念するように言ったのは姑だし、宝石のデザインの勉強を姑から教わったことなどない。けれど、姑の中では私に宝石デザイナーの仕事を根気よく教えたことになっている。それに対して夫と舅はなにも言わなかった。姑の言葉を否定すると、その後何時間でも反論されるのがわかっているからだ。


「宝石のデザインなら、私ができるかもしれません。昔から手先は器用でしたし、宝石は大好きです。きっと陽斗さんのお母様を助けてあげられますわ。だから、ここに少しだけ住まわせていただいてよろしいでしょうか?」


 媚びるように姑を見つめる樹里に私は首を傾げる。私を頼ってここに来たのではないの? ちょっとずつ、私の樹里に対する違和感と嫌悪感は募っていくのだった。


「良いですとも。樹理さんとは気が合いそうね。そうだ! 明日なのだけれど、宝石デザイナー達の集いがあるのよ。一緒に行かない?」

「まぁ、素敵! 行きたいです」

「あぁ、それは名案だね。二人で楽しんでおいでよ」


 なぜか三人で一方的に話しが進んでいった。


「美優ちゃんと瑠奈ちゃんは、誰が面倒を見るのですか? 瑠奈ちゃんはまだ母乳を飲んでいる時期でしょう?」

「あかねさんがいるでしょう? 明日はこの店も休みだし、子供の面倒は充分見られますよ」

「あぁ、僕もいるしね。僕は子供が好きだから一緒に世話をするとしよう」

「ふふっ。お願いしまぁす。瑠奈には母乳を搾乳器で絞っておくから、それを飲ませてよ。美優はハンバーグとカレーライスや唐揚げが好きなのよ。覚えておいてね」


 樹理を助けられるのは嬉しいけれど、こんな展開には釈然としない。いきなり私だけが部外者になったような気がした。舅は空気になることを決め込んで、黙々とお茶をすすり羊羹を食べ、さっさとアトリエに戻って行った。舅はいつも姑のすることを黙って見ているだけだ。陽斗は姑の言いなりで・・・・・・離婚したいのは、本当は私の方かもしれないのだった。

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