第52話 髪(壱)

 いつものように作製した呪符を持って、私はヒサメの部屋に向かった。


「ハルです。呪符をお持ちしました」

「入れ」

「……えっ?」


 障子の向こうから返ってきたヒサメの声に、私は戸惑う。


――今、何と言った?


 これまで、ヒサメが私を自室に招き入れたことは一度もない。

 そもそも屋敷にも他人を入れたがらない、警戒心の強い男だ。彼が私を部屋に入れないのは、当然のことのように思えた。

 だから、呪符の受け渡しは、いつも廊下で行っていたのだが……


――部屋に入れってことだよね?えっと、入っていいの?


 聞き間違いじゃなかろうか。そう、自分の耳を疑っていると、ヒサメが言い募ってきた。


「何をしている?さっさと、入れ」


 やはり、聞き間違いではなかったようだ。「失礼します」と一言断り、私は障子を開ける。

 部屋に入ると、雑然とした光景が目に飛び込んできた。



 ヒサメの部屋はそう狭くないはずだが、圧倒的に物が多かった。

 そのほとんどは書物や巻物の類だ。書架に入りきらなかったそれらは、床にまで積み上げられている。その他には、たくさんの木箱に、怪しげな紋様が描かれた壺なんかも転がっていた。


「もうすぐ終わるから、空いたところに座っていろ」

「……はい」


――空いたところってどこだ?


 畳は物で埋まっていて、文字通り足の踏み場もない。こんな場所で、ヒサメはどうやって生活しているのだろうか。布団すら敷けないではないか。


 私は苦労してスペースを見つけると、身体を縮めてそこに正座した。

 ヒサメはと言うと、何やら書き物をしているようで、文机に向かっている。その机の上も雑多な物でいっぱいだった。


 ヒサメを待つ間、暇なので私は室内を見渡す。興味があるのは、書物だ。床に積まれている冊子の表紙を見ていると、私はあることに気付いた。


 異境、異郷、幽世かくりよ、異界……そんな単語が書かれた表題の本が多い。


――異界……異世界?


 私は首をかしげる。もしかしなくても、ヒサメは異世界に興味があるのだろうか?

 そんなことを考えていると、「何か気になる物があるのか?」と横から尋ねられた。

 振り返れば、ジッとヒサメがこちらを見ている。どうやら書き物は終わったようだ。


 別に隠す必要もないので、私は疑問をそのまま口にした。


「異世界に関する資料が多いのですね」

「……ああ」


 ヒサメの声音が少し低くなる。触れてはいけない部分だったのかもしれない。

 この話題は終わりにしようと、私は持ってきた呪符をヒサメに差し出した。作製した呪符は、一枚ずつ彼に確認してもらうのが通例なのだ。


 しかし、ヒサメは呪符を受け取らない。代わりに、こんなことを口にした。


「異世界を信じるなんて馬鹿な夢想家だと思うか?」

「え?どうしてですか?」


 私は思わず、キョトンとしてしまう。

 異世界を信じることに、何の問題があるのか分からなくて、ヒサメの問いに問いで返してしまった。


「……お前は、異世界なんてあるわけない。そんな風には思わないのか?」

「はい」


 私は迷わず頷く。なにせ、私にはその異世界で生きた前世の記憶があるのだから。

もっとも、ここにある本に書かれた異世界が、現代日本とは限らないだろうけれど。


 私の答えに、ヒサメは「そうか」と毒気が抜かれたように呟くと、それからは呪符を受け取ってくれた。


 それにしても、ヒサメが異世界に興味があるとは意外だった。私も、前世とこの世界を繋ぐ何かしらの手がかりがあるかもしれないので、ヒサメの蔵書には興味がそそられる。


――ヒサメは異世界に行きたいのかな?


 呪符の確認作業をするヒサメを横目に見ながら、私はそんなことを思った。



 この瑞穂みずほの国で、成人女性は髪が長いものとなっている。男性は長髪も短髪もいるが、大人の女性でボブやショートヘアスタイルの人はいない。

 尼僧は剃髪するが、そういった例外を除いて、女性の髪は長いものと決まっていた。


 さて。そんな文化のところに、顎より下の髪がバッサリ切られた女が現れたらどう思われるか。想像に難くない。周囲からは好奇の眼差しを向けられてしまう。

 というわけで、現在進行形で髪の短い私はとても目立つ状態になってしまっていた。


 人喰い鬼の一件で、小鬼から逃れるために私は自ら断髪した。あの時はそうするしかなかったし、後悔もしていないが、あまり目立つと居心地が悪い。

 それで外出のときには、手拭いで頬被ほっかむりをすることにしていた。ただし、よくよく見れば髪が短いことは分かってしまうわけで……。



「ハルちゃん!その頭、どうしたの?」


 甲高い悲鳴を上げたのは、豆腐屋の女将のおよしさんだった。彼女があまりに大きい声で言うものだから、店の奥から店主の又六さんまでやって来る。

 詳しい経緯を話すのも面倒なので、私は「アヤカシ関連のことでちょっと…」と言葉を濁した。


 お芳さんが大仰な溜息を吐く。


「やっぱりお祓い屋の仕事って危ないんだねぇ。弟子も大変だぁ」


 以前、幽霊騒ぎの件で、ヒサメは私のことを『弟子』だとお芳さんに言った。その話を、彼女はまだ信じているわけである。


「可哀想に。髪は女の命なのに……。ほら、これとこれと…これも持っていきなっ!」


 そう言って、お芳さんは豆腐やら油揚げやら――店の商品をどんどん包んでくれる。


「そんなっ、悪いですよ!私は大丈夫ですからっ!!」


 それは嘘でも強がりでもない、私の本音だ。

 実際、髪が短くなってしまっても、私はほとんどショックを受けていない。皆に注目されるのがわずらわしいだけだ。現代日本なら短髪の女性なんか幾らでもいたため、気にしていないのである。


「又六さんもお芳さんを止めてください!」

「いやいや、ハルちゃん。貰ってやってくれ」

「又六さんまで何を……?」


 この夫婦、商売する気があるのだろうかと心配になるが、又六さんはニィと笑っていた。


「豆三郎の名で、親父の書いた本があっただろう?ハルちゃんが面白いから、出版してみたらって言ってくれたやつ」

「えっ、あ。はい」


 それは今は亡き又六さんの父親が趣味で書いていた小説のことだ。この国では珍しい推理小説で、とても面白かったことを覚えている……が、


――どうして今、本の話に?


 訳が分からず、私は瞬きした。


「実は夏の終わりに、ソレを地本問屋に持ち込んでみてな。そしたら、コレは売れるかもという話になって」


 地本問屋とは、本を出版販売する店のことである。


「そうなんですか?それでどうなったんです?」

「実は結構な評判でな!俺の懐も潤ったんだ」


 なるほど。死んだ親父さんの本を出版したら、売れたのか。道理で又六さんが笑顔のはずだ。

 一読者としても、あれは他の人にも読んでもらいたいと思っていたから、私も嬉しい。


「親父は、今回出版したもの以外にも、同じ主人公が活躍する小説をいくつも書いていたからなぁ。続き物として、それらも売り出そうっていう話になっているんだ」

「おめでとうございます」

「ハルちゃんのおかげだよ。あんたの一言がなかったら、あの本は誰にも気付かれず、朽ちていたはずだから。せめてものお礼だ。うちの豆腐で良けりゃ、持って行ってくれよ」

「そういうことでしたら、ありがたく」


 私はお芳さんから包みを受け取った。ここの豆腐は美味しいし、油揚げはコンの大の好物だ。さて、何を作ろう。稲荷ずしでも作ろうかな。

 わくわくと頭の中で献立を思い描いていたところ、お芳さんが「アタシもお義父さんの小説を読んだんだよ」と話しかけてきた。


「面白かったですよね」

「うん、そうだね。何より主人公が良かったねぇ。かっこよかったよ」


 あのお話の主人公は、下級貴族で祓い屋という設定だった。確か、イケメンで頭がキレ、困っている人を放っておけない優しい性格だ。

 確かに、カッコイイと頷こうとしたところ、お芳さんはとんでもないことを言ってきた。


「あの主人公って、アンタのお師匠様。四条様にそっくりじゃないかい?」

「……は?」

「美男子で、頭が良くて、仕事ができて。おまけに親切で」

「……」


 親切……?親切だと……?

 およそ、ヒサメに似合わない単語で彼を評するお芳さんは、あの男の異常に良い外面に騙されているのだろう。


「わ、私はそうは思いませんが?」

「そうかい?アタシ以外にも、あの本を読んだ人は言ってたよ。これは、四条の祓い屋を見本に、主人公を書いたに違いないって」

「……」

「今も人気だけれども。さらに、四条様の人気は高まるかもねぇ。四条様会いたさに、屋敷に読者が押しかけたりして」


 アハハハッ――とお芳さんは豪快に笑う。

 それに私は顔をひきつらせた。


 又六さんの父親が書いた本。そのファンがうちの屋敷に押しかけたりしたら……ヒサメは絶対に嫌がるだろう。これは断言できる。

 表面上はニコニコしながらも、腹の中で罵詈雑言を吐いているはずだ。


――もし……問題の小説の出版を薦めたのが、私だってバレたら……。


 その後のヒサメを想像し、私は背筋に冷たいものを感じるのだった。



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