ありふれた朝に

@supi1001

第1話 ありふれた朝に

窓を叩く雨音で目を覚ました。

ベッドを降りて窓に視線を向けると、数滴の雨粒が流れていくのが見えた。

昨日の夜に見た天気予報では今日は晴れのち曇りだった気がする。

しかし現実はそのどちらでもない雨だった。

季節は9月。

秋真っ只中だ。

秋の空は天候が安定しない。

誰かが言っていた言葉を思い出す。

『秋の空と恋模様は同じ』

実際、そうなのだろうか。

私は今年で14歳を迎えた中学二年生だ。

まだ恋をした事はない。

また他の誰かが言っていた言葉を思い出した。

『恋は心の病だよ』

もしそうなのだとしたら、私は14年間健康体でいられた事になる。

自己管理が行き届いている。

このままのペースで行きたいものだ。

今日は土曜日で学校はなかった。

けれども掛け時計を見ると現在の時刻は早朝の5時。

学校に通っている日より早起きだった。

不思議と目は冴えている。

窓際にポツンと置かれている椅子に腰を据える。

外の世界を包んでいるのは相変わらずの雨音だ。

ポツポツと天井からも音が聞こえる。

打ち付けるような強い雨ではない。

どちらかというと…布地を縫っていくような穏やかな雨の降り方だった。

そうだ。

縫っているのだ。

この地域を、この私が住んでいる街の空を無数の雨粒が縫っているのだ。

そう思うと、なんだかこの雨も憎めない物のように感じる。

しかし、この雨を私は望んではいなかった。

昨日の夜、明日は出かけようと思っていたところだった。

昨日の夜の明日とはつまり今日の事で、天候はご生憎といった様子だ。

傘をさして歩けばなんて事もないはずだけど、

それすらも今の私は億劫に感じてしまう。


私のクラスでは二匹の金魚を飼っていた。

赤い方が「あーちゃん」黒い方が「くーちゃん」と、色の頭文字から一文字だけくり抜いたようななんだか捻りも何もない名前が付けられていた。

私は飼育委員だった。

委員というと何か責任感のあるような物に思えるけど、実際の仕事は簡単な物で、毎日の餌やりと

空気ポンプの異常がないかを登校時と放課後にチェックするだけだ。

それだけの仕事なので、他の面倒な委員に配属されるよりマシだと思っていた。

私は日々の業務を淡々とこなした。

けれども今週の木曜日の朝。

二匹の金魚は水面に浮かんでいた。

体を横に向けて水面に浮かぶ金魚を最初に見つけたのも私だった。

誰も興味がなかったのだ。

私が最初に登校してきたわけでもないのに、誰の視界にも捉えられなかった末に私が見つけた。

二匹の金魚の死因はなんだろう。

病気?

でも昨日の放課後までは元気そうに水槽の中を泳いでいたけれど… 。

なんて事を考えながら水槽を覗くと一つの異常が見つかった。

水槽は静かだった。

波一つ立たない穏やかな水面。

一見するとそれは普通の光景のように思える。

けれどもそれは違う。

静かではいけないのだ。

水面は揺れていなければならない。

何故なら空気ポンプが24時間稼働しているなら、

水の泡が上がっていないとおかしいのだ。

私はすぐに空気ポンプを調べた。

スイッチはオンになっている。

しかし水面に泡はない。

何度かオンオフを切り替えてみてもそれは変わらなかった。

空気ポンプは壊れていた。

水曜日の放課後、私は確かにこの目で空気ポンプが動いているのを確認していた。

その記憶に間違いはなかった。

つまりこの空気ポンプは水曜日の放課後のチェックの後壊れてしまった事になる。

なんて不幸な事だろう。

そのタイミングが少しでもズレていれば、早くても放課後直後のタイミングだったのなら、私はその異常に気付く事が出来ただろう。

私は担任の先生に事情を説明しに職員室へと向かい、担任にその旨を伝えた。

担任の先生は「わかった」と一言だけ言ったきりだった。

所詮はそんな物だったのだ。

クラスメイトも担任の先生も金魚に対した思い入れなどなかったのだ。

二匹の金魚の死はその日の朝のホームルームで簡潔に伝えられるのみだった。

誰も涙を流したり鼻を啜るような真似はしない。

ただ聞き流すだけ。

私もそのはずだった。

しかし、人間には習慣がある。

だから放課後になって体に染みついていた金魚の世話をしようとした時に、それは不意に訪れた。

涙こそ出なかったものの、私の心を空虚感が襲った。

もう必要の無くなった金魚用の餌を手にとりながら、私は二匹の金魚の死を受け入れる事になった。

誰も悲しまなかった二匹の金魚の死。

けれども、それはその瞬間に塗り替えれた。

少なくとも私は人並みに悲しみを抱いた。

だからこの世界には二匹の金魚の死を嘆く存在が

一人はいる。

私がその一人だ。


今日出かけようとしたのも二匹の金魚の死が関係している。

私の学校への通学路には河川敷へ繋がる道がある。

そこにはシオンの花が野生で咲いていた。

だから私は、シオンの花を二匹の金魚の弔いに

摘んでこようと思っていたのだ。

長い間、思い出に耽っていた。

掛け時計の短針も6時を示している。

出かけよう。

そう思いたって、衣服を着替える。

それも簡単に済ませて、もう一度窓の外の景色を見た。

雨はもう止んでいた。

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