医者って緊張しないんですか?

木沢 真流

お医者さんがいるから安心、はウソ

 コロナ禍が嘘のように人々の賑わいは戻りつつある。数年中止されていた院内の飲み会も当たり前のように開催されるようになってきた。

 あの惨劇は一体なんだったんだろうか、そんなことをぼんやりと考えながら乾杯の挨拶を待っていた時のことである。

「今日はお医者さんがいるから安心して飲めるわ」

 同じテーブルについた、男性看護師がこんなことを言っていた。

 言わんとすることはわかる。きっと飲みすぎて体調が悪くなっても安心、ということなのだろう。

 すかさず私はこう返した。

「そうですね、何かあったらすぐ救急車呼んであげますから大丈夫ですよ」

 ちょっとした社交辞令の笑いでその場は収まったが、この言葉が私の本心だったことに誰か気づいた人はいただろうか。

 安心してもらえるのは嬉しいことだが、正直医療施設のない院外で医者ができることなんてたかが知れている。心臓が止まっている人に心臓マッサージと呼ばれる胸骨圧迫をするくらいで、日本のように医療アクセスが容易な環境では、無装備の医者があーだこーだ悩んでいるより、やはりすぐ救急車を呼んだ方がいい。

 では救急車さえ呼べればまずは一安心、と言いたいところだが、医師の場合はそうはいかない。医師は患者を受ける側の人間であり、運ばれてきた患者さんをなんとかしないといけないのだ。

 確かに勉強と訓練はしているので、それなりに対応はできるが、医師は魔法使いではない。一人の人間である以上、この救急車の対応はすさまじいストレスとなる。

 死にそう(かもしれない)な人が運ばれてきて「あとは頼みますよ」とパスされる。特に時間外や休日は原則一人での対応となる。毎回その重圧で押し潰されそうになるのをこらえながら対応することになる。

 それでも通常は、対応が難しいときは応援を呼べるようになっていたりと、どうにか医療はまわっている。

「じゃあ今までで一番緊張したのってどんな時ですか?」

 あの時の飲み会で、確かこんな話題になった気がする。

 確かに救急車の対応は毎回緊張するのだが、一番ではない。


 一番、と言われれば思い出す夜がある。

 最も緊張した場面、それは忘れもしない深夜の手術室。

 私は一人で帝王切開の妊婦さんから新生児が生まれるのを待っていた。

「はい、赤ちゃん出ますよ」

 そう言われて私の前に、ほい、と置かれた赤ちゃんは、生まれるという言葉の代名詞であるはずの「産声」をあげていなかった。

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