第43話 季節はずれの交響曲


「ねぇ?ジャネやアインシュタインは正しかったってこと?」

「なんて?」


華々しく飾られた文化祭の大看板を前に、ミユキが心ここに在らずといった顔で呟いた。ナギは別の心配ゆえに辺りをキョロキョロと見回していたので、ミユキの言葉をすっかり聞き逃していた。もちろん、聞き返してもわからなかったが。


ふたりは旧美術室ではなく、学校の入り口で行き交う人波を眺めていた。

展示の受付当番は交代制だったので、今のうちに人探しに来たのだった。


そう、ナギはナツミに手紙を出していた。

これまでのこと。いまのこと。文化祭のこと。

よかったら、また逢って話がしたいこと。


ナツミからの返事はなかった。

それでも、もしかしたらという希望が消えず、こうして入り口で待っているのだ。


「わたしたち、ほんの昨日まで、楽しい時間を過ごしていたと思うのだけど?」

「そうだね、とうとう本番当日だね」

「ほんのまたたきの間に、今日が来たような気がするのだけど?」

「うーん、そうかもね……」

「10日もあった準備期間なのに、時の奔流に押し流されてしまった気分だわ」

「あっ!!……ちがった」


「待ってるのっておなか空くよね?」とメルが持たせてくれたチーズケーキをかじりながら(そしてたまに「それはどこで買えますか?」と聞かれながら)待つ。


「……会ったら、最初に、なんて言おう」

「そうねぇ、セオリー通りに行くなら、久しぶり、かしら?」


夏の果実を詰め込んだような、明るい輝きを持つナツミを待つ。


「……ナツミもさ、ミユキみたいにまっすぐの髪の毛なんだ」

「まあ、その方も美容院で『ワイヤー』とあだ名をつけられているのかしら」

「……わ、ワイヤー?」

「こう、あまりに強情なのでそう呼ばれているのよ……この通り、切っても面白味もないでしょうし……仕方のないことなのだわ」

「そうなんだ……私はそういう髪、羨ましいけどなぁ」

「まあ、わたしはナギさんの髪の毛の方が好きよ」

「蔦みたいにあちこち行くけどねぇ……まとめるのも大変だし……」


ミユキは眩しいものでも見るように目を細め、微笑んだ。

朝陽がきらきらと髪の間を通り抜け、黄金色に輝いている。


(天使みたいな髪の毛をしているのだもの、わたしは好きだわ)


瞳も光に透けて、ただ透明にきらきらと、きらきらと。

秋の日差しを詰め込んだ、うっとりと甘いジャムみたい。


「…………つきあわせて、ごめん」

「みなさん楽しそうなお顔だから、然程苦ではなかったのだわ」

「でも……展示とか、見たかったでしょ?」

「ね、文化祭は明日もあるし、なんと明後日もあるのよ?」

「うん…………きょうは、もう諦める」

「ナギさん……」


交代時間も近付き、ふたりはやや肩を落としながら旧校舎へと向かった。







「これは何の絵ですか?」

「そちらはすべて『光の絵』です、硝子や布を通り抜けた光が印象的だったので」

「へぇ~……綺麗ねぇ」

「入り口から順に追っていただくと、朝から夜までの光の色が移り変わる様子をご覧いただけますよ」

「この絵のポストカードは販売しているの?」

「はい、出口付近に物販のブースがありますのでよろしければお帰りの際にでもご覧になってください」


ミユキは慣れた様子で来客対応をしていた。

ナギはそわそわちらちらと入り口を見やり、不安そうにちいさくため息をついている。そんなナギを、ミユキも少し心配そうに見ていた。


ふ、と。

人の流れが途絶え、時が止まったかのような、いつもの放課後のような静けさがその場を満たした。規則正しい足音がひとつ、そこへ近づいていく。迷いなく。


「そちらの方がお描きになった絵はないのかしら?」

「……ナツミ!!あの、わ、私……!!」

「お久しぶりね黒潮さん、お手紙どうもありがとう」


突き刺さるよそよそしい呼び方と刺々しい声に、ナギはいつもの明るさをなくし、口籠った。変な汗が背中をじわじわと流れている。

ミユキは、感情の見えない穴のような瞳でただナツミを眺めていた。


「………………」


ああ、会ったら言いたいことがたくさんあった。


いや、言いたいことはすべて言い訳じゃなかったか?

ナツミはそれを見抜いているのではないのか?


「…………あの……私…………ごめん……」


重い。空気が、口が、肩が、全身が、汗の一滴でさえ。

あと一歩でも動いたら、倒れ込みそうなほどに。


「ふふっ!…………もう、相変わらず仕方のない子ねぇ、ナギは」

「……な、ナツミ?」


ミユキはまるで興味をなくしたように戸棚の方へ歩いて行った。置いていかないで、という言葉を飲み込んで、ナギはナツミと対峙する。


「随分遅かったじゃない?私、ずっと待ってたのよ」

「え……え??」

「ナギさん、他にお客様もいらっしゃらないみたいですから、お席にどうぞ」

「ありがとう、えっと……」

「ぜひ、ナギさんからお聞きになって」


ティーセットを載せたトレーをナギに手渡し、へ促した。


「ごゆっくりどうぞ」




秘密基地の扉が、そっと閉じた。




「……トロピカルのフレーバーティーだ」

「たぶん、ナツミのために用意してくれたんだと思う」


目の前に座る幼馴染は、いつかと変わらない様子でお茶を飲んでいた。


――ああ、時が巻き戻ったのだと錯覚しそうになる。


「あの……ずっと待ってたって、どういうこと?」


ナツミは嫋やかな仕草でティーセットを置き、ちいさく息を吐いた。


「ご近所さんのおうちで起きたことよ、私の耳に入らないとでも思ったの?」

「あ、え……?」

「私……ナギが弱音を吐いてくれるのを、ずっと待ってたのよ」


ぽとん。


ぽつり、ぽつり、涙がこぼれた。

海色のセーラー服のスカートが、いつかのコンクールの水玉みたいになっていく。


そうだった。

ナツミは誰かを嫌いになるような子じゃなかった。


「ところでさっきの子大丈夫かしら、ちゃんとごはん食べていけるのかしら」


そうだった。

ナツミはそして、誰彼構わず世話を焼くタイプだった。引っ込んだ水玉と、代わりに浮かんでくるいつかの笑顔。


「話したいことが、いっぱいあったの」


先生が亡くなって。

ナツミの家が学校のある都会に引っ越して、ご近所さんですらなくなって。

自分自身でさえ音楽から遠ざかって。

それが寂しかった。

この街からピアノすべてがなくなってしまったような気さえしていた。

この街から音楽を奏でる人間が消えてしまったような気さえしていた。


そんなことはなかったのだ。


「……私いま、少しずつ、リハビリしてるの」

「……うん」


変な出会い方をしてしまったばかりに、まったく仲良くなどなかったミユキと、ここまでの話。

今はもう、何か運命めいたものさえ抱いている。

部分的にだけれども、同じ星が宿っている気さえしていた。


「ちょっと妬けちゃうな」

「ナツミが?なんで?」

「私では……そんな風にナギの手を引くことが、できなかったと思うから」


きっとそばにいても、残酷な優しさで完全に諦めさせてしまうか、ただひたすらに熱血に背中を叩き続けていただろう。

そんな、ニュートラルな状態を保ちながら隣に居続けて、必要な時だけ手を貸すことなど。


「ねぇ、私の金賞を聴かせてくれる?」

「……私の金賞が、伴奏をしてくれるなら」


ミユキの作った空気で満ちていたから。

ナツミがずっと変わらない優しさを持っていたから。


まるで、夢の中にいるように。

春先のアイスクリームのようになめらかに、喉は歌を紡いでいく。


なんの祈りだろう。

なんの願いだろう。

なんの感情だろう。


そんなもの。

歓喜《よころび》に決まっているのだ。



(星が。ひとつだった星が、渦巻く銀河になったのね)










「お茶をありがとう、ミユキさん」

「お話はできたかしら?」

「えぇ……ナギのことも、本当にありがとう」

「わたしはなにも、ナギさんの頑張りなのだわ」

(よかった、どっちもにこやかだ)


ナツミから差し出された手を握り返し、ナツミとミユキは握手を交わした……のだが。


「やっぱり細いわ、ちゃんと食事は摂っているの?創作活動に体力は必須事項よ、姿勢はとても良いから腰の心配はなさそうね!絵を描くと聞いていたから、そこが心配だったのよ」

「な、ナツミ……」

「あら、お気遣いありがとう。だけど、大した問題はないのだわ、この間少し入院したので筋力が一時的に落ちているだけなのだもの」

(あのナツミをうまくあしらっている……!)


こうしていると年頃の娘(ミユキ)とその母親(ナツミ)のようだ。

あんたほんとに大丈夫なの?これこれそれがあれで……くどくど……。

ほんとに大丈夫だったらー。お母さん心配しすぎだしー。

そんな感じの。


「よし!色々と心配も消え去ったし、嬉しいこともあったし、私はそろそろ帰るわね!ミユキさん、おもてなしありがとう!長々とお邪魔しちゃってごめんなさいね……」

「いいの、ナギさんもとてもうれしそうなんですもの」

「これからもナギのこと、よろしくね……あ、そうだ、あとこれナギに」

「え?」


夏の色でラッピングされた、紙袋。


がさがさと開けてみると、ひまわり模様のタオルハンカチと、クッキー缶が入っていた。

「ナギ、誕生日でしょ?25日、10月の」

「………………あぁ!!」

「当日平日だし会えないから、今のうちに渡しておくわね」

「お……お誕生日……?」

「あ、そっか、秋生まれとしか話してなかったっけ?」

「明後日じゃないのッッ!!!!」


ミユキ最大の事件、勃発なのであった。







「と、いうわけで!」

「ナギさんのお誕生日会についての打ち合わせを緊急で始めます、議長の海淵です」

「書紀のミナトだよ〜」

「お嫌でなければ、皆さんのお誕生日も教えていただいてよろしくて?」


各自から朗らかな声が挙がる。


「えーと、ミナトさんが2月8日、メルさんが8月6日、マリンさんが12月16日、と」

「ミユキちは?」

「わたしは12月の14日なのでマリンさんとご近所さんなのだわ」

「どっちも平日だし、間を取って15日の放課後に合同でやろっか!」

「ちょうどいいね」

「ありがとう、でも今は急ぎナギさんの件なのだわ」


他は呑気だが、ミユキだけがあわあわおろおろと慌てふためいていた。


「いやぁ、自分でも文化祭の準備に夢中で忘れてたし」

「文化祭最終日と重なってるから、打ち上げと合わせて豪勢にやっちゃおっか!」

「打ち上げ!えっと、は、花火とかお打ち上げになる……?お祝いに……」

「花火は打ち上げません」

「各自色々持ち寄ってどんちゃん騒ぎしよ〜!」

「よ〜し!話もまとまったことで明日の文化祭も楽しむぞ〜!!」


こうして文化祭初日は無事終了したのだった。


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