第23話 つかのま・すいーとぽてと
「あら、それではノワキさんは今日、お風邪を召されて学校自体をお休みなわけね」
「そうだけど……アンタたち、あんなことがあったのにノワキと仲良くしてんの?」
若芽はノワキの不在を問うミユキを気味悪そうに見た。
大丈夫です、ナギたちも同じ気持ちです。
「いいえ、今日は滞りなく打ち合わせが進みそうだと思いまして」
「あぁ……それはそうでしょうね」
「ちょっとせんせー!猪狩せんせーは何してんの!?」
「あの子を野放しにしないでほしいんですけど!」
「向こうの子たちからも苦情が出てるんだから仕方ないのよ!」
「実害を被ってるのはこっちなのにどうしてこっちが我慢して受け入れなくちゃいけないんですか、ってこれ前も言いましたよね!?今度はどう取り返しのつかないことをされるかわからないっていうのに!!」
若芽はわざとらしく時計を確認し、話は終わりだと去って行った。
逃げたのだ。
「ミユキ、なんでノワキのこと気にするのさ」
「確認しただけよ……だって、彼女はきっと、ほしがるでしょうから」
でも、ここには5つしか存在しないのだもの。
そういってミユキは、胸元から鈍く光る銀色の鎖を引き出した。
重厚な金属が擦れあう音をさせ、それらは現れる。
別の鎖に通されながら、ナギ、マリン、ミナト、メルに手渡された。
古いような、新しいような、花を象ったようなアンティーク調の鍵だった。
見た目以上にずっしりと、頑丈が過ぎるほどに作られているようだ。
花の中心に誂えられた石だけが、それぞれ違う色を発している。
ナギは燃える夕焼けみたいな色、マリンは春先の海みたいな色、ミナトは南の島の海みたいな色、メルはとろりとした蜂蜜みたいな色。
「きれいな鍵……でもなんの?あ、美術室?」
「いいね、鍵かけちゃうの!」
「いいえ、これはその隣……旧・美術準備室の鍵なのだわ」
「準備室なんてあったっけ?そういえば、なんかの扉はあったような気がする」
段ボールと木箱の山に隠された、あずき色のあれは、確かに扉だった。
そうか、あれは準備室だったのか。開けたことがないからわからなかった。
「窓がないから、少し閉塞感があるのだけれど……それでも少しは気休めになるかと思って」
重すぎる箱たちの間には、ひと一人がやっと通れるほどの隙間道。
まあ、言うまでもなく、ノワキでは通れないだろう。
「内からも外からも、この鍵でしか開けられず、閉めることもできない」
扉だと認識できなかったのも仕方ない。
外側にはドアノブがなく、鍵穴すらもスライド式の金属板によって隠されていたのだから。全てが新調されたのか、古い扉にありがちな金属音は鳴らなかった。
ただ静かに、ひっそりと静かに、夢から覚める瞼のように、ゆっくりと開いた。
「ほんとうは……仲間外れみたいで、よくないのだけれど……また、いじめだって言われそうで……本当はいやなのだけれど……どうしても、ね……」
ミユキは疲れ切った表情で、深く息を吐いた。
ああ、ミユキは気にしている、たしかに気にしている。
次に何をされるかわからなくて、ずうっと気にしている。
杞憂だとか被害妄想だとか、そういうものじゃなくて。
ある程度の心の準備や覚悟といったものだろう。
そうしなくては、意識外から刺された時の痛みや衝撃が大きすぎて耐えられない。
ああ、この先も耐えなくてはいけないのだろうか。
嫌なことをされて、嫌だと言ってはいけないのだろうか。
相手がひとりなら、何をされても拒否してはいけないのだろうか。
片方の頬を打たれて、もう片方も差し出せと、本気でそう言っているのだろうか。
何をされても笑って許せと、そんな残酷なことを押し付ける気なのだろうか。
笑って許してを繰り返して、それでも気にするな、受け入れろ、と。
それこそ、やった方が得をするだけじゃないか。
いじめというかわいい言葉で包んだだけの犯罪行為を、助長しているじゃないか。
本当は、若芽だってわかっているのではないだろうか。
「ああ、初動を間違えた」と。
「わあ……!絵本に出てくる家みたい!キッチンもある!!」
「陶芸の道具や材料まで……!」
「この竈、もしかしてマジで使える?」
「
設備が詰め込まれ、好きが詰め込まれた空間がそこにはあった。
あの美術室ほどの広さはないものの、ふつうの教室よりは広さも高さもずっとある。
みんなで打ち合わせができるいつものようなスペースのほか、ちょっとした壁で仕切られたそれぞれの場所まであった。簡易とはいえ、机にベッドにカラーボックスまである。個室を用意とは、ミユキらしい気遣いだ。
空調までしっかり整っているから最悪七輪でサンマを焼いても平気そうだ。
……おそろしくお金と手間がかかっていそうな気がする。
「防音もしっかりしているから、おおきな声を出したりしても問題ないのだわ」
「……ありがとう、ミユキ……いつも、ミユキにばかり負担をかけてごめんね」
防音は言うまでもなく、ナギのためだろう。
ミユキは優しく微笑んで、遠慮するように軽く首を振った。
その優しさに、何か返すことはできるだろうか。
その優しさを、当たり前に享受することだけはしたくなかった。
「少しだけ仮眠をとりたいところだけれど、文化祭まで時間がないものね……時間になったら声をかけていただけると嬉しいわ」
「おやつの時間にもね!海淵さん、ちゃんとおやつ食べないとだめだよ!」
「ええ、ありがとう」
(当たり前、か……作品ぜんぶ、イチから描き直してるんだもんね)
破壊された絵は、一応修復はした。
したのだが、展示するにはあまりにもな出来だったため、ミユキは結局こうして急いで描き直しているところだ。きっと、もうずっと、まともに寝ていない。
最悪、コンクールは見送ると言っていたが、それを聞いた船橋は苦い顔をしていた。
どうも、今回のはそこらの学生用や小規模なコンクールとは色んな意味で「ケタ」が違うらしく、ミユキにとっても諦めるのはものすごく痛手になるだろう、と。
賞金的にも、将来的にも。
「海淵、画材代とか私物関係は全部賞金で賄ってるって言ってたからなぁ……」
だからきっと、今回ミユキの家族は張り切って色々用意したのだろう。
まだ甘えることが許される年齢で、甘えることをしてくれなくなった娘のために。
一番奥に設置された「
絵が抜け出ないように、でもできるかぎりの感情を。
かつ、負の感情は湧いてこないように。
必死に大波に、大渦に、抗うように。
泣きたい気持ちでいっぱいだろうに。
手放したい気持ちでいっぱいだろうに。
投げ出してしまいたい気持ちでいっぱいだろうに。
それでも諦めたくない、と歯を食いしばっている。
彼女はいま、自分のために自分の描きたい絵を描けているのだろうか。
ナギの手の中で、くるみの殻がぎりり、と鳴った。
◆
40分も経った頃だろうか。
旧・美術準備室、もとい、旧校舎のアトリエには、甘く香ばしい香りが漂っていた。
一同のおなかがぐう、と音をたてる。
それは絵に集中していたはずのミユキも例外でなかったらしく、既に青白くなってしまっていた顔をひょっこりと覗かせた。
「この香りは……?」
「スイートポテトのクレームブリュレ風だよー!熱いうちに食べよう!」
「いただきます!」
ああ、チーズケーキの使者さまはスイートポテトの使者さまでもあった。
久しぶりの、のほほんゆったりとした空気に、つい全身の緊張が緩む。
「……ねえミユキちゃん、知ってる?お姉ちゃんたちに聞いたんだけどね、文化祭前になったらさ…………学校に泊まり込み、できるらしいよ」
「ほう……」
「しかも文化祭前10日くらいは準備期間で終日授業なし……全部準備に使ってOK」
こそっと呟かれたそれに、ミユキは無表情のままで瞳だけをきらきらに輝かせた。
(そうか、ミユキもそういうの、好きなのか)
「泊まるんなら、晩ごはんもここで食べることになるのかな?なら、この近くのスーパーに買い出しとか……あの辺とかいつもパスタ麺の安売りしてるよね」
「ソースは向こうのピザ屋さんで買うのが美味しくてお得だよ!」
「牛乳も安いから、買いだめしてこの冷蔵庫に入れておいてもいいし」
「じゃあチーズケーキの貯蔵もいっぱいしていいってことか、みんな好きなだけ食べてね!チーズケーキのバイキングでもやろっか!」
「寝る前にホットミルクも飲んじゃお」
ミユキから発せられるきらきらが増していく。
星でも散っているみたいだ。
「毛布持ち込んで、雑魚寝でもいいよね」
「あ、ウチ、ねこ飼ってるからねこの毛いっぱいついてるかも……今更だけどみんなアレルギーとかヘーキそう?」
「あの白いねこちゃんね……!?むしろ大歓迎なのだわ……!」
輝いている。ミユキの輝きが旧校舎のアトリエ内に満ちている。
ナギはみんなにもミユキのきらきらが見えているのか少しだけ気になった。
◆
「ねぇ~みんな最近どこ行ってるの~?仲間外れダメなんだよ~?」
「うわ、ノワキ」
「あ、アタシもナギのこと呼び捨てしちゃおっ」
「うわ、ノワキサン」
「アタシはもうナギって呼ぶも~ん!」
みんなが美術室にいないこと、そして誰もいない(ようにみえる)と鍵がかかってて入れないし鍵も開けてもらえない(なぜなら書類上、部外者なので)こと。
風邪で休んでいる間に何かが変わったことを察したらしい(こういう時だけ)ノワキが、甘えるように、文字通り、擦り寄ってきた。
それを引きはがしながら、ナギは眉間に寄った皺を隠さないまま、言った。
「ノワキサン、せめて自分のした悪事に対してくらい、ちゃんと謝ったら?正直、あれだけの悪事をしておいてそういう態度なの、見てて気分が悪い」
ノワキは俯いて、もじもじと手遊びをしている。
「だ、だってアタシ……人見知りだし……友達だって思ってたのに……」
「今、そういう話してないし、謝罪に人見知りとか関係ないから」
「ナギはそういうこと……簡単に言えるくらいだから……そうやって言えるけど……アタシみたいに感受性が高くて繊細な子だと……一言いうだけでも……ものすごい勇気が必要なんだよ……?」
(その理論でいくと私が鈍感で図太いってことになるが?)
ノワキはもう何も聞こえていないようで、自分の世界に閉じこもってブツブツもごもごと言い訳を呟くだけの物体になってしまった。
「アタシは妖精なのに……ガラス細工みたいなのに……アタシはすっごく傷つきやすいのに……みんなから傷つけようとすぐ目を付けられる……」
そうやって見当違いで的外れな正当化をしなくては、保てないのだろう。
自分を必要以上に上げ過ぎて、他人を執拗に下げ過ぎなければ、耐えられないのだろう。そうしなくてはならないと気付いているということは、ちゃんと心の奥底では理解しているのだ。自分の程度や周りの程度、現実、そして真実を。
「アタシはそこらに転がってる岩とは違うんだから……みんながみんな、ダイヤモンドみたいにできてないんだから……アタシは6月生まれらしく、ムーンストーンそっくりなんだもん……白くてきらきら綺麗で透き通ってて……それでいて傷つきやすくって……いっつも周りに傷つけられてばっかりで……割れちゃうんだもん……」
「硬い石の代表とされるダイヤモンドでも、ムーンストーンと同じように劈開性を突かれればガシャンと粉々になるものだけれどもね」
「ギャッ!?み、ミユキ、ちゃん……」
(ちょっと幽霊じみてきたよ、ミユキ……)
爛々と目を光らせた(二重くらいの意味で)ミユキが、ノワキの背後から現れる。
「わたしが席を外している間に、とてもたのしそうなおはなしをしていたのね」
「た、たのしいお話じゃ、ないし……」
「でもあなた、ご自分のことを褒め称えている時、たのしそうだわ、いつも」
「い、いつもってなに!?てかミユキちゃんとちがって自分のこと別に褒め称えたことなんかないし!」
「いや、これでもかってくらい褒め称えてたし、ミユキとちがって、は余計でしょ」
「ほらまたそうやってアタシを傷つける!!!!!」
鼓膜に深刻なダメージを受けた気がする。
金属音が鳴り止むのを待って、ノワキを見据えた。
「あなたはムーンストーン、なのね」
「え、いや……だって……」
自己称賛の詳細を覚えられていたことに恥ずかしく(今更!)なったのか、またもやその巨体をもじもじとさせた。
「じゃあナギさんは?わたしは?ほかのみんなはどんな石?」
「え、え?なに?え?」
「たとえ話がお好きなのでしょう?わたしたちはどんな石にたとえられるのか気になったまでの、他愛のないおしゃべりのつもりなのだわ」
水面を泳ぐ鳥みたいに、ミユキはノワキの周りをぐるぐると歩いた。
もしくは、自分の推理を整理しながら披露する探偵のように。
「えっと……ナギはなんか、岩っぽい……」
「岩ってアンタ」
「マリンは、墓石っぽいし、ミナトはその周りにある白い砂利っぽい」
(例えがひどすぎない……?)
「メルさんは?」
「……アタシよく知らないモン、その子……苦手だし……」
「じゃあ、わたしは?」
ナギは、ミユキがどんなひどいものに例えられるか聞きたくなくて、大きめのため息をついた。傍から見ても、ノワキがミユキを嫌っているのはわかっていた。
それが恐らく、嫉妬や羨望によるものからということも。
「……セレスタイトか…………エンジェライト」
石に興味のないナギには聞き馴染みのない言葉だったが、おそらく意外なものであることは、ミユキの表情から見てもわかった。
「……ノワキさん、天然石が好きなのね」
「…………うん、笑われそうだけど」
「なぜ?」
ノワキは泣きそうな顔をして、また俯いてしまった。
ミユキはいつもの顔に戻って、ぼうっと、暮れゆく空を見送っていた。
「笑わないわ」
ノワキはその一言に顔をくしゃりと歪ませ、ナギもミユキも置いて帰ってしまった。
「ミユキ、あれは……どういう?」
「……ただね、対話をしてみたかったの」
「対話を……」
「……やっぱり、価値観も、考え方も、とても合いそうにはないのだわ……だって、ナギさんたちはもっときれいで透き通った石をイメージしていたし……」
ミユキの首から提げられた鎖が、するすると引き出される。
揃いの鍵に、違いはひとつ。
ナギはファイアオパール、マリンはアクアマリン、ミナトはフローライト、メルはアンバー。
「あんなきれいなものに、たとえられるような人間じゃないもの、わたし」
ミユキの鍵についた石は、真っ黒いそれだった。
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