シカイの飛

五味

第1話

「いけないもう行かなくちゃ!」


はヒロモロを引っ掴んで、まるくてひし形の家を飛び出した。

今日も空でミジロが「カランカラン」と鳴きながらクルクルと回っている。声を掛けたら多分、中身がひっくり返ってしまうだろう。


「どうしよう、昨日の夢は鍾乳洞だったから晴れになる…困るなぁ、ただでさえ目盛りが安定しないのに…」


ボロはくしくしと目を擦り、靴底と靴の上部がギリギリ皮一枚で繋がった靴をかっぽかっぽと間抜けな音で鳴らしながら早足で歩いた。隙間からは穴の空いた派手な靴下がベロみたいに覗いている。


「ヒロモロも湿気ってるし…はぁ、今日は運が悪いみたい。晴れだし…」


焦っていたボロはふと、自分が持ってきたヒロモロが全ての中で1番惜しいことを再確認すると、灰色のスイッチを入れるとそれをパクつき始めた。


今日もは平和である。

ボロはリバリのだった。

繕い屋はリバリの誰よりも早くに起きなければならない。しかしこのボロは酷く朝寝坊が大好きだった。


「ぁあぁ。きっと今日も、ピンにバカにされる」


ポロポロと口の端から呻いているヒロモロを零しながら、ボロはピンの叫ぶ「ころ野郎!」を思い出した。

しかしもう、道は短くなっていたので、ボロはヒロモロを内に押し込むと「えへんえへん」と咳き込んでその扉をくぐった。


「こんにちは、繕い屋のボロです」


見回したの室内には、勿論誰もいない。ボロが繕い屋であり、繕い屋は早起きでなければいけないためである。違わない。そうだからだ。


ボロはパチパチと手を叩いてからくるりくるりとその場で3回回って、目をぱちくりとさせる。そしてアオーンとガラスを震わせる遠吠えをすれば、昨日の仕事を終わらせることが出来るのだ。


「なぁヒロモロ、今日はなんだか不自然だ」


ボロの体内でぎゅうぎゅうになって詰まっているヒロモロが「ピィ」と返事をしたが、それはもしかすると左右が違っていた。いや、まだ着けていないのだったか。


「ヒロモロ、窓がサ色なんだ。サ色は3年前に違うことになって…あれ、なんだっけ?ああそう。ビドロだ。」


どうやら窓の色がビドロらしい。しかしボロは片目だったから、その色が窓の奥のものなのか、手前のものなのか判別がつかなかった。ただ、ボロは窓がビドロだと思ったので、ボロはキリの窓がビドロになってしまったと信じ込んでいる。


「おかしいなぁ。ビドロって法律違反だろ?先生が変えたのかなぁ。それとも…ううん、これはボロが解決していいものじゃないなぁ。うん。そうだ。ボロはボタンを落として下を探したから、窓なんか見れないってことなんだ。わかった?」


ヒロモロは「テテン」とボロの胃の内膜を叩くと、ぐるりと身を捩ってみた。特に出られそうではなかった。


夜が走って来た。すると沢山がキリの扉を続々とくぐった。その中にはピンが居て、ボロを見る度ささくれを解いてポケットにしまった。ボロは嫌な気持ちになった。ボロはささくれなんて持ってなかったから、ピンはわざとボロを見るとささくれを解くのだ。


「ピンはです」


煮詰め屋は正しかった。煮詰め屋はいつも正しいから、ボロは誰の前でも「ころ野郎」だった。ころころのころっけ野郎だった。


「やぁころ野郎。昨日はよぉく眠れたか?」

「ピン…ううん…鍾乳洞の夢を見たよ」

「鍾乳洞!!通りで外が鬱々としてると思った!お前の靴みたいな底抜けの空だぜ!!」

「ボロの靴はまだ底抜けじゃないよ」

「いいや、切って捨てりゃ底抜けだ。」

「だって。ヒロモロ。ボロってそんなに靴が底抜けに見える?」


ヒロモロは「ナン!」と強い意志を示した。しかしボロにとってそれは穴だらけの机上の空論だった。机に穴が空くと水が漏れる。

つまりは夏目槍だった。


「ひぃひぃとなかなか外れないな。お前はなんでまたヒロモロを食っているんだ。可哀想だろう。出してやれよ」


ピンがピクリと片眉を動かしてスンと鼻を鳴らす。ボロはそう言われては弱かった。ヒロモロを入れていないと腹が減るのだ。


「ヒロモロの気持ち、ピンは味わえないだろ…」

「お前みたいにころ野郎じゃないから、ヒロモロを食べやしない。ヒロモロは力無いことで満たされるものだろう」


ボロが負けたところで、バラバラバラと時計の針が入れ替わった。そしてその中からが出てきた。


『先生、リンゴの種!』


みんなが声を合わせて叫んだ。ピンはニコニコと笑っていたし、ボロは床の模様を目で追って、最終的に壁にぶつかった。ボロは回った目を瞬かせてやっと視線を上げた。


「こんばんは、みんな。…今日はよく晴れたいい天気だ。きっとボロが鍾乳洞の夢を見てくれたからだね」


「……晴れがいい天気…?そうなのか?ボロ」

「うぅーん…ボロはそうは思わないけど…先生が言うならそうかも」


ピンの小声にボロは眉を八の字にして唸った。はとっても変わり者だったから、ボロにもピンにもその筒の中は分からなかった。

だが、今日も先生は真剣な笑顔なので、キリのみんなは先生の言葉に否は返さないのだ。


「あれ?ヒロモロ?」

「食われるのに飽きたんだぞ」

「違うったら…どうしたんだろう」


お腹から聞こえる「テテテテテ」という声にボロは困った。つまり、やはり、カエルに蓋を送ったのが不味かったのかも。


「ボロ?」


先生が音に気がついてボロを見て、ボロはびっくりして肩を揺らし、おへそを隠した。


「あーぁ、ボロ怒られるぞ!俺は知らない。じゃ、仕事があるんだ」

「えっ、ピン!」


硬い先生の足音が、ボロはあまり好みじゃなかった。まるで金平糖みたいだったから…。


「どうかしたのか?ボロ」


「う、先生…」

「別に怒ってないさ。気になっただけだよ」

「うーん…うーん…ヒロモロが…」

「うん、ヒロモロが?」


促す先生に、ボロはとってもビビビッビビービが食べたくなった。ヒロモロの大好物だ。


「天井に見える埃が、弾けて馬になっちゃうって言うんだ…」


「ビャボロ!!」とヒロモロが否定したが、ボロにそれは関係なかった。先生は生真面目にその言葉を受け取り「ふむ」と天井を見上げた。


「!」


そして先生は、ビドロを見つけた。


「ボロは馬が怖いです。だって蹄は不完全だから…」

「そうか、じゃあ馬は先生が馬は倒すから、ボロは仕事を始めてくれるかい」

「倒しちゃダメ、星が沈んじゃう」

「…わかった。じゃあ帰ってもらうかな」

「うん。そうしたら嬉しくなる。じゃあね、先生、仕事頑張るね」

「ああ」


ボロは与えられた机の上に座ると、グッピーが運んできた布が隣で重ねられていくのを見上げた。そしてその1番下を引っ張って、それを見た。


「わぁロバ…ボロをなんだと思ってるのさ」


ボロは途端に不機嫌になって、ぶつくさと文句を言うとおへそからヒロモロの欠片をちぎって、ロバのニットの袖口を埋めた。最近はこれがリバリで発見されたのだ。だからボロはそれを繕うのだ。


「キイヲタベル」

「あっテネ!ご苦労様!」

「キイヲタベル」

「うん、ヒロモロも元気だよ」

「キイヲタベル」

「ね!ホホロも見たかったね」


はミジロ型のロボットで、。そしてボロとホホ仲間だ。テネは羽をギィギィバタバタさせて目を見開いた。ボロはそれを見て頷いた。


「キイヲタベル」

「うん、じゃあね」


テネはとても忙しくて、歯が逸れるくらいに忙しかった。ミジロは歯がないし、テネは紐で結ばれているから逸れないのだけれど。


ボロはテネの背骨を見送って、高く高く積み上げられた布を見て息を吐いた。これをこなさなければ、ボロは明日になれないのだ。


ツマツマ…とおへそからヒロモロの欠片を取っては、ボロは布を繕うのを続けた。そうして集中していると、「ピピポン」とヒロモロが感嘆を上げた。


「上?」


ボロは上を見上げた。吹き抜けから見える2階の通路には、窓を見ている先生が居た。勿論窓はビドロだ。ビドロは「ピチャリ」と泣いては蠢いている。先生はなんだか、それを見て顎に手を当てていた。目は見えなかった。


「先生はいつもグルグルだね。ヒロモロと一緒…あっ、でも、ヒロモロの方が先生よりザラザラしてるかな」


ヒロモロはモチモチだったので、それに「チーガッパ!」と抗議してみたが、ボロはそれを冷たいものだと思って、ヒロモロをちぎった。


しばらく仕事をしていると、パチパチと布が弾けて消えたので、「あっ」と仕事が終わったのだと理解する。


ボロは机から降りると、机のキャビネットの蝋を剥がして、ぎっしりと詰まった本を1つ取り出してパクリと齧った。そこでまだヒロモロを食べたままなことに気がついて、ボロは間違ったなととりあえず口からヒロモロを引っ張り出した。「ピギア」とヒロモロが出てくるなり、ヒロモロは小さな手でえしえしと毛繕いをし始める。


ボロはそんなヒロモロを小脇に抱えると、本をもそもそやりながら先生を探す。


「いない…。もういっか。先生!さようなら!」


ボロは本を自身の口に押し込んだ後、机の中の本を何冊もぎゅうぎゅうとヒロモロの口に詰めた。


キリの扉を閉めると、バチバチと火花の散っている空に見下ろされて、ボロは不愉快になった。


朝にあれほど急いだ道を、ボロはノロノロとピチカみたいに歩いた。ヒロモロのよく分からない鼻歌が「リミャリ、ローピカ」と暗い道に響く。それに絡みつくようにボロの足音が、ぱたんこぱたんこと鳴っていた。


「ねぇ」


静かになった。


「ヒロモロ、今日は天気なのにさ、干してる人がいるよ」


プラスチックの電灯に、が干されていた。


「しかもビドロだ…ロバよりも良くない」

「ポチア」

「先生…、うーん…」

「ピ」

「…ボロは、朝にグレープを落としちゃったんだ。でね、それを、探すんだ」

「ロトト」

「うん。」


ボロはペロリと湿った唇を舐めて、ヒロモロを抱え直した。明日は、朝から先生に会えるかも。


まるくてひし形のヒロモロの家は、金平糖の形になっていた。ボロはトゲトゲの中から扉を探し出したが、その扉は反時計回りだった。


「やっぱり浅い!…はぁ…今日は気配りの夢だといいね…」


段々と、端っこが白くなってきた。ボロは寝なければならない。逆さまになった襟は、ボロにしか倒せないのだ。


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