第40話 女同士の話し合い

 任命式と波乱の祝賀会を終えて一月が経とうとしていた。

 何かしらの任務に就くことなく、アストールは王城で平穏な日々を送っていた。だが、それはむしろ、彼女(かれ)にはとても、暇で退屈な日々でもあった。


「あ~。城下町に出たい~」


 自らの部屋にてそう呟くアストールは、自らの体のことを思い出す。


「ああ、そっか。城下町に出たって。喧嘩することも、女抱くこともできないんだな」


 自嘲気味に笑うアストールは、大きく溜息をついていた。


「はあ~。なんだろう。全部が嫌だな」


 アストールはそう言って天井を見上げていた。

 この一ヶ月、アストールは常に考えていた。

 本当の自分とは何か。

 酒を飲み、女を抱いていた頃の自分。あれは、本当に愚かで、尚且つ最低の行為だ。

 そして、何より、自分は弱い。

 女になって、初めて分かったことだ。

 認めたくなくても、エストルとの一件で、嫌でも認めさせられた。


「ああ、なんか。もう、いや」


 考えれば、考えるほどに、自分が嫌になってくる。

 確かにノーラには、正しいことは言っていた。レニにもそれらしいことをしたり顔で言えた。

 だが、実際に自分がそれを実行できていないのなら、それを言う資格は自分にはない。

 平然と偉そうに説教していた自分が恥ずかしく、そして、愚かしく思えた。


「ち、ちぇ! なんだよ、もう!」


 どうしようもない感情のせいで出た言葉、それが虚しく部屋の中に消えていく。


「気が晴れねえな……」


 だからと言って、我武者羅に剣を振るう気にもなれなかった。

 アストールはベッドの上に座ると、仰向けに倒れ込んでいた。


「あー。この体。早く、元に戻さないとな~」


 そうは言うが、何もやる気が起こらない。

 従者のいない部屋の中、呟きが虚しく消えていった。

 そんな時だった。

 扉をノックする音と共に、部屋の外から声がかかる。


「アストール? 私。メアリーよ。入れてくれる?」


 暫く沈黙を守っていたアストールだが、小さな声で言っていた。


「入れよ」


 その声が聞こえたらしく、扉が開いてメアリーが入ってくる。

 いつもの彼女の格好を見て、アストールは少しだけ胸の内が満たされるのを感じた。


「あ、その、何か、用があったってわけじゃないんだけどさ」


 アストールから目を向けられ、メアリーはなぜか照れくさそうに言う。


「なんだよ。じゃあ、出てけよ。俺は今、一人になりてーの」


 彼女の意を汲み取ってやれなかったアストールは、無粋にそう言っていた。

 そこで、メアリーもムッとなっていた。


「なによ。その言い方」

「だって、用がないんだろ?」

「用がない……。こともないの!」


 メアリーはムキになって言うと、近くにあった丸椅子を持ってベッドの近くにおいて座り込む。


「んだよ。それ。変なの」


 そう言うアストールの瞳は、以前の様な自信に満ち溢れた目をしていない。

 濁りきり、何もかもを失ってしまった灯りのともらないランプのようでもある。

 メアリーはそんなアストールを前に、口を開いていた。


「アストール。何か悩んでるんだったら、私に話してよ」


 急な言葉にアストールは、少し焦りつつも、答えていた。


「な、べ。別に悩んでなんかねーよ」


 その様子を見たメアリーは、真剣な表情のまま告げる。


「ああ、そう。なら、イイわ。私、行くから」


 そう言って立ち上がるメアリー。アストールはそれを横目で見る。

 彼女が背中を見せた瞬間に、彼女(かれ)は口を開いていた。


「別に、悩んでなんかねーよ。ただ。ただな。俺は弱いんだって事に気付いただけだ」


 その言葉を聞いたメアリーはその場で立ち止まる。


「まあ、そんなこと気づいたって。どうしようもねーのになー」


 アストールの言葉にメアリーはゆっくりと振り返る。


「やっと、やっと、こうやって真面目に向き合ってくれたね」


 笑みを浮かべるメアリー。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「そうだな。弱いって事に気づいてさ。もう、なんか、全てが嫌になってさ」


 自嘲気味に笑うアストールを見ても、黙ってメアリーは話を聞いていた。


「俺ってさ。武器がないと何もできないんだ。男の時は、もう、体そのものが武器だったしな……。それで俺は強いって勘違いしてたんだ」


 アストールはそのまま天井にむいたまま、呟くように告げていた。


「俺はさ。信念も持ってねーしさ。曲がらない心ももってねー。だからさ、エストル共に襲われた時、怖いって思っちまった。あんな奴らが、怖いって思ったんだ」


 そう自分を卑下するアストールを前に、メアリーは親身になって言葉をかける。


「あんなことされれば、誰だって怖いよ。私だってそうだもの。妖魔に襲われた時だって、あの王立騎士に襲われたときだってそう。でも、ね」


 メアリーはそこで言葉を区切ると、優しくアストールに告げる。


「それでいいじゃない。弱さを知ってるから、強さが何かを知れる。それが、ひいては自分の強さになるじゃない」


 メアリーはそう言うと、アストールのベッドへと腰をかける。


「私、知ってたよ。助けてもらった時から、ずっと、アストールが弱いってさ」


 アストールはそう言われても、なにも言わずに黙ってメアリーの話を聞いていた。


「あの時、妖魔に襲われた時、必死で剣を振るってる姿。余裕があるのに、なぜか目だけは必死に何かを追い求めててさ。だから、あなたの従者になろうって決めた。命を助けてくれた恩返しに、支えになれたらって思ったから。でもさ……」


 メアリーはそう言うと、伏し目がちに床に目を向ける。


「それがある日、急に見えなくなった」


 そう言われた時、アストールの胸がずきりと痛む。

 それはおそらく、エストルに連れられて歓楽街に初めて出かけた日のことを言っている。

 酒で気を紛らわせ、女を抱いて心を満たす。

 そんな自棄な日々の始まりが、その日だった。

 あの日以来、自分の生きる目的が、生きることより、自分の強さを誇示して、他人を近付けないモノへと変わっていた。


「王城にいないのはいつも通りだったけど、あんなことの繰り返しでさ。どうしようもない奴だって、思ったりもした。正直、あんたに付いていけない。そう思う事もあったよ。それでもさ……」


 メアリーは大きく息を吸うと、数瞬の時を置いて続けていた。


「それが支えになってるなら、それでいいとも私は思った。アストールが強くいられるなら、それでいいってさ」


 メアリーはそう言うと、クスリと笑う。


「でも、今はそんな自分が許せないんだ」


 アストールは起き上がると、メアリーの方へと顔を向ける。彼女は涙を目に浮かべて、アストールを見やる。


「だってさ……。支えになるために従者になったのに、全然支えになってないじゃん」


 卑下する様に笑いながらも泣き出したメアリーを前に、アストールは唖然となる。


「そんなに、そんなに俺のことを真剣に考えてくれてたのか……」


 いつも呆れ顔で見たり、自分にじっとりとした視線を浴びせたりしてきていたメアリー。強がって、男勝りとも言われてた彼女が、今、自分の目の前で涙を見せている。

 それがましてや自分のためであるとなると、アストールも引くわけにはいかなかった。

 ここに自分の為に泣いてくれる女性がいるのに、自分はどうだ。

 この一月、自分を卑下して考えるばかりで、くよくよしていた。それこそ、自分が弱いことの証である。


 女を泣かせてまで歩む道など、彼女(かれ)の生き様に反していた。か弱い女性には手を差し伸べ、弱きを助け、強きをくじく。

 師匠に教えられた単純な騎士道の教え、それが今更ながらにアストールの胸のうちで強い衝撃を与えていた。

 もはや、迷ってなどいられない。ここまで思ってくれている人を前に、クヨクヨといつまでも過去を引っ張る訳にはいかなかった。

 何より、アストールは本当の弱さを知ったのだ。であればこそ、本当の強さもその内に分かってくるはずだ。


「メアリー。ごめんな。俺はお前を泣かせちまった」


 一言謝るアストールを前に、メアリーはぽかんと口を開ける。

 彼女(かれ)らしくない謝罪。今の今まで、こんな風に彼から謝られたことはない。

 意外そうな表情をするメアリーを前に、アストールは続けていた。


「その上、まだ、負担かけるかもしれねえ」

「え?」


 アストールの口調に先程までになかった覇気が戻りつつあった。

 彼女(かれ)はしっかりと両手で、メアリーの肩をつかむと言っていた。


「これから、お前を頼らせてもらう。だから、俺の支えになってくれ」


 その言葉を前に、メアリーはぼっと顔を赤く火照らせる。

 それでも、彼女は恥ずかしそうにしながらも、答えていた。


「え、あ、うん。いいよ」


 顔を背けるメアリー。アストールは彼女の顎を、その美しい手で自分の顔を見つめるように向ける。


「メアリー……」


 彼女の名前を呼ぶと、アストールは目を瞑り、ゆっくりと顔を近づけていく。

 それに対してメアリーは、なぜか抵抗する気にもなれなかった。

 女の体でありながらも、アストールは彼女の唇に、自分の唇を合わせようとする。

 メアリーも目を瞑って、覚悟を決める。

 美しい女性である二人が唇を合わせようとした。


 その時だった。


 突然扉が勢い良く開き、それと同時に叫び声が部屋中に響きわたる。


「エスティナ様! 大ニュースです! お仕事が入りま―――」


 ベッドの上の二人を見たレニの叫びが途切れる。

 二人は唇を合わせる前に、慌てて背中を向け合っていた。

 そんな、二人を前に、レニは言葉を失い、しばし呆然としていた。だが、すぐに二人に問いかけていた。


「あ、あのー。今、接吻、しようとしてました?」


 率直な言い方に、アストールとメアリーは言い訳が見つからない。純粋なレニだからこそ、ズバリと聞いてくる。


「え、あ、いやあ、ちょっと、目にゴミがね。入って、とってもらおうと」


 とっさに出た言い訳がそれだった。アストールは自分で言っておきながら、自分自身に呆れ返っていた。


(なんて、無茶で最悪な言いわけだ……。絶対バレるぞ……)


 すかさずメアリーもその言葉に乗ってくる。


「ああ、そうそう。そうよレニ。お姉さんたちは、特別変な仲じゃないのよ! そう、アストールの目にゴミが入ってたから、取ろうとしただけよ」


 明らかに引きつった笑みを浮かべるメアリーに、レニは怪訝な表情を浮かべる。

 しかし、そこはやはり変に純粋なレニ。


「そうだったんですか。よかったぁ……」


 レニは納得したのか、そう呟くように言うと安堵の溜息をついていた。だが、アストールとメアリーは、彼の最後の言葉を聞き逃さなかった。


(よかったってなんだ?)

(今、よかったっていったよね?)


 二人は顔を見合わせた後、レニを見やる。彼は少しだけおどけてみせるが、すぐに本題を切り出していた。


「あ、それよりも、吉報です! エスティナ様! 仕事ですよ、仕事。しかも、あのゴルバ絡みのです!」


 その言葉を聞いた瞬間に、アストールの目色が変わる。


「ほ、本当か。レニ!」

「はい! すぐに新団長の元に行きましょう!」


 アストールはそう言われて、すぐに立ち上がっていた。

 その場を誤魔化したいという気持ちもあってか、アストールとメアリーはレニの後ろについて、新団長の元に向かうのだった。


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