27話 今一度、朝霧涼也は立ち戻る
グランドから離れ校舎まで戻ると、イベント特有の騒々しさは薄れていき人だかりも減っていた。
間もなくお昼時だというのに売店や食堂の周りが混雑していないのは、それだけ各エリアで行われている試合に注目が集まっているといるのだろう。
流し目で見ながら校舎裏のほうまで移動していく。
そこまで来れば人の気配すら感じられなくなり、白い塗装の剥がれが散見する壁に背を預ける。そのまま滑るように腰を下ろせば、抑え込んでいた重苦しいため息がこぼれた。
『誰にも望まれていないのなら、それはただの自己満足で終わってしまう』
前半終了直後に聞いた
警告音付きのエラーメッセージが表示され続けている画面を見続けているような気分だ。
今すぐにでも消してやりたいという衝動と、何かが致命的にかけているという焦燥がせめぎ合って、手付かずのまま時間だけが過ぎていく。
……自分だけが無理をする必要はない。誰もが勝手にやればいいだなんて
かつてと違う点は、その選択をするしないの余地があるというだけでしかない。それは試合が始まるから何度も繰り返し導いた結論で……どうしようもない行き止まりだった。
「――――後半、そろそろ始まるよ。早く戻ったら?」
ピントが定まらない視界のまま放心していると、不意にすぐそばから足音が聞こえてきた。その声音は無遠慮な口振りでありながらも、棘のような鋭さは感じられない。
差し出された右手にはペットボトルのスポドリが握られていて、不格好な姿勢を正そうと立ち上がりながらそれを受け取る。
「……お気遣いどうも。炎天下のサッカー観戦は楽しめてるか?」
「そう見えるなら、鏡を見てきたほうがいいよ。いつにも増して酷い顔してるから」
「勘弁してくれよ。早寝早起きに、三食昼寝まで欠かさない俺が不健康なら世も末だ」
「…………」
他愛のない軽口のつもりだったのだが、どうにも夜宮さんの反応は乏しい。
北沢さんからの依頼を終えた帰り道、浮かない顔のまま言葉を探していたときの彼女によく似ている。あのときは空いた間を埋めるだけで終わってしまいそうになったものだから、適当な場繋ぎで時間を稼いだのだったか。
とはいえ、今回はそこまで悠長な回り道をしていられる時間は残っていない。急かすような言い方にはなってしまうが、話しやすいようにこちらから話を振るべきだろう。
「まるで文句の一つでも言いたそうな顔だな。何か気になることでもあったのか?」
「文句なんて、そんなこと言うつもりはない。ただ……君の様子がいつもと違うように見えたから、ちょっと気になっただけ」
右手で片方の腕を支えながら、夜宮さんは上目遣いでこちらの様子を窺っている。
「……いつもと違う、ね」
――――らしさなんて語り合えるほど関わっていないだろとか、心配かけさせてわるかったとか、そんな台本じみたセリフばかりがすらすらと頭に浮かんでくる。
それらを適当に読み上げるだけで、この時間は何事もなかったように過ぎ去るだろう。こちらが一歩身を引けば、彼女がそれ以上踏み込んでくることもない。
何にも手を加えず、何にも執着せず、あるがままの現状を維持する。問題も確執も存在していない、平穏にただ過ぎ去るだけの日々。
それを求めるのなら、ここで何もしないことが
……そんなことは、嫌というほどわかっているはずなのに。
「仮にいつもと違ったとしたら――――おまえはどうするつもりだったんだ?」
――――受け入れられない。
誰かに望まれなければただの自己満足というのなら、目の前で足掻いている彼女はどうなる?
確かに行動を正当化させるためには、第三者からの評価は必要不可欠だ。だからこそ、俺は
しかし、それはあくまでも手段でしかない。たとえ万人に評価されたとしても、彼女自身がそれ認められなければ、そんなものは
誰に否定されようとも自分がそれを正しいと信じるのなら、求められるのは揺ぎ無い
悪意に晒され、無力さを痛感し
たとえ傷つけるだけの言葉にしかならないとしても、問わずにはいられなかった。
「っ、それは……!」
反射的に答えようとして、夜宮さんは踏み留まるように言い淀んだ。
勢い任せにならないよう、慎重に言葉を選んでいるのだろう。強張らせた頬を緩ませようと一呼吸挟んでから、ゆっくりと口を開く。
「私に、できることは何もない。 ……それは、君が教えてくれたことでしょ?」
「そうだな。今の夜宮さんにこの状況を変えるだけの影響力はない」
「うん、私もそのとおりだと思う。今の私には、何も変えられない。 ……そもそも、この状況を覆せると思っている人なんて、初めからいなかったかもしれない」
――――でもね、と。添えられた一言はあまりに弱々しく、注意していなければ聞き逃していたかもしれない。
「それでも――――私は君を応援するって、決めてるから」
真っ直ぐに向けられた淡香色の瞳は決して揺らぐことはなく、抑えるように胸にあてられたその手は、まるで何かを願うかのように強く握られている。
「だから……最後まで、信じさせてよ。私を信じてくれた君のことを、応援してよかったって。そうすれば……きっとどんな結末でも、受け入れられると思うから」
その願いはおれにとって間違いなく、これまでの日常を破滅させるものだ。
既に完成されている舞台の上から主役を引きずり下ろすだなんて、どれだけ愚かしいことなのか語り手がいなくてもわかることだ。
だというのに……心なしか、冷めきっていたはずの頭が昂ぶりを覚えている。
自分が信じると決めたものを、最後まで手放さない。
それはものを知らない子供の我儘のようで、触れればすぐにでも壊れてしまいそうなくらいに儚くて……どうしようもないくらいに美しく思えた。
――――ならば、この選択に一切の迷いはない。
「………はぁ~あ、なんというか。応援するにしては、随分と後ろ向きだな?」
「なっ――――! 君ね、こういうときまで茶化そうとするのは悪趣味だと思うけど」
吊り上がりたがる口角を誤魔化すように大仰なため息をして、尊大に振舞ってみせると夜宮さんは不機嫌さを隠そうともせずに顔をしかめている。
「茶化してなんかいない、むしろ感心したくらいだ。おかげさまで目が覚めたよ……ありがとな」
「――――そうみたいね、さっきまでの顔がまるで嘘みたい。今の朝霧君、すごく悪い顔してる」
「そこは、いい面構えになったって褒めるところだろ?」
どこか嬉しそうにくすくすと笑う夜宮さんを前に肩をすくめていると、グラウンドのほうからまもなく試合を再開するというアナウンスが聞こえてきた。
「時間切れだな。それじゃあ、試合に戻るよ」
ささやかな名残惜しさを感じながら、彼女の横を通り過ぎる。
「朝霧君!」
そのまま数歩歩いたかというところで、背中越しに呼び止められた。半身だけ振り返ると、夜宮さんはゆっくりと息を吸い込んで――――
「――――ファイト!!」
――――浮雲が通り過ぎ青一色となった空に負けないくらい、爽快な声援を送るのだった。
その声に軽く手を上げて応え、今度こそ振り返らなかった。
グラウンドに向かう最中、手にしたままだったペットボトルの存在を思い出して勢いよく体に流し込む。
「…………なんか、ぬるくね?」
すんなりと喉を通っていったそれは想像していたもの違っていて、水滴のついていないペットボトルを見つめながら首を傾げたのだった。
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