10話 その再会は幸か不幸か。
生徒会室で北沢さんと別れた俺は寄り道することなく最短で第1体育館へ向かっていた。
何事も一度やると決めたのなら文句言わずに黙ってやる方が結果的に万事上手くいくものなのだ。人間その気になれば2クールのアニメを通しで鑑賞し、そのまま朝日が昇るまで語りつくせるほどハイテンションを維持できる優れた存在なのである。その後寝落ちして、気づけば一日が終わっているなんてざらなのだが。
後になって途中で視聴を切り上げればいいものをと反省するのだが、未だにやらかしてしまうんだよなぁ……。言い出しっぺはだいだい涼音なのだけれども、なんやかんや悪ノリしている時点でお互い様だという自覚はある。おかげさまでその手の知識が気づかぬうちに増えていくのであった、慣れって本当に恐ろしい。
放課後になってから30分は経っただろうか。渡り廊下から見える敷地内を流しで一目する限り、生徒が歩いている姿は数人見かける程度のものだ。恐らく残るつもりがない生徒は皆、既に帰路へついているのだろう。俺もその一人になるはずだったのに、いつの間にかそれに逆らう方向へと歩いてしまっている……どうしてこうなった?
とにかくこれ以上の面倒はごめんだと、逸る気持ちに流され足早に目的地へと向かう。
新設された特別棟は本校舎を中心として旧特別棟と線対照的の位置にある。校舎から外へ出て、じりじりと照りつける太陽に体力を削られながらタイル張りの階段を上っていき、その先に見える看板の矢印に従って進んでいけば第一体育館が見えてきた。
目的の倉庫は体育館に隣接しているが、リストを見る限りだと備品の幾つかは館内の倉庫にも混じっているらしい。確認した時点で統一しておけと心の中で愚痴をこぼしてしまったが、もとより俺は部外者なのだがらとやかく言う筋合いはないだろう。
そうして第1体育館の正面玄関までさしかかり、横引きの扉の取っ手口に手を伸ばそうとしたところで――――突然、その扉が勢いよく開かれた。
「――っと、わるい。居るのに気付かなかった」
即座に半歩身を引き、反射で謝罪の言葉を口にしながら正面を見据える。
正面の扉から出てきたのは目つきの悪い男子生徒だった。背丈は俺よりも若干低いため恐らく170センチ前後、学校指定のネクタイをしておらず白シャツは第2ボタンまで開けられている。両手をポケットに突っ込んだ高圧的な態度は、正直見ていて気のいいものではなかった。
「……ちっ。ぼさっと突っ立ってんじゃねぇよ」
不愉快そうに高圧的な男は眉をひそめると、露骨な舌打ちと捨て台詞を吐き捨て横を通り過ぎる。目を合わせることもなければ振り返る様子もなく、男はふてぶてしい態度のまま本校舎の方へと去っていった。
「…………つくづく今日は巡り合わせが悪いな」
今この瞬間に星座占いで最下位と言われたのなら、素直に信じてしまうかもしれない。朝のニュースで12位を呼ぶときだけは毎回ごめんなさいと前置きしているが、幼児の頃はその一言を聞いただけで一種の死刑宣告でもされたみたいに頭が真っ白になったものだ。
今となっては、謝ってるってことは自分に落ち度があると認めるってこと? ん? とか厄介なお客様のようなツッコミをしてしまう有様だ。我ながら歪んでるなぁほんと。
帰りに涼音のお土産を買う時には自分へのご褒美も買おうと決意を固めつつ、開けっ放しにされたままの扉から中へ入り後ろ手に扉を閉める。正面玄関の下駄箱でローファーから貸し出し用のスリッパに履き替えてから、ガラガラと音を立てて開いた入り口を跨いでフローリングの床に足を踏み込んだ。
――――そして、如何に自分が無警戒であったかを突きつけられることになる。
繰り返すことになるが、現在校内に残っている生徒はほとんどいない。加えて今は試験勉強期間中のため、私用公用問わず運動場や体育館といった施設は授業以外での使用は禁止されている。つまり、こんなところにわざわざ用もなく訪れる生徒がいるとはとても考えられないのだ。
であれば、あの男は何をしにこんなところまで来ていたのか? ……その疑問の答えを出す前に、俺は扉に手をかけてしまった。 ……そんな他愛のない選択も時には命取りになるのだと、目の前に広がる光景が告げていた。
照明が点けられたままの広々とした空間、白や青、緑といった色とりどりのラインで区切られたコートの中央には一人の女子生徒が立っていた。どこか上の空と言った様子で、色褪せた表情のまま天井を仰いでいる。
暗色系のミルクティーベージュに染まった髪、人形のように非の打ち所がない容顔にスラリと伸びた手足、些細な衝撃で崩れてしまうような一抹の儚さを抱かせるその立ち姿を見間違えるはずもない。
――――
先週の昼休み、間の悪さやら不幸な巡り合わせやらが交差した結果、色々あってお互いに認知しあう間柄となった。
もっとも、それ以来俺は旧特別棟を訪れていないため、顔見知りと呼ぶにしては少々関わりが薄いかもしれない。けれど、遠目から見ても一目で夜宮霞だとわかるあたり、自分が思っている以上に彼女のことは印象に残っているようだ。
あれは不慮の事故みたいなもので、このまま自然消滅するかと思っていたが、事故と呼ぶだけあってそう簡単に記憶から抜け落ちてはくれないらしい。
俺と夜宮霞との距離は5メートルもあるかというところであり、体育館という
案の定、向こうもこちらの存在に気が付いたのか、こちらへ視線を向けると驚いたように瞼を開く。
……まずい、思いっきり目が合ってしまった。
今すぐに引き返せ、と脳内で警報が鳴り響いている。校舎から距離のある人目を避けた場所、苛立ちを露わにして去っていった男、意気消沈して立ち尽くす女子、そして放課後に男女が二人きりというシチュエーション……ここまでお膳立てされていれば、この場所で何があったのか思い違うはずもない。
十中八九、先程すれ違った男はこの場で夜宮霞に告白し、そして振られたのだろう。あの苛立ち様から察するに、去り際には散々な罵詈雑言を彼女に浴びせたに違いない。一方的な感情が行きつく先は憎悪だと相場が決まっている、それが恋心だなんて浮ついたものならなおさらだ。
さながら、文句を言うだけ言って帰っていく悪質なクレーマーの対応を終えた直後の従業員を見てしまった気分だ。擁護しようにも何と声をかけたらいいものかと、いたたまれない気持ちのまま時間だけが過ぎていく感覚。
これが接客業のプロであったならこの空気を切り替える方法の一つや二つ持ち合わせているのかもしれないが、生憎こちらはバイト経験すらない一高校生だ。当然、気の利いたセリフなんて持ち合わせていないのである。
この場で夜宮霞と関われば間違いなく面倒事に巻き込まれる。そんなことは火を見るよりも明らかであり、平穏無事な日々を過ごそうとしている俺にとって、それは死活問題なのである。たとえこの距離でも、今すぐ全力で走り出せば易々と逃げ切ることはできるだろう。
そんなことはわかりきっているのに、俺はこの場から一歩も動くことができずにいた。天井を仰いでいた
しかしそれ以上に――――ここで目を背けたらのなら。その瞬間に、致命的な何かが砕け散ってしまうのではないか。そんな言い表せられない危うさが、足のつま先から這い上がって絡みついていた。
夜宮さんは狼狽したまま二、三回程不規則な瞬きをした後、一度目を閉じて深呼吸を挟む。そして――――再び瞼を開けたその時、彼女の瞳の奥には怒りとも羞恥とも取れる感情が沸々と湧き上がっていた。そのまま間髪入れずにつかつかとこちらに近づいてくる。
そこでようやく意識が現実に引き戻された。今更無駄な抵抗であると理解していながら、体は反射的に逃亡を図ろうと動き出す。
「…………お邪魔しました」
「待ちなさい現行犯」
誠心誠意に頭を下げ、上体を起こしながら回れ右をした俺の肩はがっちりと彼女の右手に掴まれてしまう。噛みつくように食い込んだ指先は完全に俺の行動を阻止していた。
「って、痛ッたたたっ! おいおまえ! ちょっとは加減しろ!!」
「逃げようとする方が悪い。それがストーカーの現行犯なら当然でしょ?」
「勝手に人を犯罪者に仕立て上げるな! わかった、わかったから! 逃げないから手を放してくれ!」
両手を挙げて降参の意を示すと、夜宮さんは渋々といった様子で肩から手を離す。喉の調子を整えつつ一呼吸を挟んでから、ゆっくりと彼女の方へ振り返る。警戒心は解いていないようで、向けられた彼女の双眸は猜疑心に満ちていた。
「――――それで? どうして君がここにいるの? 弁明があるのなら一応聞いてあげるけど」
「……相変わらずだなおまえは。先に言っておくけど、俺はストーカーでも覗き魔でもないからな」
「何の理由もなくこんなところにまで来るわけがないでしょ。それが君みたいな人ならなおさらね」
「失敬な。おまえが俺の何を知ってるっていうんだ?」
「 ユニークな自己紹介をする変人、無気力の権化、おまけに今日はいつもより目が死んでる」
「余計な一言のオンパレードじゃねぇか。だいだい合ってるからいいけどさ」
というか、目が死んでるのはこの暑さのせいなのだから不可抗力だ。だいたいそれをいうのならお互い様である。相変わらず射貫くような眼光を人に向けやがって、狩人でも目指してんのかこの女は?
……などと、続けざまに喉元まで出てきかけていた悪態を押し殺し、平静さを装おうべく肩をすくめてみせると、夜宮さんは呆れた様子でため息をついた。
「そこは否定しないのね……私が口を挟むことじゃないかもしれないけど、君はもう少し活力を養った方がいいんじゃない?」
「心配しなくても、今の俺は平常運転だ。メンテナンスを挟む必要はない」
「また適当なことばかり言って……結局のところ、君は何しに来たの?」
脱線しかけていたところに区切りをつけると、夜宮さんは腕を組んでこちらの申し開きを聞く姿勢に入る。これ以上の誤魔化しは火に油を注ぐだけだろうと思い、素直に事の経緯を打ち明けることにした。
「仕事だよ。体育倉庫にある備品を確認するよう頼まれたから来ただけだ。それ以外の理由なんてない」
持っていたクリップボードを見せつけるように差し出すと、夜宮さんは怪訝そうにボード上へ視線を落とし、その内容をなぞっていく。そして目を通し終えた夜宮さんは狐につままれたような顔をしていた。
「まさか、君の口から仕事なんて言葉が出てくるなんて…………なんか、違和感しかないというか。こうしてみると、押し売りに来たセールスマンみたいね」
「喧嘩売ってるのかおまえは。悪徳商法に手を染めた覚えはない」
「ごめん、ちょっと言い過ぎた。けど実際、君が素直に仕事を引き受ける姿は想像つかなかったから」
何がおかしいのか、夜宮さんはくすくすと失笑している。警戒心が薄れてきたからか、彼女から醸し出されていた重圧は幾分かましになっていた。
「そうだな、基本的には何を言われようと二つ返事でお断りする自信がある。とはいえ、重役には頭が上がらないのが下っ端の常ってやつだ」
「重役? その仕事、教師から依頼されたの?」
「次期生徒会長候補っていえば、察しがつくんじゃないか?」
「次期生徒会長……あぁ、北沢さんか。確かにあの人から頼まれたなら断れなさそうね。人使い荒そうだし」
「それ、本人の前で言わない方が良いぞ? 面倒なことになる未来しか見えないからな」
「経験者は語る、とはよくいったものね。心配しなくても同じ
「その憐れむような目で俺を見るのやめてくれない? 控えめに悲しくなってくるから」
何が悲しくて話して間もない同級生相手に同情されなければいけないのか、踏んだり蹴ったりもいいところである。さっきまでのいたたまれなさはどこにいったのやら……なんかもう色々と疲れたし、さっさと切り上げてしまおう。
「とにかくだ。俺はおまえに用はないし、おまえも俺に用がない。変な誤解させて悪かったな、それじゃあ俺はこれで」
こうなってはわざわざ逃げる理由もない。早々に仕事を済ませてしまおうと夜宮さんに背を向けて目的の倉庫に向かって歩き出そうとした。
しかし、どういうつもりなのか夜宮さんは手首を掴んでまたしても引き留めようとする。
「だから待てって言ってるでしょ。 ……話は、まだ終わってない」
「まだ何かあるのか? というか。いちいち掴むなよ。逃げたりなんかしないから」
「さっきは逃げ出そうとしていたじゃない。不可抗力ってことで諦めてよ」
「んな実力行使が易々と認められて――――」
振り返り際にそう言いかけて、掴まれた左手首に違和感を覚えた。
……僅かに震えている。視線を落とし確認するだけだとはっきりとはわからなかったが、その震えは間違いなく手首を掴む彼女の右手は伝わってきていた。その感覚が先に見た彼女の姿をフラッシュバックさせる。
調子を取り戻しただなんてとんでもない。やせ我慢をしているだけで、先程感じた危うさが消えたわけではないとすぐに理解できた。
「……用があるなら手短にしてくれ、仕事がまだ残ってるからな」
ひらひらと投げやり気味にクリップボードを振りかざす。肯定とも否定とも取れない、けれど声色には棘が生まれないよう心掛けて答えたつもりだった。
夜宮さんは不服そうに眉を八の字にしていたが、やがてその手を離した。そして考え込むように口元に指先を添えると、彼女はおもむろに口を開く。
「つかぬことを聞くけれど、その仕事が終わった後で何か予定はある?」
「無事に生きて帰るという大事な予定があるな」
「特に用事はないのね、それならちょうどよかった。なら、その仕事が終わった後、途中まで一緒に帰らない?」
「あぁ、それくらいなら別に――――え、なんだって?」
あまりにもさらっと流すように言うものだから適当に返答してしまうところだった。もしかしたら単に聞き間違えただけかもしれないという一抹の不安を解消するために改めて問いかける。
「だから、途中まで一緒に帰らないかって聞いたんだけど? それとも、愚痴に付き合えと正直に言った方が納得する?」
「…………ソウデスカ。それはまた突拍子もない申し出だな」
しかし、どうやら俺の頭は至って正常に働いているらしい。動揺してしまったせいかカタゴトじみた返事をしてしまった。もっともこの場合、いっそのことバグっていたほうが腑に落ちていたかもしれないが。
「このまま立ち話もなんだし、かといって朝霧君も仕事を放棄するわけにはいかないでしょ? その仕事が終わり次第帰るなら、途中まで一緒に帰った方が都合がいいもの」
「あー、……夜宮さんが言いたいことはわかった。念のため聞くけど、日を改めるという選択肢はないのか?」
「ない。君の場合、先送りにしたら忘れたフリをしてなかったことにするのが目に見えてるし」
「まっさかぁ、俺がそんな薄情者に見えるのか? いたって真面目な学生でいるつもりだったんだが、残念だなぁ」
ジーっと、非難するような視線から逃れようとお茶目におどけてみせるが、和らぐどころか一層厳しさを増していく。
「……
「いや必ず行くとは一言も言ってないだろ……」
そう反論してはみるもののご納得いただけないようで、夜宮さんは不満そうに口を閉ざしたまま微動だにしない。
というか、一度も来ていないと断言するあたり、彼女は今日に至るまで毎日あの場所にいたのだろうか? もう一度話す機会を待っていたから……なんて考えるのは、男子特有の都合のいい妄想というやつだな。
――――それはそれとして。先程から引き続き、咎めるような視線を容赦なく浴びせられているわけだが。
「…………………………………………」
いやマジで微動だにしないなこいつ。このままこちらが折れるまで根競べでもするつもりなのか?
段々と重さを増していく威圧感を前に思わずたじろいでしまうものの、逃げるわけにもいかないのでそのまま耐える他なかった。
実際、こうやって圧力をかけられると非常に困る。これなら文句の一つでも言ってくれた方がまだマシだ。
視線が痛いとはよくいったもので、ただ向かい合っているだけなのに俺の心は既に挫けかけている。さながら、毒によるスリップダメージを受け続けているかのようで、俺のライフゲージはとっくに赤く染まっていた。
「……そういえば、返事は “はい” か “イエス” のどちらかしか受け付けてくれないんだったか。だったら、そもそも断り様がないな」
結局、根負けした俺にできることは悪態交じりに白旗を振るくらいのものだった。
「――――ふふっ、何それ? それなら最初からそう言えばいいのに。本当に仕方がない人だね、朝霧君は」
しかし存外嫌な気はしなかったのか、破顔した夜宮さんはどこか楽し気に頬を緩ませたのだった。
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