泣かせない季節

月井 忠

一話完結

 僕には三つ下の妹がいる。

 名前はサユリ。


「お兄ちゃんが、ぶった~」


 サユリはすぐに泣く。


 すぐにお母さんが飛んでくる。


「もう! どうしてダイちゃんは、そうやっていじめるの!」

「違うもん。いじめてないもん!」


 サユリはずるい。


 泣けばお母さんが助けてくれるって、知ってるから泣いてる。


「お兄ちゃんでしょ! 優しくしてあげなさい!」


 好きでお兄ちゃんになったわけじゃない。

 お母さんは、いっつもサユリをかばう。


 サユリはずるい。




「わぁ~! お兄ちゃんがケーキ食べちゃった~!」


 僕は慌てて口を拭いた。


「もう! ダイスケ! サユリの誕生日にまで泣かして! それでもお兄ちゃんなの!?」


 この日だけは少し反省した。

 サユリに悪いと思った。


「わかったよ! 誕生日じゃなければいいんだろ!」


 それから僕はサユリの誕生日が近づくと、いじめなくなった。


 でも誕生日が過ぎたら、またいじめた。


「サユリを泣かせないって約束したでしょ?」

「誕生日までは、泣かせてないもん! それ以外はいいんだもん!」


「そんな屁理屈言って!」

「リクツだもん!」




 中学に上がってすぐのこと、妹を殴ってしまった。

 平手にするつもりだったけど、うっかり殴ってしまった。


 生意気な口をきいたアイツが悪い。


 でも、妹の口から血が滴った時、俺は後悔した。


 俺はもう子供じゃない。

 腕力も子供じゃない。


 その後、妹はただじっと俺を見た。


 睨むでもなく、感情のない目で俺を見た。


 両親が帰ってきても、妹は殴られたことを言わなかったみたいだ。


「あんたたち、なんかあったの?」


 俺はギクリとした。


「うっせえ」


 クソばばあ、と言いそうになって止めた。


 妹の前でそれを言うのもためらわれた。




 大学入学を機に上京し、一人暮らしを始めた。


 お盆と正月に帰省するだけで、妹ともその時ついでに会うという程度になっていた。


 俺は妹のことを「おい」と呼んだ。

 妹も俺のことを「ねえ」と呼んだ。


 兄妹なんて、こんなものだと思った。




 入社してからは、とにかく忙しかった。


 帰省しない年も何度かあった。


 地元の友達はほとんど上京していて、帰省しなくても旧友たちとは会えた。

 故郷は遠のいていった。


 そんなある日、妹からメッセージが来た。


「今度、結婚することになったから」


 たったそれだけの質素な文言。


 母に呼び出され、一緒に相手の男と会うことになった。


 相手は妹の三つ下の男だった。


 どこか頼りない感じのする男だった。


 今どき、親が結婚に反対するなんてことはない。

 ましてや兄が妹の結婚に口を出すなんてことは、そもそもない。


 多分、帰省しない私を呼びつける口実だったんだろう。


 私はただその場にいるだけだった。


 両親が席を立ち、妹も外した。


 相手と二人きりになった。


「妹を頼む」


 場をつなぐための言葉だった。


「はい! 任せて下さい!」


 男は突然大きな声を出した。


「なになに?」

 妹が顔を出す。


「なんでもない」

 実際、なんでもなかったんだ。




 結婚式があった。

 妹の誕生日の日だった。


 新婦の兄という立場で参列しても面白いことなど何もない。


 その場には新郎と新婦の友達ばかりで、私の知り合いはいない。


 両親と話すしかないが、母は泣いてばかりでそれどころじゃないし、父はガチガチに緊張している。


 私は一人で、誰とも話すことなく、ただやり過ごした。


 式が終わり、会場を後にする。


 外には妹と相手の男がいて、見送りをしている。


 俺の番が来て、二人の前に立つ。


「ひどい顔だな……せっかくの化粧が台無しだぞ、サユリ」


 彼女の顔には涙の跡があるけど、実際はそんなに台無しということはない。


「お兄ちゃんに……言われたくないよ」


 こうして互いの顔を見て、互いを呼び合うのはいつぶりだろう。


 昔、私は妹のサユリをいじめて泣かしていた。


 彼女の誕生日が近づくと、いじめるのをやめた。


 泣かせない季節があった。


 こうしてサユリに泣かされる日が来るなんて思いもしなかった。

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泣かせない季節 月井 忠 @TKTDS

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