12月31日『病院での目覚め』

12月31日『病院での目覚め』


“心地よい夢の中に居た……暖かい空を舞っているような、そんな夢だ。

 俺は蝶になっていた……自由に飛び回り、甘い蜜を吸う……そんな心地よい夢だった。


 ……夢なのだろうか?俺は本当は蝶なのかもしれない……”


 ……目覚めると、見慣れない天井が映る。いつもの木目の天井では無い、所謂石膏ボードと呼ばれている無機質な天井だ。まるで天井に小さな虫が張っている、そんな風に見えなくも無い……


 ふと視線を横にずらして見ると、水の入ったパックがチューブに繋がれている。点滴だ……チューブの先を追っていくと俺の左腕に繋がれていた。


 朦朧とした意識で周りを見てみる。天井から吊るされているカーテンに仕切られていた。いつもとは感触の異なるベッド、真っ白で清潔なシーツ、此処は病院か?朦朧とした頭でそんな事を考えていた……


 俺はプラスチック製のマスクを付けている。これは酸素マスクなのだろうか?線に繋がれたマスクを追って見ると医療機器に繋がっている。

 意識は少しづつはっきりとしてくる……俺は右手を上げようとしてみた。

 すると右手に激痛が走る、見てみると俺の右手は包帯で巻かれ、動く事は無い……痛みは意識を覚醒させた。


 右手だけでは無い……両足にはコルセットが巻かれ、痛みは右手から全身に広がる……曖昧に感じる痛みでは無い……耐え難い程の激痛なのだ……


 カーテンがゆっくりと開かれていく。入ってきたのはカルテを持った女性の看護師であった。看護師は俺を見ると驚いた表情を見せ声を掛けてくる……


「夢見さん……夢見さん……わかりますか?」


 俺の顔を覗き込み……仕切りに声を掛けた。看護師は俺の枕元にあるボタンを押した後、繰り返し俺に声を掛けてくる。


「夢見さん……夢見さん……声が聞こえてますか?」


 しばらくするとカーテンはまた開いた……次は男性の看護師だろうか?女性の看護師は声を上げた。


「夢見さんの意識が戻りました、手を貸してください」


 2人の看護師に声を掛けられる。俺の意識はゆっくりと覚醒していき、声に反応する。


「……此処は何処ですか?」


「夢見さん……此処は病院のベッドです。夢見さんは1ヶ月以上、意識が無かったんですよ?」


 1ヶ月以上……俺は、どうして此処にいるんだろう……記憶は混濁している。


「夢見さんは団地から転落していたんですよ?覚えていませんか?」


 団地から転落……薄っすらと記憶は蘇ってくる……


 公園……


 ブランコ……


 階段……


 団地……


 屋上……


 景色が1つ1つ思い出されていく……


 ニヤ……


そうだ、ニヤを追っていたんだ……団地の屋上から飛び降りるニヤを守ろうと、俺は団地から飛び降りたのだ……


 俺はベッドに居る理由を思い出した。同時に体を激しい痛みが襲う……痛みの中、意識は遠くなる……


「ニヤは……」


 俺は小さく呟くと、そこで意識は途切れた……



 ……目を覚ますと、石膏ボードの天井が目に入る。此処は病院のベッドだ……起きてすぐに認識出来た。意識を取り戻しつつある……俺は痛みの中、意識を失ったのだ。痛みは薬でも打たれたのだろう……随分和らいでいた。


 カーテンの外に人の気配がした……カーテンが開かれる。

 病室の大きな窓から光が差し込む。光の逆光の中、見慣れたシルエットが映し出された。


「あなた……目覚めたのね……」


 その女性はベッドに近寄ってくる……聞き慣れた声……女性は泣いているようだ。

 

声の主は前妻だった……


「すまない……」


 俺は痛みの中、振り絞るように声を返した。


「あなた……どうして、飛び降りたりしたの?」


 ニヤの事は今は説明出来ない……


「すまないな……」


 俺は繰り返し、謝るしか出来なかった……


「私に避難して、そう言ったの覚えてる?あれはどう言う事?」


 前妻は混乱していた。それはそうだろう……俺はおかしな事を言い残し、団地から飛び降りているんだ。無理も無い……


「いつか、君にもしっかり説明しないといけないな……本当にすまない……」 


「私の車を放火した犯人も捕まったわ……」


 車の放火の犯人……俺がやったはずだ……しかし、もうどうでも良かった……あれも夢だったのだろう……


 窓を見てみると、柔らかな光が差し込んでくる。寒空の中、差し込むような暖かな光だ……


 窓際に目をやると花瓶に花が飾られている、おそらく前妻が飾ってくれたのだろう……鮮やかな黄色の百合だった……


 更に視線を移すと壁にはカレンダーが貼ってある。カレンダーは2023年12月のページになっていた。どれくらい意識を失っていたのだろう?


「なぁ……今日は何日だ?」


「今日は12月31日、あなたは1ヶ月以上、目覚めなかったの……私は心配で心配で……」


「1ヶ月以上も……」


 あれから1ヶ月も眠っていたのか……穏やかな心地よい夢を見ていた。そんな気がする。


「とにかく、まだ体は回復して無い、今はゆっくりしてて……私、毎日来るから……」


「ありがとう……すまないな……」


 前妻はそう言うとカーテンの外へと出ていった……


 しばらくすると、カーテンの外から声が聞こえてくる……


「夢見君……夢見君……失礼するよ……」


 この声は会社の社長だ……俺は声を振り絞り、返答する。


「社長ですね……どうぞ……」


 カーテンから社長が顔を出して来た……とても心配そうな表情をしている。


「夢見君、良かったよ……年の瀬に最後お見舞いに来たら、丁度意識も戻ったと看護師から聞いてね……体調はどうだ?」


「社長……ご迷惑お掛けしました。体の痛みは残っていますが意識はしっかりとしています。会社の方はどうですか?」


「会社を荒らした犯人も捕まったようだ。やっと機械が直り、これから稼働するって所だ……夢見君の意識も戻って良かったよ」


「犯人ですか……」


 俺は会社を荒らした犯人が気になった……しかし、もうどうでも良い事だ。あれも俺が見ていた夢だったのだろう……


「とにかく会社の事は気にしなくて良い……今は夢見君、回復だけを考えてくれ、会社にはいつ戻って来ても大丈夫だ。」


「ありがとうございます……」


 そう言うと社長はカーテンを開き外に出て行った……


 車の放火の犯人……


 会社を荒らした犯人……


 もうどうでも良い……


 繰り返される悪夢も全て夢だったのだろう……


 前妻はまた俺の所へ戻って来てくれた……


 会社だって回復すればまた働けるだろう……


 全ては元通りだ……


 全て、上手く行く……


 暖かな光が差し込む、真っ白な部屋の中、急激な眠気が俺を襲う……眠気は俺を包み込み、俺は静かに瞳を閉じた……

 

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