『鬼が島』

竹中越前守樫家


 首は、落ちた。

 少年の一太刀であった。

 鬼の首であった。

 ごとりと地面に落ちたあとに半回転し、少年の足下で上を向いて止まったその顔が、驚愕に満ちている。

 それを見て少年が嗤う。

 この鬼の首を斬り落とした少年だ。

 まだ年端もいかない幼い顔にヘビのような笑みを浮かべている。

 少年は鬼ではない。人間である。

 鬼の首に足を乗せ、前後に転がしている。

「殺せ……」

 小さな、少年自身にしか聞こえない小さな呟き。

 大地震が来る前の小さな揺れのような、大病を患った者の軽い咳のような、危険な小声。

 それに気付いたのかおののいた月が風を吹かせ、雲に隠れてしまった。

 少年は鬼の首を蹴り飛ばし、血糊のついた刀を振り、

「殺せ殺せ殺せ殺せみんな殺せ殺せ殺せ一匹も残すな目に入る鬼は全て殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。」

 壊れた玩具のように同じことを繰り返す。

 とても正気ではない。

「そこに一匹いるだろ殺せ殺せ殺せ。」

 狂気じみた主人の呼びかけに犬、猿、雉のお供が応える。

 犬は鬼を臓物まで噛みちぎり、雉はくちばしで心臓を一突きにし、人間に似た猿は女どもに辱めを与えてから爪で八つ裂きにした。

 目を覆いたくなるような惨劇が、確かに目の前で繰り広げられている。

 しかし現実味がなさすぎて芝居でも見ているかのような感覚にもなる。そのせいで逃げることもせずにやられてしまった者もいた。

 だが多くの者は前触れもなしに訪れたこの地獄に、恐れ慄き、逃げ惑った。

 女、子供は気が狂いそうになりながらも、島中央にそびえる山の頂上を目指して必死に駆けた。

 男どもは武器を取り立ち向かったが、この少年に対してあまりに無力だった。少年は手練れの剣豪のようであった。鬼たちが振るう金棒を鮮やかな身のこなしでかわし、代わりに的確な斬撃を飛ばしてくる。

 あっという間に鬼の首が二つ三つと宙を舞う。

「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。」涎を垂らし、うわごとのように呟きながら少年は次の獲物を探し彷徨った。

 鬼の集落は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。逃げ惑う鬼々の怒号と悲鳴が折り重なって響く。

「早く逃げろ!奴が来るぞ!」

 などと叫ぶ鬼がいる。「奴」の正体がなんなのかはようとして知れぬが、「奴」が来たことはわかっている。だから自分はこうして足を動かし、鬼どもの流れとは逆方向に走っているのだ。

 鬼丸おにまる──一鬼ひとき息子の鬼丸の姿を探し求め、鬼美子きみこはひた走っていた。決して運動は得意な方ではない。島に住む女としては体力は劣っている方であった。それでもなお走らねばならなかった。

 東の海岸に遊びに行っているはずだ……鬼丸がそう言ったからだ。それだけを頼りに鬼美子は肉体の限界を越えて走っていた。海岸は村からは目と鼻の先であるが、そのわずかな隔たりが絶望的な距離のように感じられた。

 果たして件の海岸に鬼丸はいた。十にも満たない幼い鬼丸は何も知らないのか、なんとも無邪気に、同年代の子鬼と一緒に砂遊びに興じていた。他の子供たちも砂で遊んだり海に入って魚を捕ったりと思い思いに遊びにふけっていた。

 恐ろしげな顔をした鬼美子は砂浜を踏みしめて息子のもとへ駆け寄り、その細い手首をむずとつかみ、問答無用で引きずるようにしてその場から連れ出した。

「お母さん、痛い。どうしたの。」幼い鬼丸が問いかける。

「いいから早く逃げるのよ…」鬼美子はけわしい表情を崩さず、一心不乱に早歩きを続ける。「あんたたちも早く逃げなさい!」他の子鬼たちにも呼びかけたが、子鬼どもはぽかんと口を開けたまま鬼美子を見つめていた。鬼美子は内心で悔しがりながらも、足を止めなかった。今は我が子を守るのが優先だ。

 ついに来たのだ。

 来てしまったのだ。

 島の鬼なら誰もが子供のころから繰り返し聞かされてきた、人間どもの残虐非道ぶり。歴史をひも解いて見ると名だたる鬼たちは彼らの手にかかってなんとも悲惨な末路をたどっている。あんなものがこの島に来たらこの世の終わりだ。

 年寄りたちは子供をしつけるためによく「悪いことばっかりしてると人間に食われちまうぞ。」などと言う。子鬼らはそれを聞いて真底震えあがるのだ。大鬼おとなたちはそれが現実になるとは誰も思ってもいなかった。思っていないからこそしつけに使えたのだ。島から見る本土の景色は遠く、穏やかで、それが脅威になるとは露ほどにも思っていなかった。

 しかし起きるのだ。起こるはずもないと勝手に思っていた絵空事は、実際に起きるのだ。自分だけは関係ない。どこか遠いところでの話だと思っていた日々を後悔した時には、もう遅い。想定外のことは現実に起こるのだ。鬼美子は阿鼻叫喚と化している村を避けて、そこから遠ざかるように逃げていった。島の鬼たちは誰に言われるでもなく、自然とある一か所に向かって集まっていた。男たちは戦いに出ているので女、子供と年寄りばかりである。

 島の中央にそびえる一角山ひとつのやま。そしてその頂上に鎮座する、島の、そして鬼族の象徴とも言うべき一角神社ひとつのじんじゃ

 本能的にそこへ向かっていた。

 神社へ通じる山道は、逃げてきた鬼たちでひしめき合っていた。

 誰もがみな不安と脅えを隠し切れず、顔に浮かべている。

 泣き叫ぶ子供。いや子供だけではない。大鬼おとなも泣いていた。そこらじゅうから鬼のすすり泣く声がこだまし、合唱のようになっている。

 この異様な雰囲気に幼い鬼丸も脅えていた。直接災厄を目の当たりにしたわけではないが、周りの鬼たちのただ事ではない様子が恐ろしくなったのである。

「お母さん、怖いよ。」鬼丸がぎゅっと手を握りしめてくる。

 鬼美子はその手を握り返し、「大丈夫…大丈夫だから。」努めて優しく言って聞かせた。鬼美子自身が不安と恐怖でどうにかなってしまいそうだった。

「どいてくれ!怪我鬼だ!」

 後ろの方から怒号が聞こえてきた。

 振り返ると男たちが一鬼の鬼を抱えて運んでいるのが見えた。

 片方の腕がない。目玉が飛び出している。

 それを見て鬼丸がついに泣き出してしまった。

「泣かないの。ほら、歩きなさい。」

 そう言う鬼美子の足が震えていて、今にも泣き出してしまいそうであった。かろうじて正気を保っていられたのは必死に握り返してくる小さな手の温もりのおかげであった。

 ようやく頂上が近づいてきた。神社の鳥居が見える。真っ黒に塗られた、一角神社の黒鳥居。鬼たちは足早になり、我先にと駆け出してゆく。鬼美子もその鳥居を見た途端安堵感が胸いっぱいに広がり、自然と早歩きになっていた。神社に行きさえすれば助かる。誰もがそう思っていた。鬼たちにとって一角神社とはそういう存在だった。そしてついに鳥居をくぐると、その瞬間に鬼美子は「助かった」という思いが満ち溢れてきて、別の意味で泣き出しそうになった。

 しかしそこに広がっていたのは希望とは程遠いものであった。

 芋を洗うようにひしめきあっている鬼たち。そのどれもが悲壮に満ちた顔をしており、辺りには暗く重い雰囲気が立ち込めていた。

 運び込まれた怪我鬼も多く、その多くが野ざらしにされていた。腕の無い者、目玉が飛び出ている者、はらわたの出た者、今にも死にそうな者、今死んだ者。

 鬼たちの憩いの場であるはずの一角神社はそこにはなかった。

 子供が泣き叫んでいるのに混じり、大の大鬼が涙を流し、取り乱し、発狂しているのがことの異様さを引き立てていた。それを見てまた子供が泣くのである。

 鬼美子は鬼丸の手を引き、境内を歩いて行った。境内には妙な一体感があった。赤鬼と言わず青鬼と言わず、老若男女問わず、絶望と恐怖を共有しているという、ここにいる者は「みんな同じ」だという嫌な安心感。自分だけではなく他鬼も絶望していると安心するのだ。

 鎮守の杜が開けて下界が見渡せるところがある。黒山の鬼だかりが出来ていて、多くの鬼たちがそこから下の様子を見ていた。

 鬼美子はその隙間をすり抜けるようにしてどうにか前列の方にまでたどり着いた。そしてそこから見渡せる島の姿を見て絶句した。

 夜の闇の中、島の東端と西端が赤々と燃え盛っていた。鬼の集落があるあたりである。

 村が、燃えていた。

 現実とは思えない光景が、しかし確かにそこにあった。

 周りの鬼たちも、ただただ声もない。

 闇をなめつくす炎ともくもくと上がるどす黒い煙を、ただ茫然と眺めるばかりだ。

「やめてくれい…やめてくれい…」うわごとのように呟いている者がいる。

「お母さん、お父さんは?」鬼丸が問いかける。

 鬼美子は息子の姿を見た。涙にぬれた、小さき者。しゃがみこみ、鬼丸を抱きしめた。

「だいじょうぶだから。」しかしその声は震えている。

 鬼美子は自らに言い聞かせるように、きつく鬼丸を抱きしめた。

「だいじょうぶだから……」

 鬼丸は何故抱きしめられているのかも分からず、困惑した。

「この世の終わりだ…」誰かがつぶやいた。「何もかも終わりだ!」

 つぶやきはやがて絶叫へと変わっていった。

 絶望は周りへと伝播していった。堰を切ったように泣きわめきだす大鬼や子供たち。

 悲しみ、怒り、苦しみ、そしてそれら感情すら抱かせないような絶望。

 そんな空気から鬼丸を守るかのように、鬼美子は鬼丸を抱きしめる腕に力をこめた。

 やがて人間の少年は船に乗り、悠々と島を離れていった。

 島には恐怖と絶望だけが残された。

 これがのちに言う「桃太郎のえき」の一部始終である。


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