ご、夥しい失敗のうちの数少ない幸い

 真帆子ちゃんへ。真帆子ちゃんはいつも自分のことを不美人だと言うけれど、真帆子ちゃんには真帆子ちゃんのいいところがいっぱいあります。いつも真面目で一生懸命なところも、じいちゃんに付き合って囲碁や花札やってくれるところも、字がきれいなところも、落ち着いた喋り方も、あとツッコミの切れ味鋭いところも大好きやで。いつか真帆子が自分のこと好きになるとええなあ。そういうふうに思えるようになる出来事や、人に、出会えるとええなあ。とりあえず結婚式とか葬式で使えるやろうから真珠を遺します。じいちゃんの葬式にはバッチリつけてキメてや。じいちゃんより。


「葬式もう終わってるし。大体、葬式にアクセサリーってありなん?」

「あ……確か大丈夫です。あんまり豪華なのはよくないかもしれないけど、このくらいの真珠なら」

「詳しいな」

「母親が葬儀屋さん勤めで、なんとなく……」


 じっと、手紙を見下ろした。

 もし僕の祖父母が生きていたらこんなふうに、写真や手紙や絵を大事に保管してくれていたり、ずっと遺るプレゼントを用意してくれたりしたのかな。二人が一緒のお墓に入ったあと、親戚たちで集まって家を片付けて、こんなことがあったあんなことがあったって思い出話をしたり……。

 そんな未来も、あったのかな。


「僕、母方の祖父母の家が、関東にあったんですけど」

「……うん」

「ずいぶん前に災害で全部流されて、もう何も残っていないんです」


 苅安さんの、言葉を探るような気配にはっとする。

 なに言ってるんだ僕。無駄に気を遣わせてしまうようなことをポロッと喋ってしまった。


「すみませんっ、こんな話。いやもう片付ける余地もないくらい跡形もなかったんですけど、祖父母の家にも写真とか色々あったんだろうなぁって考えちゃって」

「ごめん……無理に付き合わせて辛かったんと違う?」

「いや、そうじゃなくて。そうじゃないんですつい思い出して言っちゃっただけで辛いとかそういうのは全く! 作業自体は全然苦じゃないのでまた呼んでくださいっ」


 アワアワとフォローすればするほど墓穴を掘っていく感じがする。苅安さんはそっと微笑んでくれたけれども、気を遣われているのがありありとわかる。多分かなり貴重な彼女の笑顔をこんなところで消費するなんて……。

 苅安さんのことをじょうずに励まそうなんて烏滸がましいことは思っていないけど、こうも上手くいかないのも情けない。


 やがて、廊下のほうに人の気配が戻ってきた。忍くん、苅安、と苑爾さんが僕らを探す声が聞こえてくる。慌てて声を上げて救助を要請した。

 赤金さんが外からドアノブを捻ると、扉はあっさり開いた。


「なに家のなかで閉じ込められてんだよ」

「なんていうか、色々あって……。それより、遅かった、ですよね?」

「一軒目にチョコミントのアイスがなくてな。苅安がチョコミン党だからもう一軒回ってきた」


 ほら、と赤金さんがレジ袋からカップアイスを出して苅安さんに渡す。彼女はハンと鼻を鳴らして赤金さんのお腹にまた手刀を叩き込んだが、いい加減僕もそれが二人のじゃれ合いなのだと理解したので驚かない。


「つか、苅安の持ってんのは何だ?」

「忍くんが箪笥の鍵、見つけてくれた。じいちゃんから孫三人に贈りものやて」

「おー。忍お手柄じゃん。アイス二個食っていいぞ」

「お腹冷えちゃうので一個でいいです……」

「無欲なやつだな」


 一体何個買ってきたんだろう、四人しかいないし冷蔵庫はコンセントを抜いているのに。ちょっと心配になりながら赤金さんと苅安さんのあとをついて行くと、いきなり後ろから腕を掴まれた。

 最後尾で物置きのドアを閉めた苑爾さんが、僕の腕に抱きついてきたのだ。


「……なんですか!?」

「しいぃぃっ!」これまでの人生で一番切羽詰まった『静かに』のポーズを受けて口を閉じる。「忍くん、あぁぁぁああれ見てあれっ」


 あれ、と指さされたほうに視線をやってギョッとした。

 小柄な苅安さんの肩に、細く長い脚を八本広げたでかい蜘蛛がいる。え、でかい蜘蛛がいる。苅安さんの掌くらいの大きさの、でかい蜘蛛が、いる……。

 僕と苑爾さんは顔を寄せ合って小声で作戦会議を始めた。


「……苅安さんて蜘蛛だめなんでしたよね?」

「だめよ! だめだめよ! 小さいのでも悲鳴上げて固まっちゃうのよ。あんなのに気付いたらショック死するわ!」

「わ、ワア……。物置でしばらくじっと座ってたから、そのときにくっついちゃったんでしょうね」


 幸い本人は気付いていないようであるが、蜘蛛のほうも行き場をなくしてどうしたものかと服にしがみついているように見える。お互いのためにも、可及的速やかに救出しなければならない。

 まあさすがに一瞬びっくりしたけど、蜘蛛ならわりと平気だ。これで黒いやつだったら詰んでいた。


「……苅安さん!」

「ん? 忍くんはアイス何にする? 後輩は一番に選んでええんやで」


 や、優しい。──じゃなくて。


「あの、ちょっと前を向いてもらっていいですか……」

「前? えぇけど」

「すみません。肩に埃がついてたので、触ります」


 細心の注意を払って手を差し出し、でかい蜘蛛を掬い上げるように捕獲。蜘蛛のほうも少しうぞうぞ動いたけど大人しくしてくれていた。苅安さんの肩を軽くぱんぱんと叩いて、埃を払うふりをする。

 苑爾さんが廊下の掃き出し窓を開けてくれたので、そこから蜘蛛をぺいっと放り投げた。すぐさま窓を閉めて証拠隠滅。よし任務完了。


「オッケーです。もう大丈夫です……」

「ありがとうな。ほんで、アイス何味にする?」


 チョコでお願いします、と甘えた僕の背中を苑爾さんがバシンと叩いた。今のは多分「よくやった」って意味だ。





 五月の麗らかな縁側で、赤金さんたちが買ってきたアイスを広げて休憩にする。

 さっき心配したとおりアイスは人数以上の個数があった。溶ける、とみんなで悲鳴をあげながら急いで平らげる。「考えて買えや」と苅安さんはまた赤金さんにチョップしていた。仲いいな。


「忍くんほんまにありがとうな」

「あ、いえ、こちらこそ。アイスもお昼もご馳走になってしまって」


「忍には優しい」「諦めなさいちょっとシンパシー感じちゃってんのよ」という男二人のぼやきは完全にスルーして、苅安さんは僕の返事に対してちょっと変な顔になった。なんでそうなる、と目が語っている。何か変なこと言っちゃったかなとアワアワしはじめたところで、苅安さんは軽い溜め息を吐いた。


「忍くんのおかげで、見つかったんやで。……また手伝ってな」


 すぐには答えられなかった。確かに箪笥の鍵を見つけたのは僕だけど、あの写真の缶の中に入っていたのだから遅かれ早かれ見つかったはずだ。別に僕が特別なことをしたわけでもない。

 僕のおかげだなんて、とんでもない。鍵ひとつ見つけたくらいで雪ぎ落せるほどの劣等感でもない。それでも運よく彼女の一助となったのであれば、それは僕の夥しい失敗のうちの、数少ない幸いである。

 はい、と応えた返事は掠れて音にならなかった。


 おじいさんから苅安さんへのプレゼントは、手紙が一通、本が三冊(どれも古書、詩集だ)、そして真珠のアクセサリー。一つひとつを手に取って眺めていた赤金さんは、イヤリングを指先に摘まんで苅安さんの耳許に当てる。


「つけてみれば」

「えぇ……。作業着に真珠って絶対似合わへんやろ」

「いいから」


 そう微笑む赤金さんの横顔は、あまりに優しくて、それから寂しそうだった。どこか痛みを堪えるようなその表情の意味を、僕は知っているような気がした。

 僕にとってはもう二度と戻らない『祖父母の家』という空間を、これから失う苅安さんへの、最大限の思いやりと一抹の羨ましさ。もしかして赤金さんも、喪った側の人なのかもしれない。

 苅安さんはきゅっと口を噤んで無言で不満を表しながらも、髪を耳に掛けてイヤリングのねじを緩める。右耳につけ、左耳につけ、苑爾さんに位置をチェックしてもらってから僕たちのほうを振り向いた。


「似合ってる。じいさん趣味いいな」


 赤金さんのその言葉に、苅安さんはもう条件反射で反論しそうになって、今回はおじいさんのセンスを褒められたのだと気付くとなんとも言えない顔で黙り込んだ。だけど実際、彼女の引きこもり美白とか染めたことのなさそうな黒髪に真珠はよく映えて、仏間に射し込む五月の陽気を柔らかく弾いている。

 よくお似合いですよと言うと、ついに彼女は照れくさそうに笑った。




第三話、おしまい

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