第三話 神さまの抽斗
いち、朝っぱらから赤金さんが眩しい怖い
たまに、もしかしたら僕が覚えていないだけで未来視自体は毎朝あるのかもしれないな、と考える。
神さまから押し付けられる啓示は大抵が朝の寝起きにやってくる。そのまま起きれば憶えているし、二度寝に突入すれば憶えていない、というだけの違いなのかも。
そんなことを考えたところで制御できる力でもないので、その辺りを気にするのはずいぶん前にやめた。この力が世界に対してどんな意味を持つか、なんてことも考えない。きっと臆病な僕ではその意味に耐えられない。
だから、憶えているときだけ憶えている。未来への変化に責任は取れないから、ただじっとその画が実現するときを待つ。
それだけだった。
✿
四月の怠惰な休日を過ごそうとしていた僕はその日も神示を受けた。
一枚の未来が叩きつけられる三秒間。その画を理解しようと、未だボンヤリしている頭を働かせる、その隅っこでピリピリと着信音が鳴る。ピリピリピリピリ。
ピリピリピリ。いや、何だこれ、集中できない。
……着信音?
「もしもし……」
「よう、忍。今日ヒマか?」
布団のなかで応答すると、朝っぱらから爽やかに荒っぽい──やや相反する形容だがこの人に限っては両立させている──声が聞こえた。
スマホを耳から離してみると時刻は八時六分。
思いっきり朝である。
「赤金さん。どうしたんですか」
「サークルの依頼で一軒家の断捨離をするんだけどさ、来る予定だった奴が急に欠席になったんだ。苑爾と一緒の依頼だからどうせだし忍もどうかなって」
赤金さんと苑爾さんは『ES』というボランティアサークルの代表・副代表だ。主に幸丸大学の学生のために学生同士で助け合おうという、頼れる助っ人集団らしい。
「僕、力仕事はお役に立てる気がしませんけど……」
「力仕事があったら俺と苑爾でやるから大丈夫。依頼人と喋りながら、細々した処分品の分別をしてくれればいい。バイト代が出るわけでもねぇし、深刻に人手が足りないわけでもないんで用事があるとか気が向かないとかなら断ってくれても全然かまわんが……」
捲し立てるような赤金さんの声にぼんやりと「かまわんが?」と鸚鵡返しすると、電話の向こうの彼は「寝惚けてんな」と笑った。はぁ、まあ寝起きなもので。
「忍が来てくれたら嬉しいよ。俺が」
「うっ……」
「来る?」
「朝っぱらから赤金さんが眩しい……怖い……」
「お前なに苅安みてぇなこと言ってんの」
大学入学から三週間。
入学式の日早々に琴子社長からボッチを心配されていた僕だが、相変わらず学部でも親しい友人は作れていないしサークルにも入っていない。新生活に慣れるので精一杯、アルバイトさえまだ探していない状況だ。
したがって土日は暇。
「わかりました」と深く考えもせずうなずいてしまったのは、先日、社長のために電話一本で即座に駆け付けてくれた赤金さんを思い出したからだった。
僕なんてどうせ暇なんだし、いつも人のために駆けずり回っているらしい赤金さんたちをお手伝いできるなら、それだけで充分有意義な休日になるだろう。
「よっしゃ! そんじゃ八時四十五分に迎えに行くから。苑爾と準備して待っててくれ」
通話の切れたスマホを見下ろして、ちょっと考える。
僕は控えめに言っても根暗だ。陰キャである。
もともと賑やかなタイプではなかったが、未来視の力とうまく距離を取れなかったがために小学校で一度躓き、家族とも不仲になり、中学校では開き直って不登校に突入した。母方の従兄やその家族が粘り強く面倒を見てくれたおかげで一念発起の大学生活をはじめたわけなのだが、根本的には陽キャの対極にいると自負している。
そんな僕が……死体のように息を潜めてこれまでを生きてきた僕が、外見からしてスクールカースト最上位のキラキラ陽キャな赤金さんにこうして声をかけてもらえるのって、なんか、おかしくないか?
「赤金さんとのつながりで一生分の人間関係を消費していそうで怖い……」
もごもごと独り言をつぶやきながら起き上がり、カーテンを開ける。いい天気だ。
──ところで。
電話を受ける前に何か未来視があった気がするのだが、
「……、忘れちゃったな……」
起きたら霧散する夢のように、きれいさっぱり僕の頭から消えてしまっていた。
憶えていないものは仕方ない。どうせ視えたからといって何ができるわけでもないのだし。それより身支度を整えなければ。
断捨離のお手伝いと聞いたので、手持ちの服のなかでも汚れてかまわないものを選んだ。顔を洗って歯を磨いて、食堂に下りる。いとゆう荘の朝食は六時から八時と決まっているけれど、それは台所に大家さんがいてくれる時間という意味で、以降は準備してくれているものを自分で温めて食べることになる。そもそも朝食時間は朝が早い美沙緒さんや、琴子社長と翔馬くんの通学時間に合わせて設定されているらしいので、休日はわりとみんな遅い時間にのそのそ動きはじめるのだった。
遊戯室で朝のピアノを弾いている惠さんに窓越しのあいさつをして、食堂を覗く。スティックタイプのカフェオレを淹れて、食卓に用意されていたサンドイッチをいただいた。
実家にいた頃は、食事なんて生きていくために必要だから毎日こなさないといけない苦行みたいなものだったけれど、大家さんのごはんはいつもおいしいから楽しい。
ふと、母はちゃんと食べているのかな、と思う。
母は葬儀屋に勤めていて、休みが不規則だった。朝は八時すぎに家を出て、帰宅は早くても夜七時、遅ければ九時や十時を回る。職場は家から近かったけど、仕事はハードらしくていつも疲れていた。料理もそんなに好きじゃない人だったから、食事はいつもお弁当やお惣菜だった。
僕がどうしても時間を持て余して料理をしたときは、ラップに包んでおいたものを温めて食べてくれていたみたいだけれど、家にひとりになった今の食生活がちょっと心配だ。
「色々……投げやりな人になっちゃったからなぁ」
そんな母を実家に残して飛び出してきた分際で、心配するというのも変な話だけど。
黒いツナギを着た赤金さんが、黒いプリウスで迎えに来てくれた。
苑爾さんとともに車に乗り込み到着したのは、鹿嶋市内の市道沿いにある古びた木造住宅。大きな地震でもきたらぺしゃんこに潰れそうだ。
表札には『難波』とある。
駐車場に車を停めた赤金さんがインターホンを鳴らすと、がこがこと建付けの悪そうな音を立てて戸が開いた。
「やあ」
と、右手を挙げたのは小柄な女性だった。
真っ直ぐに胸元まで伸びる黒髪が印象的で、化粧っけがなく素朴な雰囲気をしている。人形のように無表情な彼女を見下ろした赤金さんは、対照的にぺかーっと笑った。
「どうも! お助けサークル『ES』の赤金です! 本日はご依頼どうもあり痛いっ」
女性は容赦なく赤金さんのお腹を手刀で叩いた。僕から見ても白々しくわざとらしかった赤金さんの笑顔に腹が立ったらしい。代わりに苑爾さんが紹介してくれた。
「忍くん、こちら『ES』の事務長の苅安真帆子で今日の依頼人」
かりやす……。今朝の電話で赤金さんが「苅安みてぇなこと」と言っていたのはこの人のことだったのか。この人も赤金さんがキラキラしてて眩しくて怖い人種なのだろうか。
「苅安、こちらはあたしの後輩の松雪忍くんよ。灰谷が二日酔いで欠席なので助っ人に来てもらいました」
「あ、よ、よろしくお願いします」
メンバーが一人欠席とは聞いていたがまさか二日酔いだったとは。
苅安さんは僕を一瞥して「どうも」と会釈して、家のなかに引っ込んでしまった。続いて赤金さんが靴を脱いで上がり込み、苑爾さんも追いかけていく。
「苅安は人見知りだから慣れるまで時間がかかると思うけど、放っておいていいからね」
「うあ……ハイ……」
それは多分だめなやつ。人見知りと人見知りだから、慣れないまま一日が終わるぞ。
まずは客間に通され、苅安さんが淹れてくれたお茶をいただきつつ作業の打ち合わせ。といっても主に僕に説明するためのものなので、赤金さんがほとんど教えてくれた。
人の手を借りてまで断捨離ということはゴミ屋敷なのかと思っていたが、散らかっているだけでゴミは散乱していない。単に物量が多くてきりがないのだろう。
「ここは苅安の母方のじーちゃんの家な」
「……、『難波』さんでしたもんね」
「そう。じーちゃんは去年亡くなったんだけど、親戚が遠方だったり忙しかったりで全然片付かないので、苅安が『俺ら』を使って処分するってことになった」
「大事なものとか必要なものは、葬儀のあとの勢いでみんなに分けたはずやから、今はもう不用品ばっかりやと思う」
苅安さんは淡々と赤金さんの説明に補足した。
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