第17話

「うわあ~~! すご~~い!」



 境内に続く道は、両脇にたくさんの提灯の灯で照らされていた。



 奥に近づくにつれておきな鳥居が立っていて、人ごみの中でちょっとずつ進んでいくたびに、



 近づいてくる。



 ゆっくりと歩いている内に夜は暗くなり、すっかりとムードが出てきた。



「あんこ姉ちゃん、こっち」



 提灯や鳥居、そして夜の空を楽しんでいる私の手が急にぐいっと引っ張られた。

 アッくんが人ごみをかき分けて先へ先へと進んでいくスピードについていけなかった。



「いてて、もうちょっと優しくひっぱってよ」



「でもそんなゆっくり歩いてちゃいつまで経っても川までつかないよ!」



 風柳が分かんないって罪だわ……。



「まぁ、仕事だしね……はいはい」


 

 仕方なくアッくんに引かれるままに歩き進んでゆく。



 夏祭り特有の温度が聞こえ、慶大の特設ステージ? では白い浴衣を着た人達が楽しそうに息を合わせて踊っている。

「いいないいな~、実家思い出すなぁ~」



 自分でも目がキラキラしているのが分かる。ちょっとマジで音頭教えてもらいに行こうかな。



「はい、あんこ姉ちゃん」



 どこかに行ったと思ったアッくんがたこ焼きを差し出して戻ってきた。



「た、たこやき?」



「え、嫌い?」



「ううん、好きだよ。ありがとう」



 借り物の浴衣着てるのに、汚れるかもしれないたこ焼き持ってくるなんて……。



 大体、今から撮影するのになんでそんなの買ってくる!?

 子供だから、子供だから……と言い聞かせてたこ焼きを口に入れる。



「ぶほっ!」



「吐いた!」



「あ、あっつつ~舌火傷したぁ~」



「あっはははは、あんこ姉ちゃん受ける~!」



 涙目でアッくんを睨んだ。目が合うと、笑いをこらえてアッくんは明後日を向いた。



 うう……なんでこいつなんだー! トウマさんがいいよ~!



 舌をべーっと出して一生懸命口の中を冷ましながら、あれやこれやと写真に収めてゆく。



 浴衣にカメラってなんだか不思議な組み合わせだな。

 写真を撮りながら奥まで歩き進めてゆくと、灯篭流しの川が見えてきた。



「わあ……綺麗……」



 思わず目を奪われてしまった。



 暗闇の中、流星群がゆっくりと流れていくみたいな感じで無数のオレンジ色の光が川を流れてゆく。



 カシャカシャと音を立てて写真を撮る。



 なんだろう、私今まで生きてきた中で今が一番楽しいかもしれない。



「あんこ姉ちゃん、写真はそのくらいにしてさ。ボートに乗ろうよ」



 アッくんの声に我に返る。ああ、そうだボート用意してるって言ってたっけ

「あのFOR SEASONの望月と冬島ですけど」



 船着き場のおじさんにそう告げるとおじさんはニコニコと笑って「あー聞いているよ」



 とボートを一つつけてくれた。



「ここに乗りんせえ、仲良し姉弟さん」



「カップルです!」



 アッくんが向きになっておじさんに言い返した。



「あんら、そうだっぺか。すまんなぁ」



 おじさんはニコニコして頭をかき、船を渡してくれた。

「ちょっと、アッくん。さっきのなに!?」



「ん、なにって?」



「おじさんにカップルとか……」



「いや、だってさ! 姉弟とかそんなわけないじゃん!」



 アッくんはなんら悪びれることなく言った。一体どんな教育受けてんだー!



「しょうがないでしょ! そんな風にしか見えないんだから」



「そんなことないって!」

 アッくんは、少し怒って言った。



 わけわからん。



「もういいよ。アッくん、灯篭をバックに私を撮って。あ、顔はだめだよ」



「オッケー」



 アッくんはカメラを受け取ると、カシャカシャと撮りながら時折、



「あ、手を頭に触れて」やら「水面を見下して」やらいっちょまえに指示を出す。



「いいねー、かわいいよあんこ姉ちゃーん」



 ……まぁ、悪い気はしないけどね。

 帯の結び目に挟んだうちわを持ち、得意げにポーズを取ってみる。



 お祭りの入口で配っていたものだ。



「いいねぇ、あんこ姉ちゃん……いいよ」



「なんだかエロカメラマンみたい」



 笑ってアッくんの褒め言葉に返事をした。



 ギシ、



「ひゃあっ」



 急に船が揺れて私は慌ててボートの縁を押さえた。

 不意に両肩を掴まれて、驚いた私が正面を見るとアッくんが私の肩を掴んでこっちを見ていた。



 灯篭の灯が水面からオレンジ色にぼんやりとアッくんを照らす。



「あ、大丈夫だから……もう離して?」



 ボートが揺れたから私が落ちないように押さえてくれたんだと思った。



「……あんこ姉ちゃん」



 アッくんの様子がおかしい。このシチュエーション、嫌な予感がする。



「アッくん……?」



「キス……してもいいよね」



「は? なんでそうな……」



 私が言い返すのを聞かずにアッくんは顔を近づけてきた。



「や、やめ……」



 もう一度大きくギシ、と大きくボートが揺れる。



「わあっ!」



 アッくんを強く押した拍子に足場の悪いボートの上で立っていた体勢を崩した。



「ちょ! アッくん危な……」

 バッシャーンという大きな水音を立ててアッくんは川に落ちてしまった。



「アッくん!」



 ギシギシとアッくんの落ちた余韻で揺れるボートに必死でつかまりながら水面を覗き込んだ。



「おい人が落ちたぞ!」



「大丈夫か―!」



 岸でアッくんが落ちたことに気付いたギャラリーが私達をみて騒ぐ。



 近くのボートのカップルたちも「大丈夫ですか」と心配してくれた。



 アッくんが落ちた衝撃で静かに浮いていた灯篭もゆらゆらと揺れている。

「アッくん! ……アッくん!!」



 半ベソになって私が叫ぶと、私の後ろの方でザバッと音が聞こえたかと思うと、ボートがまた大きく揺れた。



「ひゃぁ!」



 振り向くとアッくんがボートにしがみついて、ギャラリー達に手を振っている。



「すいませーん! ドジって落ちちゃいました! 大丈夫なんで安心してくださーい」



 岸からは「気を付けろよ」とか「風邪引くなよ」とか安心した声が相次いだ。



 船着き場に戻ると、船を貸してくれたおじさんにこっぴどく怒られた。



 私は平謝りでなんとか許してもらったけど、当の本人は(びちょびちょなのに)涼しい顔をしてしゃがんで流れる灯篭を見ている。



「ちょっと! アッくん、反省してんの?!」



「ごっめーん、あんこ姉ちゃん。 まさか突き落とされるって思わなかったから」



「つ、突き落としてなんか……」



 いつもと変わらずニコニコとしてアッくんは、私の手を引き境内の先に行こうと誘った。


「バカ! 風邪引いちゃうでしょ!? 写真も撮ったし、もう帰るわよ」



 その手を払い、私は腰に手を当てて怒った。激おこぷんぷん丸だ。



「え? そんなぁ……俺のことなんて別にいいからさ、もっと遊ぼうよ」



「何言ってんの! あんた川に落ちたんだよ? いくら夏だからってそんなのと一緒に遊べるわけないじゃない」



 アッくんは私が激おこぷんぷん丸で怒ると、黙って俯いてしまった。



 しおらしくなったアッくんに少し優しいことでも言おうかと思ったけど、甘やかしてばかりだと調子に乗るって思ったのでやめた。

「なんでだよ」



「だから、子供みたいなこと言わないでよ……私はアッくんを心配して」



「なんで僕を男として見ないんだよ! 会社紹介したのも僕じゃん!」



「男としてって……、とりあえず落ち着いて、ね?」



 突然言い始めたアッくんの言葉が、なにを言っているのか全然理解できなかった。



 男って? 会社は紹介してもらったのは確かにそうだけど、それがなんだろう?

「会社を紹介してもらったことは感謝してる。 いつかちゃんとお礼がしたいと思ってるけどまだ私って試用期間中だしさ」



「違うよ! FOR SEASONにあんこ姉ちゃんがくれば一緒に入れるって思ったんだ!」



「……へ」



 どういうことだ? この子は一体何を言っているんだろう??



「なんでわかんないんだよ! あんな双子よりも僕の方がもっと前から好きだったのに!」



「ま、待ってアッくん……。私はアッくんのことを中学生の時から知ってるんだよ? それに10個も歳が離れてるし」



「9個だよ!」

 まさかアッくんが私に対してそんな気持ちでいたなんて。……そんなこと考えたこともなかった。



「その……ご、ごめん。私、気づかなくて……でもね、アッくんのことは歳の離れた弟みたいに思ってて……それで」



「それで、なんだよ! まだあのハルのことが気になってんの!? デザイン流出させといて会社に居座りやがって!



 あいつさえいなけりゃ、全部うまく行くのに!」



 アッくんは両手の拳を握ってびしょびしょに濡らした髪を垂らし、俯いて悔しそうに言った。

 その姿がすごく痛々しく見えて、私はかける言葉が見当たらなかった。



「デザイン流出させるのにどれだけリスクかかったか、誰もわからないくせに……」



 ……え?



 アッくんが絞り出すように言った最後の言葉に引っかかった。



「どういうこと? デザイン流出させるのに? リスクって……」



 ハッと私の顔を見ると、アッくんは急に距離を詰めてきた。


「違うんだ! 僕は、ハルがいなければあんこ姉ちゃんが僕を……、あんこ姉ちゃんを悲しまそうなんて」



 バチンッ!



「……」



 私達のことなんて、誰も見ていなかったけど、その瞬間周りから聞こえる音が全部消えたんじゃないかってくらい静かに感じた。



 アッくんのほっぺたを思いっきり叩いた。



 アッくんはゆっくりと私の顔に向きを戻して、信じられないといった感じで



「あんこ姉……」

「……最ッ低」



 一言だけそう言い残すと、私は駆け足でその場を離れた。



 アッくんが追いかけてきたらもう一発お見舞いしてやる、って思ったけどアッくんは追いかけて来なかった。



 私はそのまま電車に乗ると、酒井さんのショップへと戻った。



「おかえりあんこちゃん。 早かったね、思ったより」



「いえ、助かりました……」



「あれ? ……年下クンは?」



「……」



 私が黙っていると、酒井さんはなにかを悟ったのか黙って奥へ案内してくれた。

「あの子、あなたに告白したんでしょ」



「え、見てたんですか?!」


 

 唐突に核心を突かれて大きな声を出してしまった。



「まさか! でも、あの子のあなたを見ている時の顔を見たら……誰でも分かるんじゃない」



「え!」



 分からなかった……。




「それで? フッたの?」

「……ええ、まあ」



「だよね、ちょっと下過ぎるからねぇ。子供はイヤ?」



「はい……あの、アッくんは中学生の頃から知ってて、まさかその……」



「そう、ずっと片思いだったのね。かわいそうに……。



 まあ、でも一つ大人になったでしょ、彼も」



「……」



 そう簡単な問題じゃないんだけど……。



 心の中で言いながらも、それを話せる訳もなくて黙ってしまう。

「……子供を大人にしてあげる方法って知ってる?」



「子供を大人に……ですか」



「叱って、そして許してあげること」



「叱って……許す……」



 なんとなくさっきのことが重なる。



 これからどうすればいいのか、と思ってた。



「許すなんて……でも、そんな簡単には出来ないですよ」

「そう? どうして」



「私だけが許しても、仕方ないじゃないですか」



「あんこちゃんだけが許さなくてもいいじゃない。みんなで許してあげれば。



 単純な話じゃないんでしょ? あの子のこと」



「知ってたんですか!?」



「わたしはエスパーだから」



 エスパー万歳! ……ていやいや違う。

「嘘嘘。 本当は何も知らないけど、なんか神妙な面持ちだったから、なんかあったのかなーって。



 ごめんね、人の親でもないのにこんな悟ったようなこと言っちゃって」



「いえ! とても、……ためになりました」



「それなら良かった。 私の側にも子供のまま大人になれない大人がいるから、さ。



 あんこちゃんなら分かるでしょ?」



「うちの社長さんのことですか?」



「さあ? ふふふ」



 酒井さんは、おかしそうに笑った。

「あ、撮ってきたんだね。 ……ちょっと見てもいい?」



 酒井さんは私の首から下げたカメラを見つけると、カメラを指差して聞いた。



「あ、どうぞどうぞ! 人様に見せられるクオリティじゃないですけど」



 首からカメラを外すと、電源を入れてプレビューモードにして酒井さんに手渡した。



「ありがとー、あんこちゃんの写真見たかったんだよねー」



「いや、そんな……素人の写真ですよぉ、あ、失礼します」



 携帯電話が着信をバイブで知らせた。

「もしもし望月です」



『お疲れ、春日だ』



 一瞬春日って誰だ? と思ったがメガネガエルの名字だとすぐに思い出した。



『蛇まんじゅう、そこにアキはいるか?』



「あ……す、すみません。私だけ先にショップに帰ってきちゃいました」



『そうか。ちょっとまずいことが分かってな、今あいつはどこにいる』



 ……まずいことが分かった? もしかしてあのことが……。

「すみません、どこにいるかは分からないです……」



『チッ使えないあんこ餅だな!』



「パ、パワハラ!!」



『もういいよ』



「ちょ、パワハラですよパワハラ! 分かってますか?! ちょ、ちょっと! ……切りやがったなー!!」



 信じられない! なんという暴言! コンプアライアンスに通報だ!



 カム着火インフェルノ!

「あんこちゃん」



「……ハッ!? す、すみませんつい取り乱して」



「これ、全部あんこちゃんが撮った?」



 酒井さんは撮った写真のプレビューを見ながら私を見ずに聞いてきた。



「あ、いえ……私が写ってる奴と数枚は一緒にいたアッくん……あ、冬島が撮ったものですけど……?」



「そうなんだ……。 あいつが離さないわけだ」



「はい?」

 酒井さんは、カメラを渡しに返すとニッコリと笑って首を横に振った。



「ううん、なんでもない。じゃあ、浴衣脱ごっか? 暑かったでしょう」



「あ、はい! ありがとうございます」



 少し名残惜しい気持ちになりつつ、浴衣から服に着替えると酒井さんにお礼を言ってショップを離れた。



 


 私は、橋を歩いて渡りながら、下を流れる川を眺めた。



 ……アッくんを男としてなんて見たこともなかった。

「傷つけちゃったな」



 口に出して呟いてみるけど、後ろを通る車の音でよく聞こえない。



 傷つけてしまった……。確かにそれはそうなんだけど、



 ハルくんのデザインを流出させた犯人がアッくんだなんて、許せない。



 けど、それをしてしまったことの原因が私にあるとしたら……。



「モテ期ってもっと楽しいんじゃないの? あっちにしようかーこっちにしようかーってさ……。全然楽しくないよ」



 うちに帰ろうと思うけど、ハルくんの時みたく待ち伏せされていたら、なんて思うとどうしてもまっすぐ帰る気にはなれなかった。

 カメラのプレビューを見てみる。



 アッくんが撮った写真。私、私、私……。



「かわいく撮れてるじゃん」



 どの写真も私が笑っていて……表情がよく分かるいい写真だった。



「っていうか顔撮るなって言ったじゃん……」



 私の写真は40枚を越していた。あんな短時間でこんな枚数撮ったんだ、すごいな。



「あの子には私はこんな風に見えてたんだな……」



 胸が苦しくなる。

 苦しくなった胸の理由が、恋愛感情でないことに悲しくなる。



 これって同情じゃん、想いを知っても恋にも愛にもなんない。



 いくら頑張っても、アッくんを男性としてなんて見れないよ……。



「水まんじゅう!」



 そうだよ、よく考えたら昔からアッくんって訳もなくよくうちに遊びに来てたもんなー。



 もしかしてあれって……



 うわ、もしそうなら可哀想かも。



「金箔まんじゅう!」

 私は目の前に映る大きな川を見詰め、さっきまで見ていたはずの灯篭流しを思い浮かべていた。



 誰と行っていたら楽しかったかな……?



 仕事としてじゃなくて、もしもデートだったとしたら。



 ハルくん……はまだきまずいし、やっぱりちょっと違う気がする。



 シュンくんは、ハルくんと被り過ぎてて落ち着かないし……



 トウマさん? うう、ダメだ脈が無さ過ぎるしミトちゃんに悪い。



 じゃあ、メガネガエルは……



「春日ナツメ……」



 名前を口に出してみた。すぐにあの顔が浮かぶ。

 オムライスのことや、DDDのときを思い出して、もしもあの人と灯篭流しを見ていたら楽しいかも……なんて思



「望月あんこ!」



「ぶっ、ひゃいっ!!」



 噛んだ。



 急に名前を呼ばれた私は驚いて後ろを振り返った。



「何度も呼んでるだろ! カレーまんじゅう!」



「あ、……あ、あ……ええ? ナツメぇ!?」



 振り向いた私の目の前には、今まさに考えていた男……春日ナツメがいた。



「なんで呼び捨てしてんだお前」



 ムッとした顔で私を睨むその男を見て、これは夢だと思った。



「あのっ、ちょっといいですか」



「なんだよ」



 その男の手を掴み、自分のほっぺたへと持ってゆく。



「なにしてんだお前」



「あの、つねってください」



「はぁ!?」



「ちょっと、もう起きますんでつねってください」



「……手加減しねーぞ」



 うむ、これが夢ならそろそろ仕事に行かなければならないというわけだ。



 妙にハッキリとした夢だったなー。



 ということはアッくんのことも、全部夢だってことに



「いだだだだだだ!! いだいいだい!」









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