第12話 裏切り

 山下の言葉を皮切りに天井と床からサソリのような妖魔の姿が出現し、交戦が開始された。

 そして同時刻。葉山邸とは2キロほど離れた廃ビル。

 屋上にて炎は目の前にいる相手に対してため息をつきながら、睨み付ける。


「まったく、僕は『三人』で葉山邸での構えをするよう君に伝えたはずなんだけどね、小山」

「……」


 咎める炎に対し、小山は不遜な目つきで気怠げに首を回し無言で返した。


「どういう腹つもりか知らないけど、すぐに向かえ。一人ここにいる理由も後できっちり聞く」

「……は、笑わせますね、小娘が」

「小娘は事実だから否定しないけど」


 雰囲気が違う、というのは見ればわかる。

 解せないのは普段の彼女ではこんなことをしない。真面目に熱心に、文句を言いつつも仕事をしっかりこなす優秀な忍者だ。

 しかし今は忍者としての服装ではなく、海のように淡い蒼色のドレスを着用しているのも炎の思考に淀みを与える。今、小山美希という人間に何が起きているのか。


「御頭様、貴女はいいですよね。血筋にも才能にも、容姿にも恵まれていて」

「急になんの話だ」

「これは大事な話ですよ? 山田と山下も貴女を上司として信を置いていますから」

「君は僕を認めていない、っていうことかな」

「いいえ。違いますよ。貴女の『実力』は確かなものです。私たち三人の誰もが年下である御頭様に及ばない。千代もそうですが……貴女たち姉妹は私には眩しすぎる」

「結論をいいなよ。無駄に時間を引き伸ばすのは君は好かなかったはずだけど」

「そうですね。ではお言葉に甘えて……目障りだから殺させてもらうわよ、ガキ」


 小山の服装がドレスから一瞬にして忍者服にへ変わる。しかしそれは普段彼女が使用しているものではなく、炎と千代のように露出が過多なものへと。

 本来であればこの形状の忍び服は一般の忍者が着ることは許されない。


「調子に乗ってるなぁ……殺す気でくるなら殺されても文句は言うなよ?」


 炎の気配も刹那の間にガラリと変わる。

 互いにクナイを持ち、殺し合いが始まる。

 小山はクナイを投げつけ、炎はそれをたやすく弾き間合いを詰める。

 急接近からの回避不能と思えるほどに速い炎の一撃を紙一重でかわし、カウンター気味に足払いをかける。

 たいして動じる様子もなくひょい、と跳んで回避。お返しとばかりに腹に蹴りを打ち込み後退させて流れるようにクナイで小山の目をえぐるように狙う。

 すんでのところで顔をわずかに逸らし、なんとか頬を深く切るだけで済ませる。

 伸びきった炎の右腕を左腕で抑え、顎に向けて掌底を放つ。が、それに合わせるようにわずかに顎を引いて頭突きで迎撃する。

 わずかに苦悶の表情を浮かべる小山の隙を逃さず、緩んだ腕の拘束を解きクナイをそのまま背中に突き刺し、捻る。


「っがあぁ!?」

(わかってはいたけど、やはりこの小娘は馬鹿みたいに強い……!)


 また一つ隙ができた、と炎は頭突き。クナイから手を離し流れるように拳を浴びせる。

 鳩尾を始めた人中線を狙い、着実なダメージを与えていき、よろついた小山の右腕を掴み膝を使ってへし折る。

 鈍い音と小山の悲鳴が混ざるが、炎は気にした様子もなく止めに回し蹴りを浴びせて小山を後方へ飛ばした。


「がふ……げほ……!」


 そのまま何度か転げまわり、赤黒い血を吐きながらうずくまる。


「啖呵を切った割には、って感じだね。右腕以外は亀裂骨折とクナイの傷ってところか。血を吐いたようだから内臓もか? さて、まだやるかい?」


 冷えた声音で問いかける。


「は。は……やっぱり、『私』はこんなものか」


 だが炎に向けて言葉は言わずに、かわりに自嘲した笑いをこぼす。


 ――本当に笑ってしまうほどに、私は弱い。


 今まで積み上げたものが心で音を立てて崩れていく。小山は涙を流し、不気味に笑う。

 今の攻防は時間にしてみればほんの一分程度のもの。忍者としてのキャリアははるかに小山が長いにも関わらず、ほとんど一方的な敗北。炎はおそらく本気の五割も出していないだろう、それくらいには力の差を感じていた。

 それは小山の心が折れるには十分すぎるほどの現実だった。


「……調子が狂うな。ほんとにどうしたんだ、小山」


 だがそんなことはわかるはずもない炎は動揺と苛立ちが露になる。


「ああ、もう、いい……もういい!」


 キヒ、と壊れたように笑い、立ち上がりそのまま炎を見た。

 そして小山に起きている異変に気がついた。


「傷が……回復している?」


 へし折ったはずの腕が、既に機能し始めているありえない光景に。


(ありえない。小山からは目をそらしていないし、なにか仕掛ける素振りも見せなかった。強がりのカモフラージュさせる隙なんて与えていない)


 そもそも傷の程度を考えればもう戦闘は続行不可能であるほどの重傷だ。忍者がいくら常人よりも強かろうが、回復力があろうがほんのわずかな時間で回復できる傷ではない。


「もう、もうもうもうもうもうもうもうもう」


 壊れた時計のアラームのように小山は同じ言葉だけ呟く。

 もう何かが手遅れだということをハッキリとわかり、クナイを小山の頭に投げつける。

 狂いなく軌道は心臓に向かう。だが奇妙なことにクナイは小山の背後から現れた『何かに』弾かれた。


「なっ⁉︎」

「高垣炎……お前に勝つためなら私はもう『人間』でなくなっていい!」


 その叫びと共に、小山には黒いモヤがまとわりついていく。

 このモヤは炎たち忍者には見慣れたもの、すなわち妖魔が現れる際に出るものと同一だった。

 小山の腕にはサソリを思わせるハサミが、顔にも甲殻が、そして禍々しくトゲのついた尻尾が生えていた。


「これは……」

「これが、人間をやめて得た力ダ! ケヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

「人間が妖魔になるとは……いやはや、困ったものだ」


 腰から自身の鋼鉄兵器、蟒蛇を抜き出す。


「変転」


 蟒蛇が分解され装甲が炎に装備されていく。


「……第二ラウンド、行こうジャないカァ!」


 狂気じみた小山の声の元、炎は小太刀を構えた。 両者の実力は拮抗していると言って差し支えのないほどに切迫した攻防を繰り広げていた。

 差異と呼べるものは炎はただの一発も当たらないように紙一重で攻撃を交し続けていたことだった。


「どうしタ、クソガキィ! そんなに私の攻撃をもらうのは怖イのかイ!?」

「ああ、怖いね!」


 ハサミをクナイで受け流しカウンターの小太刀を与えるも、その装甲に阻まれて弾かれる。技術で衝撃を殺しても反撃の効果は薄い。ほんとに微々たるダメージしか通っていないため千日手となるだろう。

 弱小の妖魔であればすでに決着がついている。未だ決着がつかないのは小山が尋常でないほどに強くなったからだ。

 そしてなにより脅威なのは……


(一撃の破壊力がおかしい。今はなんとかしのいでいるけど……不利なのは僕、か)


 小山の一撃は外れても床や壁はたやすく砕き、行動を制限していく。

 いくら鋼鉄兵器を纏っているといえど軽装型である蟒蛇ではまともに受けるのは得策ではない。

 そして炎を苦戦させているのは三本目の腕とでも言うべき尻尾。妖魔であり忍者としての技量をそのまま持ち合わせている小山は間違いなく強敵である。

 妖魔は基本的に見た目通りの特徴を持っている。つまり小山は毒サソリ、として判断するのがベターだ。ただ懸念すべきはその毒性だ。


(『種類』がわからない!)


 忍者として毒に対しての耐性は得ている。だが耐えるにも限度というものはある。

 サソリの毒もピンキリだ。炎の毒耐性を越えていればその時点で敗北は確定だ。だからこそ一度も攻撃を受けてはいけない。強いられている。

 一見互角のように見えるこの勝負はその実、時間をかけるほど炎が追い込まれている。


「ハハハハハ! 気持ちいいねェ! 安心しなヨ! あんたを殺しタら美味しくいただくからさぁ!」

「まったく、とんだ強敵になったね……!」


 間違いなく炎が戦った中では最強の敵だった。

 だが、流れは変わった。この速さに対して炎の目が慣れてきたのだ。

 そして並の忍者であれば見逃すような隙が、わずかにできた。屈んで攻撃を回避、顔を上げると同時に小太刀を小山の首に当てた。


「ジ・エンドだ」


 その一言ともにその首を切り裂いた。

 小山の首を切り裂いた直後、炎の頬から血が噴出した。


「!?」


 とっさに炎は後ろへ下がり、小山の姿を見ると驚愕した。首を切り裂かれ、ちぎれかけているにもかかわらず、小山の表情には笑みが浮かんでいた。

 妖魔といえ首を斬れば致命傷である。にもかかわらず小山のこの状態は異常だと言えた。


「惜しカったわ……その可愛い顔をブチ刺してやりたかったの二」

「そういう割には悔しがっていないじゃないか」


 むしろ楽しそうだ、と内心で毒づく。


「そうね、一思いにぶち殺してあげたかったけど……楔は打てた。今の一撃は……」


 この尻尾だもの、と自分の尻尾をうねらせた。


「正直紙一重だったワ。首を囮二したのが功をそしたわね。改めて認めるわ、高垣炎は強い。人間をやめたのにまだこんなちっぽけなダメージしカ与えられなかった」

「お褒めに預かりどうも」

(……かすりもしたくなかったけど、してやられた。動体や腕ならまだしも首を囮にするとは思わなかった)


 これも妖魔になったせいか、と推測する。

 だが今心配すべきは頬の傷だ。どんな毒なのか? 自分が耐性のある毒なのか?


「ああ、楽しい。こんな傷を負ってもほら」


 炎が思考する間に小山は首を癒着させる。完全回復にも等しい目の前のふざけた現実に炎も頭を胃痛める。


(いや、こんな化け物じみた回復はありえない。無条件だったら破格すぎる)

「今度は完全に切り落としてみるか」

「それは無理よ。さっきのガあんたの最大ノ勝機だったんだから。傷はちっぽけだケど……かすり傷でも致命傷、私ノ勝ちは揺るぎナイ」

「言ってくれるじゃないか、小山……」


 睨みを利かせながら小太刀を持つ右腕を上げる。それと同時にカラン、と左手に握っていたクナイが落ちた。

 この事実に炎は困惑した。そんな光景を見て小山は醜悪な微笑みを浮かべる。


「キ、ヒ.ケヒャハハハハハ!」


 絶望へのカウントダウンが始まったとばかりに、小山は笑い声を響かせた。


(麻痺毒? いや、でももう動くし感覚もある。痺れもない。なんだ、どういう毒だ!?)

「隙ありだよォ!」

「グッ!」


 小太刀で弾くがうまく力を逃がせずに大きくよろめき、その隙を見逃されずハサミが炎の蟒蛇の肩鎧に傷をつける。そして続く掌底が炎の顎を打ち抜いた。

 脳震盪こそ起きなかったが締めの一撃と言わんばかりに前蹴りを叩き込まれ、壁を突き破るほどの勢いで吹き飛ばされた。


「ハッ、さすがは高垣炎、ネ」


 しかし、憎々しげな口調で小山は炎を褒める。彼女はとっさに衝撃と同じ方向に跳んで威力の軽減をさせていた。


「身体が最善の行動をとル、その年齢デできるもノではあるまいに……忌々しい」


 少なくとも小山にはできない芸当だ。


「けれど、これで詰ミだ。最新式の鋼鉄兵器を纏っているとイエけして完璧ではナイ」


 蟒蛇は軽装型の鋼鉄兵器。並の妖魔であれば触れることすら叶わないが、機動力を重視したために装甲は比較的薄い。だが小山の攻撃力は並の妖魔というにはいかない。

 サイズこそ人型であるがその力は彼女の体に凝縮されていた。だからこそ格上である炎相手にも真正面からもこの結果を出せた。

 そう、妬みの対象であり憧れであった頭領・高垣炎に勝った。

 だがまだ遺体は確認していない。遺体を見つけて息があれば完全に息の根を止めて……『食べる』。

 そうしてまた一つ、強くなる。

 そう考えて崩れた壁の向こうへ足を踏み出す。小山の視界には倒れている炎が見えた。


「無様ね『頭領』。格下相手に無様ヲさらした気分はドォ?」

「……」


 反応は帰ってこない。気絶しているのか、あるいは隙を見ているのか……と考える。


(この女ならありえる。才覚もあり、勝利への執着は異常に強い)


 鋼鉄兵器もまだ解除されていないことから十分にありえることだった。


「なら……」


 死んでいないとは言え、弱っていることには違いない。手足を切り落として、確実に仕留める。

 着実にちかづき腕のハサミを振り上げ、まずは足を狙い……


「ごげばっ!?」


 ――振り落とす前に衝撃が襲った。


 小山の身体は宙を舞い、炎の上を通り過ぎ、地に転がり落ちる。

 理解が追いつかなかった。


「危機一髪、だったわけか」


 聞いたことのない男の声音。だが炎の言っていた特徴と会う鋼鉄兵器を纏っていた。

 そしてその男は炎を抱きかかえていた。


「何者ダ?」

「仮面エージェント、とでも言っておこうか」

「……ふざけた輩だ」


 小山の苛立ちが一瞬で最高潮に達した。

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