ゆりと正夫
赤根好古
第1話
ある日、嫁さんが珍しいことに、一輪の赤いチューリップを買ってきた。
「へぇー、どうしたんや。こんな花、買ってきて」
と言いながら、チューリップを正夫がじっと見ていると、突然チューリップの花が、話し掛けてきた。
『こんにちわ。やっと会えたわ、私のことがわかってくれるひとを、探してたの』
『えっ』
思わず、正夫はのけぞった後、キョロキョロと廻りを見渡した。嫁は、買い物をしてきてすぐに台所で、夕食の準備をしている。
やはり、どう考えても、話し掛けてきたのは、目の前のチューリップの花以外にはない。
『そうよ、私よ。話し掛けてきたのは』
『えっ』
『ユリと読んで』
(チューリップなのに、ユリって)
『あなたは、仕事が無くなって、嫁さんに頼ってばかりでは駄目だと思ってるんでしょ』
「おーい、花がしゃべってるぞ」
しかし、嫁は夕食の準備に夢中で、とりあってもくれない。
『あたりまえよ。奥さんは信じはしないわ。私の声は、あなたにしか聞こえないのよ』
正夫は、言葉が出ない。
『仕事がないんでしょ』
『うん。しかし、何でわかるんや』
『私は、ひとの心の中が読めるのよ』
『ふーん』
正夫は勿論、ユリの言葉を信じるはずもない。
『正夫君の顔に、書いてあるもの』
正夫は、両手で顔をなぞったが
『顔には何も書いてないわ』
『何で、俺の名前まで。しゃべってないはずやけど』
『だから、正夫君の心の中が読めると言ったでしょ』
『うん』
『私を使ったら』
『どういうこと?』
『占いをするのよ』
『えっ、そんな事、俺できないよ』
『私が占うのよ』
『あっ』
『そうよ。正夫君が、占ってる振りをするの。その後ろで、私がお客さんを占うの。それを正夫君がお客さんにしゃべるのよ』
『そんな事、できるかな?』
『やってみないと、わからないでしょ』
正夫は、不安でしょうがない。
『当たって砕けろよ。私が付いてるわ』
『どうして、そこまで親切にしてくれるんや』
『私の話し相手になってくれるひとが、今までいなかったんだもの』
(そんな事、言ったって)
『大丈夫よ』
『えっ』
『だから、正夫君の心の中が読めると言ったでしょ。何度言ったら、わかってくれるの。あっ、奥さんが来たわ。また後で』
じっと、ユリを見ている正夫に
「よっぽど、そのチューリップが気に入ったのね」
嫁に気付かれまいと正夫は
「ま、まあね」
「さぁ、お膳を拭いてちょうだい。晩ごはんだから」
と、正夫に布巾を渡しながら、嫁は
「私ね。子供の頃に、花屋さんになりたいと思ったことがあって。このチューリップの花を見たら、急に家に持って帰りたくなったの」
「そう」
(ユリが、嫁さんに暗示を掛けたのかな?)
『そうよ』
『えっ、やっぱり』
正夫は、ユリの方を見て思った。嫁が
「今日、どうだったの」
「やっぱり、駄目だった」
「そう」
正夫は、失業して半年になる。その間、ハローワークに行ってはいるが、まだ再就職できていない。
「行ってきます」
翌日、嫁が仕事に行った後、正夫はユリとゆっくりと話すことができた。
ユリが日に当たるように、鉢は窓辺に置いてある。その窓からは、むかいのベランダで、日向ぼっこをしている三毛猫が、大きなあくびをしているのが見える。
『私をカバンに入れて、占いをする所へ持っていくだけでいいの。どこかに私を置いてくれたら。お客さんからは、単なるアクセントとしか思わないでしょ。善は急げよ、試してみれば。正夫君の心の中を読んだことで、私のちからも、わかってくれたでしょ』
『うん、そうさせてもらおうかな』
正夫も、だんだんその気になってきた。
「カバン、カバン」
正夫は、ユリが鉢ごと入るカバンを見つけてきて、手でバタバタとカバンの中のホコリを払いながら
『ユリ、これでもいいかな』
『まぁいちわ。我慢する』
正夫は、ユリをカバンの中に入れて、家を出た。
電車内で、正夫はカバンの中を覗いて
『ユリ、苦しくないか』
するとユリは、花びらを正夫に向けて
『大丈夫よ。苦しくないわ』
隣りの座席に腰掛けている女性は、正夫を見てカバンの中に、犬か猫でもいるのかと思った。
晴れ渡った見事な青空の下、正夫は通勤時に利用していた電車とは反方向へ。そして、たくさんのひとが降りる駅で、当てもなく電車から降りて、駅前を歩いていると
「占いの館」
と書いてある看板を、正夫が見つけた。しかし正夫は、その前を行ったり来たりしているだけで、中々入ろうとはしない。カバンの中からユリが
『もう、男でしょ。しっかりしなさいよ』
『わかったよ』
正夫は、ゆりの入ったカバンを両手で抱きながら、占いの館に入って行き
「すいません」
「はい、占いに来たんですか?」
いかにも、占い師という感じの凄い髭を生やした老人が出て来たので
「あのう、私も占いをしてみたいのですが」
「あなた、占い出来るの?」
「は、はい」
その占い師は、正夫を上から下まで目で追ってから
「タロット占い?それともトランプ?」
正夫は、もじもじしながら
「いえ、何も使いません」
「へぇ、凄いね」
「そうでもないんですけど」
正夫は、ただユリが頼りなだけで、自信なんてあるわけがない。
「それではね、ここには入り口から順番に五つの占い部屋があって、空いてるのは一番奥だけなんだけど、それでいい?」
「はい、占いが出来るのなら」
正夫は、恐る恐る占い部屋の奥へと歩いてゆくと、カーテンが閉まっているのは占いをしている最中なのだろうし、カーテンが開いていて、お客さんがいなくて手持ち無沙汰にしている占い師もいた。
部屋に入ると、とりあえずユリをカバンから出して、占い部屋の机の上に置いて
『苦しかったろう』
『そうでもないわ』
正夫とユリは、占いの部屋を見回したが、ひどく殺風景で、後ろについてきた老占い師が
「お客さんひとりに、四割いただきますよ」
「えっ、そんなに」
「仕方ないよ。その代わり、お客さんが来ない時は、賃料はいただかないから」
「皆さん、占いの値段はいくらに設定してられるんですか?」
「五千円」
(の四割引きというと、ひとり三千円か)
『大丈夫よ。私が占ったら、次から次へとクチコミでお客さんが来るから。それにたくさんお金を取られたって、元手要らず何だかんだら』
『そ、そうやな』
「誰と話してるんですか」
「い、いや。それでお願いします」
その部屋は、蛍光灯が眩しいくらいに明るくて、ユリは
『私、ここ気に入ったわ』
『それじゃあ、ここに決めるわ』
「それじゃあ」
と言って、老占い師は足早に自分の占い部屋に帰っていった。
その部屋は、駅からの道路に面していて、お客さんがいちばん入りやすい位置にある。
『とりあえず、場所は確保したけど』
『大丈夫よ。どっしり構えなさいよ』
『けど、この占いの館の作りやったら、手前にお客さんが入ってしまって、みんなお客さんが入ってる時だけ、俺とこにお客さんが来るように出来てるんやな』
正夫は、駅前の自動販売機で買ったブラックの缶コーヒーを飲みながら
『あっ、ユリは何か欲しいものない?』
正夫は、自分が1日に三度食事をしているのに、今までユリの事を、全然気付いてなかった。
『ほしいのはね。水と正夫君の、私への愛情』
『ちょっと待ってて』
正夫は、占いの館を出て駅前へ戻り、花屋を探した。駅前なら、花屋があるだろうとの考えから。
「あっ、あった」
正夫は、花屋で肥料になるアンプル剤みたいな物と水を買って帰り、早速ユリに与えた。
『ごめん、自分の事しか考えなくて』
『気が付いてくれただけでも、嬉しいわ』
しかし、占いに来るお客さんなど、いるはずもなく
『嫁さんが、家に帰るまでには、帰らないとな』
『ちょっと、本屋に寄ってたとか、適当に言えばいいじゃない』
『けど、ユリを持ち出したことご、バレてしまうよ』
『ホントね。男のひとが、植木鉢をもって町中をうろうろしてると知ったら、離婚されるわね』
『ホントや』
と、ひとりと一輪が笑っていたら、初めてのお客さんが来た。偶然とはいえ、他の占い部屋にお客さんが全部入っているからで。若いお客さんが、恐る恐る正夫の部屋に入ってきたが、今度は正夫が緊張してしまって
「ど、どうぞ」
と言って、女性客を座らせようとしたら、正夫のお尻が、ユリの置いてあるテーブルに当たり、鉢が落ちそうになって、正夫は
「おっと」
と、危うくユリを落とさずに済んだ。正夫が落ち着かないのを見て、ユリは
『しっかりしろよ、男だろ。私が付いているから』
『う、うん』
その女性は、髪が肩まであり、身長も165センチ位があって、スラッとして、何処か影があるように見受けられた。
「それでは、お名前と生年月日を教えて下さい」
「はい、立花かおり。24歳。平成元年2月15日生まれです」
「えーと」
と、正夫が時間を掛けようとする間もなく、ユリが
『あなたは、上司との事で悩んでいるんですね、と言いなさい』
「えっ。は、はい」
「誰かと、お話しされてるんですか」
占いに来た立花と名乗る女性が、不審に思うと
「独り言です。えっへん」
と、勿体ぶってせきをし、正夫は目を閉じて考える振りをしてから
「あなたは、上司との事で、悩んでおいでですね」
「えっ、わかるんですか」
正夫へ、ユリからのテレパシーで、そのまま女性に尋ねていく。
「そうなんです。私の部署の課長に、飲みに連れていかれて、二人だけになった時、ホテルに誘われたのを断ると、次の日から目の敵にされてしまって。課長に会いたくなくて。仕事に行くのが、イヤでイヤで」
『大丈夫ですよ。その課長は、まもなく転勤しますよと、言いなさい』
『えっ、そんな無責任なこと、言っていいの』
『いいから』
「えっと、上司の常套手段ですね。大丈夫ですよ。その課長は、まもなく転勤しますよ」
「えっ。い、いつですか」
『一週間は、かからない』
『えっ、そんな事、言っちゃっていいの』
と、正夫はユリの方へ振り返ったが
『大丈夫、約束するわ』
「一週間は、かからないでしょう」
「ど、どうしてわかるんですか」
正夫も
(俺も、ユリに聞きたいわ)
「ほんとうのことなら、ものすごく嬉しいんですけど」
「占いに来たんでしょ」
「はい」
「占ってみて、その結果が課長の転勤なんだから、信じなさい」
「それなら、こんなに嬉しいことはないんですか」
「あなたは、今まで我慢したんだから、あと一週間は待てるでしょ」
「は、はい」
「あなたは、会社を辞めたくないんでしょ」
「そうです」
「それなら、あと少し頑張ってみましょう」
「ありがとうございます。うちの会社に、セクハラ相談室があるんですけど、言い出せなくて」
立花かおりは、正夫に深々と頭を下げて帰っていった。ほっとした正夫は
『本当か、ユリ』
正夫も、立花かおりと同じように、ユリに尋ねると
『本当よ、嘘は付かないわ』
『けど、一週間って』
『それは私にもわからない。直感ね、私の』
(まあ、俺が花と話してる事自体、奇跡やけど)
『そういう事』
『お、おまえ』
『けど、あの立花さんという女性、ここに来た時と帰る時の顔色が、まるで違ったじゃない』
『そうやな、一週間か。その課長が転勤出来たら、本当にええよな』
正夫とユリは、占い部屋の出口を見た。初めてのお客さんが、あんなに喜んでくれたら、正夫も嬉しくなってしまう。
『そうね。それもそうだけど、もっとお客さんが来てくれないと』
『ひとり来ただけでも、儲けもんんや』
『そんな事言ってると、正夫君も私も、干上がってしまうわよ』
『うん、そうやな。また嫁さんに頼らなあかんもんな』
『そうよ』
正夫は、腕時計を見て
「おっと、もう4時や。嫁さんが帰ってくるまでに、家に帰らな」
正夫は、急いでユリをカバンに入れて、先輩の占い師たちに
「お先に失礼します」
と、家路に付いた。
立花という女性が来てから一週間、全く占い客が、正夫のところに来なかった。その間というもの、正夫の財布からは、電車賃と昼食代で、すぐにマイナスになってしまい
『あーぁ、折角のユリの超能力も、ひとが来てくれんかったら、しゃあないなぁ』
『大丈夫よ』
『ええなあ、花は気楽で』
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