第41話:仕組まれた偶然
『担任の先生じゃない、後輩の君に話したいことがあるんだ。教え子じゃない、先輩の私として』
彼女のあの言葉が頭から離れないまま、幼馴染と飲みに行くと言っていた日がやってきてしまった。夜六時にカサブランカというバーに行くと、彼女は言っていた。あれは彼女の独り言。私は何も聞いていない。そう言い訳して、店へ向かう。着いたのは七時過ぎ。一時間経っているが、まだ帰ってはいないはずだと信じてドアを開ける。カランカランと入り口のドアに取り付けられた鈴の音に反応して、彼女がこちらを向く。目が合うと、来てくれたんだと言わんばかりにパッと顔を輝かせた。
「き、奇遇、ですね」
「ねー。ほんと。偶然」
隣に座っていた彼女の幼馴染とその夫に白々しいなと苦笑いされながら、彼女の隣に座る。「何にします?」と男性店員が声をかけてくれたが、正直こういうバーは慣れていない。普段は居酒屋しかいかないから。
「えっと……私、お酒はあまり詳しくなくて」
「普段は何飲むの?」
「ビールとか、酎ハイとか」
「ビールを使ったカクテルは飲んだことある?」
店員の代わりに先輩が色々と聞いてくれるが、距離が近い。いつものことだが、何故かいつもよりドキドキしてしまう。
「ビ、ビールを使ったカクテルなんてあるんですね」
「色々あるよ。有名なのはシャンディガフとか。ジンジャーエールで割るやつ」
「えっと……じゃあ、それください」
「はーい。海さん聞いた? シャンディガフ一つ」
「はーい」
海さんと呼ばれた女性店員はグラスを取り出すと、ビールを勢いよく注いで泡を作る。続いてそこにジンジャーエールをゆっくりと注ぎ入れ、長いスプーンで軽く混ぜる。
「はい。シャンディガフです」
ビールとジンジャーエールを混ぜただけのものを出され思わず「これで完成なんですか?」と言ってしまう。カクテルというとシェイカーを振って混ぜるイメージしかなかったから。言ってしまってから失礼だったと気づき謝罪するが、女性は「僕も最初は同じこと思いました」と明るく笑い飛ばしてくれた。
出されたカクテルに口をつける。苦いビールとジンジャーエールのピリッとした辛味が良く合う。混ぜただけじゃないかと思ってしまったが、美味しい。
「来てくれるって信じてたよ」
「……話を聞きにきただけです。それ以上のことは、しませんからね」
「それ以上のことってなに? どこまでならセーフ?」
揶揄うように言いながら、彼女は私の手を握る。
「そ、そういうのは、アウトです! 接触禁止です!」
「話術のみで口説き落とせってことね。オッケー」
「……そういうことばかり言ってると帰りますよ」
「ごめんごめん。つい」
「全く。……それで、話ってなんですか?」
「……あー……えっと。散々言ってるけどさ、改めて言いたくて」
一呼吸置いて、彼女は私を真っ直ぐに見つめて言う。「好きだよ。中学生の頃からずっと」と。
「……そんな真剣に告白されても、付き合わないことに変わりはないですからね」
「分かってる。今は君の本音が聞きたいだけ。私のことどう思ってる?」
「……言わなくても、分かるでしょう」
「うん。それでも聞きたい。ちゃんと聞かせて」
「……す」
「す?」
「——す、好き……です……先輩のこと。……ずっと、好きです」
改めて口にすると、やはり恥ずかしい。そして罪悪感がある。誤魔化すようにカクテルを呷り、二杯目に入る。
「いつから?」
「……初めて話した、あの日からです」
酒を飲みながら過去を語る。
明菜先輩と知り合う少し前、私は先輩男子から呼び出された。委員会で一緒だった二年生の男子。たまに話すくらいで、それほど仲が良いというわけではなかった。そんな彼から突然付き合ってほしいと言われて、戸惑いながら断った。すると数日後、今度は見知らぬ先輩女子に絡まれた。彼女は彼の恋人だったが、好きな人が出来たとフラれたらしい。その好きな人が、私だった。彼女は私が彼に色目を使ったのだと非難した。私はただ、たまたま同じ委員会に入ったから交流があっただけだと主張したが、聞く耳を持たずに怒りのままに私を突き飛ばした。その時たまたま近くにいて私を抱き止めてくれたのが、先輩だった。先輩は怒り狂う彼女を説得して私に謝罪させた後、私に手を差し伸べて言った。「怪我はない?」と。彼女のその一言で、堪えていた怒りや悲しみや混乱が一気にが溢れ出して泣いてしまった。先輩はそんな私に「怖かったね。もう大丈夫だよ」と優しく声をかけながら、落ち着くまで側に居てくれた。それが、先輩と話すようになったきっかけ。あれは確か、中一の秋頃の出来事だ。
「それ以来、君は私のこと見つけるたびに声かけてきてたよね」
懐かしそうに先輩は笑う。それが恋だと自覚するまでは、先輩を見かけるたびに声をかけた。しかしある日、先輩が見知らぬ男子と仲良さげに話しているのを見かけた。それが山本先輩だった。山本先輩は当時、彼女の恋人だった。それはお互いに異性愛者のフリをするための恋愛ごっこだったわけだが、当時の私は二人が本気で恋愛をしていると信じて疑わなかった。当時の二人は恋人というには色気のない雰囲気だったものの、夫婦のような仲の良さはあったし、息もぴったりだったから。そのまま大人になって結婚していても不思議ではないような、そんな雰囲気だった。そんな雰囲気の二人を見ていると、胸が痛み、気軽に声をかけられなくなった。だけど先輩は、自分から私に声をかけに来てくれた。ちょっかいをかけてくるようになったのは、その頃からだった気がする。そう語ると先輩は「君の方から来てくれなくなって寂しかったんだよ」と照れ笑いした。その表情がたまらなく愛おしくなり、彼女の頭を撫でる。
「あれ、接触禁止じゃなかったの?」
と、彼女は少し戸惑うように言いつつ嬉しさを隠せない顔をしている。可愛い。可愛くて仕方ない。
「……私からは、良いんです。私は先生だから」
「先生が生徒の頭を撫でるのはちょっとまずい気がするけど」
「……じゃあ、先輩が撫でてください。先輩ばかりずるいです」
頭を差し出すと、先輩の手が私の頭を撫でる。恋人を愛でるように優しく。正直、不快ではない。むしろ心地良い。だんだんと、頭がぼーっとしてくる。まるで催眠術にかけられているかのように。眠たくなってきた。
うとうとしていると、彼女が何かを言いながら肩を叩いてきた。何を言っているのかも、それに対してどう返事をしたのかも、よく分からない。そのまま意識は夢の中へと引っ張られていった。
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