第12話:年下の先輩

「……明菜ちゃん、本当に行くの?」


 店を出ると、あずき先輩は私にそう問いかけてきた。


「マスターのお弟子さんのお店? 行くよ。そのうち。先輩はどうします?」


 答えて問い返す。彼女は問いには答えずに「同性愛者なのに異性と付き合ってる人、嫌いなの」と語る。自分が異性愛者の女性に弄ばれた経験があるわけではないものの、SNSで繋がっている同性愛者の経験談を聞いているうちに偏見を抱いてしまったようだ。しかし実際、付き合っていた恋人が最終的に自分ではなく異性を選んだという経験をしている同性愛者は少なくない。フィクションでも良くある展開だ。偏見を抱いてしまうのも無理はない。


「……だから、その人に会ったらきっと、酷いことを言ってしまうかもしれない」


「自分の中の偏見を自覚してるなら、大丈夫ですよきっと」


「……」


「自分の偏見を指摘されても、気づかなかったり、すぐには認められない人の方が多い。だから差別は簡単にはなくならない。人間なんてそんなもんだよ。それでも自分の中の偏見と真っ直ぐに向き合ってる君は偉いよ。それは誰にでも出来ることじゃない。強いな。君は」


「……またそうやって歳上ぶる」


「歳上だからね。素直にありがとうって言いなよお嬢さん」


「……ありがとう。お姉さん」


「ん。どういたしまして。タクシー呼びますね」


「あ。兄が迎えに来てくれるから大丈夫。明菜ちゃんも乗せてくれるって」


「お。ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」


 あずき先輩のお兄さんの迎えを待っていると「お嬢さん達」と声をかけられる。一瞬身構えたが、声をかけてきたのは警察だ。未成年と思われたらしい。よくあることだ。今日は先輩も居るから、なおさら未成年に見えたのだろう。しかし、声をかけてきた警察官とは別の警察官があずき先輩にいつもごめんねと声をかける。先輩は「いえ、慣れてますから」と答える。この見た目で夜の街を歩いていたら職質慣れするのも、警察官と知り合いになるのも分かる。


「甘池さんは未成年じゃないことは分かってるんですけど、一応、そっちのお姉さんだけ身分証見せてもらって良いですか?」


「はい」


 免許証を見せる。あずき先輩の知り合いじゃない方の警察官は先輩を訝しむように見ている。見せなくても良いと言われたものの、やはり気になるのだろう。免許証を財布から取り出して彼に見せた。


「は、二十歳ぃ!?」


「はい。二十歳です」


「だから言ってるだろ」


「失礼しました」


「いえ。そういう反応も慣れてますから」


 先輩はそうにこやかに対応していたが、職質から解放されて車に乗り込むと深いため息を吐いた。そういえば、先輩は警察に身分証を求められた時には運転免許証を出していた。


「先輩って、免許持ってるんですね」


「うん。普通に運転するよ。教習所には私より背が低い人もいたよ」


「へぇ」


「明菜ちゃんは車運転するの?」


「免許は持ってますよ。仕事で使ってましたから」


「あ、そっか。社会人経験あるんだっけ」


「去年まで社会人でした。社会人歴十年です」


 話を聞いていたあずき先輩のお兄さんが「わー。俺より働いてる……」と呟く。


「にいちゃんはまだ大学生だもんな」


「お兄さんおいくつですか?」


「今年で二十二です。あずきより一つ上です。就活生です。高校生に戻りたいです」


「ははは。社会人は大変ですよー」


「一日八時間とかエグくないですか!?」


「慣れですよ慣れ」


「明菜ちゃんは残業とかなかったの?」


「まぁ、それなりに」


「嫌だぁー! あずきと会う時間が減る!」


「減ってくれて構わんぞ。バリバリ働け」


 冷たく言い放つあずき先輩。既視感のあるやり取りだなぁなんて苦笑いしていると、スマホが鳴った。「いつまで飲んどるん。鍵閉めるよ」と、反抗期じゃない方の弟からのメッセージ。「今先輩に送ってもらってる。もう着くよ」と返す。「じゃあもうちょっと起きとるわ」というメッセージと共に、ベッドに入る犬のスタンプが送られてくる。寝てんじゃねえかよ。


「明菜さん、この辺で良いかな」


「あ、はい」


 家の近くで車を停めてもらい、降りる。先輩のお兄さんにお礼を言うと「こちらこそ。妹のこと、これからもよろしくお願いします」

 と言って、車を走らせて去っていった。もしかしたら何勘違いをされたかもしれない。まぁ、誤解があったら先輩が解いてくれるだろう。車を見送って、家に入る。家の鍵は開いていた。リビングの電気がついているが「ただいま」という私の声に返事は無い。リビングに行くと、ソファに大きな人影が。秀明だ。人影はそこから動かないのにリビングの方から音がする。そっと覗くと、あくびをしながらコップにお茶を注いでいた千明が、私を二度見して「うわっ! 音もなく帰ってくんなよお前!」と一驚する。ダバダバとコップからお茶が溢れる。指摘すると千明は「うわっ! ふざけんなよー! クソババアがよぉ……」と私に理不尽に怒りをぶつけながらお茶を置いて台拭きで台を拭く。幸いにも床までは流れていないようだ。


「いや、ただいまって言ったんだけど。てかどうしたのこんな時間まで起きて。良い子はもう寝る時間だぞー。あ、千明は悪い子だから良いのか」


「うるせぇ。酔っ払い」


「んふふー。反抗期め。可愛いのう。ハグしてやろう」


「だー! よるな酔っ払い! はよ風呂入って寝ろ!」


 などと騒いでいると、ソファの人影が動いた。振り返り「ああ、帰ってきたの。お帰り」と力無く手を振る。目が半分閉じている。


「待っててくれてありがとな。しゅう」


「んー……戸締りよろしく……」


「ああ。おやすみ」


 のそのそと部屋に戻っていく秀明。千明もコップに入ったお茶を飲み干すと「鍵閉め忘れんなよババア」と吐き捨てて帰って行った。かと思えば戻ってきて「冷蔵庫にスポドリあるから。ちゃんと飲んどけよ。二日酔いになられると迷惑だから」とわざわざ言って今度こそ帰って行った。全く。素直じゃない弟だ。あずき先輩も家ではあんな感じなのだろうか。今度はお兄さんの方とも飲みに行きたい。なんて、あずき先輩に言ったら怒られるだろうか。

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