初対面

 突き当たりの壁から部屋を数えて三室目が、彼女と相対する念願の部屋であった。扉の前に立つと、唾液が多く分泌され、何度も喉仏を上下させた。人参をぶら下げられた馬のような興奮とは相反し、ふつふつと泡が破裂を繰り返す煮えた興奮が身体を支配している。保健体育の授業に浮き足立つ男子生徒の青臭さを演じる訳にもいかない。彼女の前では紳士らしい振る舞いに多大な努力を払い、なるべく気受けを良いものにし、楽しげに一夜を過ごすつもりだ。


「ふぅー」


 深く息を吸い込むと、地球温暖化の源であるきわめて濃い二酸化炭素を足元に吐き落とす。そして、肩幅に合わせて両足を開いた。これから先に待ち受ける事態の行方に対して、想像すればするほど、おっかなびっくりに腰が引ける。即席ながら、清濁併せ呑む器量を拵えなければ、足腰の悪さを招き、クネクネと芯がない男となる。意図しない第一印象の低下は、これから一夜を共に過ごそうとする男女の関係を見直すきっかけになり、後味の悪い別れの布石となり得る。私は、毅然とした身のこなしを表現するという命題を殊更に意識し、彼女との対面を恙無くこなすつもりだ。


「コン、コン」


 私は部屋の扉を二度叩き、来訪を知らせる合図を送る。すると、此方に向かって近付いてくる足音が聞こえて来て、私は未だ見ぬ彼女と、扉を一枚隔てた距離感にて言葉を交わす。


「どちらさまですか?」


 彼女が操る落ち着いた語気は、脈々と受け継がれてきた遺伝子情報による伝達から来ているはずだ。自身を取り巻く周囲の環境や社会的体裁を殊更に気にして飾り立てるような、跳ねっ返りでは決してない。その審美眼は、私が社会との折衝に心血を注ぎ、一体どれだけ欺瞞的な声色を繕ってきたかという、後ろめたい経験則から導かれる答えであった。全身を虚飾し、彼女に対して張った“見栄”が、如何に皮相なる考えに基づいているか。私は自ら自己嫌悪に陥り、華やかに返すはずだった返事は、少しだけ暗い影を落とす。


「大野です」


 それは図らずも、彼女と同調したような落ち着いた声色になり、身の丈に合わない紳士を齧った。


「ガチャ」


 迎え入れようと扉が開いていく最中、私は慌てて息を吐いた。肺にあった辛気臭く醸成された空気を彼女に浴びせる訳にはいかないと思ったのだ。


「初めまして」


 見目麗しいという形容の仕方が彼女に対して正しく働くかと問われると、難しい。何故ならば、私の貧相な語彙力で彼女の相貌を表現しようとすれば、あまりに取るに足らず、侮辱にあたるかもしれないからだ。ただ、瞳の大きさを強調する睫毛の長さや、彫りの深さを印象付ける鼻の高さなど、部位毎に設けられた人々が美しいと感じるであろう見識に倣うと、彼女はやはり花貌に相応しい。そして、きめ細かい肌の白さに裏打ちされた、清廉なる精神が透けて見える。

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