第6話 夜襲


 飯はあっという間に無くなりました。


 女房は待っていたようで、すぐに入ってきて片付けます。

 お布団しいてよろしいですか、というのでゼノが頷くと、膳を廊下に置いたままで、ぱたぱたと夜具を整えて出てゆきました。


 リィは目を見開いて、四つ這いで布団に近寄ります。

 枕を持ち上げ、ためつすがめつ、弄んでいます。


 「頭を乗せるものだ」


 言うと、土下座をするような姿勢で枕に額をつけます。

 ゼノは大笑いをしました。


 とくにすることもないものですから、寝ることとしました。

 リィを厠に連れてゆき、みずからも用を足し、戻ると布団を叩いて、ここに寝ろと指図します。リィがそうすると、ふわり布団をかけ、頭を持ち上げ、枕を差し入れます。

 リィはなにかもじもじと、落ち着かないような様子をしていましたが、しばらく見守っているともう寝息を立てはじめました。

 ゼノはその寝顔をじっと見ていましたが、やがて燭台あかりの火を握り消し、布団に入りました。

 彼もまた、疲れているのです。すぐに夢に落ちました。


 虫の声がずっとしていたのです。

 が、夜半、ふいにそれが途切れました。


 そのことでゼノは、目を覚まします。

 月あかりが薄く入ってきています。夜明けまではまだ、刻がありました。

 ふと横を見ると、リィも目を覚ましてるのです。

 暗い中で、その金の瞳だけが、怯えを浮かべて光っていました。


 ゼノは伏したまま、目を左右に走らせます。

 また目を閉じ、空気を感じます。


 一人。

 二人。

 ……三人。

 部屋が面する庭にひとり、あとは廊下を、ゆっくりとり足で移動してきます。いずれも、重い得物を携えているようでした。


 リィが身動きします。身体を起こそうとします。ゼノは制しました。音を立てずに腕をあげ、寝ていろというようにリィを抑えました。

 耳元にゆっくり、口を近づけます。

 ごく細く、ささやくように声を出しました。


 「……おじさんが、走れといったら、障子を蹴破って庭に降りろ。そのまま走れ。どこまでも走れ」

 「……お前も、いくか」

 「いく。案ずるな」


 そういってぽんと、もういちど布団の上からリィの胸に手を当てます。


 やがて、襖がゆっくりと開きます。

 少し開け、中の様子を伺っているようです。

 ゼノはいびきの音を立てています。

 襖はさらに開き、人影が這入はいってきました。

 二人です。

 中腰で、足音を忍ばせ、ひとりはリィの方へ、もうひとりはゼノの枕元を目指しているようです。

 ゼノのほうに来た者は、短刀を持っていました。

 枕元で足を止め、ゼノの顔を覗き込んでいるようです。確かめているのでしょう。ゼノはいびきの強弱を調整し、自然な様子を装いました。

 それでも薄目で相手の顔を確認します。男でした。武人ではありません。頭の上で髪を束ねています。胸板は厚く、腕が太い。目の配り方から、荒事には慣れているとゼノは判断しました。

 もうひとりの男、リィの方に向かった者に、手で何かの合図をします。長髪をだらしなく散らしたその男は、リィの横にしゃがみ込み、顔を覗き込もうとしました。

 

 リィはそのとき、目をひらき、あ、と声を出してしまったのです。


 ゼノは布団を跳ね上げました。

 頭の左側にいる相手の足を、布団の上を滑らせるように回転させた自分の右膝で思い切り打ち払います。相手は転倒しました。

 即座にのしかかり、刃をもつ腕を手刀で叩きます。が、刃は落ちません。相手は逃れ、低い姿勢から右足を踏ん張り、刃をゼノの腹に突き出してきました。

 それを肘で受け逸らし、そのまま相手の顎に送ります。相手は仰け反ります。その隙にしゃがみ、身体を回転させ、背後にあった鞘を取ります。

 抜き払い、一歩後ろに飛びます。

 リィの方にいた長髪の男も、懐から刃を出してゼノの方に構えました。

 それを見て、ゼノは叫びました。


 「走れっ!」


 しかし、リィは走りませんでした。

 布団の上で泣きそうな表情を浮かべ、座り込んでいます。

 ゼノはちっと舌打ちをし、左手の鞘を長髪の男に投げつけました。

 男がそれを払うと同時に踏み込み、左から斬り払います。

 が、相手は身軽にそれを避け、ととんと調子をとると同時に刃を繰り出しました。格闘に手慣れています。ゼノは避けますが、今度は後ろから斬りつけられました。

 着物の背が裂けました。が、身を断つには至りません。ゼノは頭を下げながら右足を軸に身体を回転させ、その勢いで刀身を背後の男に振り切りました。

 きいん、という鋭い音。闇に火花が散ります。

 受け止めた男は飛びすさりました。長髪も距離をとります。

 ゼノはリィを庇うように立ちます。


 と、庭から障子を突き破り、なにかが部屋に飛び込んできました。

 それはゼノの左の二の腕に突き当たり、刺さったのです。


 「……っ!」


 激痛に顔を歪めます。苦無くないでした。引き抜きます。血が溢れ出ます。リィが顔を引き攣らせました。

 障子が蹴り倒され、庭から三人目が侵入してきました。両手の拳を固め、指の間に苦無をいく本も指しています。髪は短いのですが、女でした。紋様を描いた額当てをしています。

 先の男ふたりと目配せし、三人でゼノを囲みます。

 一斉に襲いかかりました。


 最初の男に斬り込まれ、避けると同時に自由な右手で薙ぎ払います。脇から刃を突き出され、倒れ込むようにかわし、前転して壁際によって踏み切ります。こちらに向かってきた長髪にまっすぐ剣を突き出します。

 長髪はすんでで躱しましたが、姿勢が崩れました。半身を相手に当てるようにし、左の膝で腹を思い切り蹴り上げます。

 吹き飛んだその身体を目隠しに、その背後にいた別の男に迫ります。剣を横に構え、押し当てるように飛び掛かります。相手も刃で受け、ゼノを膝で支えて倒れます。

 そのゼノの背に、ふたたび苦無が降ります。今度は避けました。が、女はすでに迫っていたのです。その手には短刀。左から襲います。

 剣を構えようとしましたが、激痛からままなりません。遅れます。

 女の刃が、腹に届こうとします。


 そのとき。


 だん。


 何かが弾けたような音。

 女が、飛んでいます。

 吹き飛ばされ、部屋の反対側まで転がってゆきます。


 リィは、泣いていました。

 泣きながら、転がった女の背後に立っていました。

 その拳がうっすら発光しています。

 瞳も、髪も、同様でした。


 女は頭を振りながら立ち上がり、リィに手のひらを上げました。振り抜きます。が、空を切りました。リィは再び、女の背後に立っています。

 ちくしょう、というような声をあげ、女は振り返り、その勢いのまま足払いをかけました。

 リィは、飛んでいました。女の肩に手をかけ、足を天井に向け、ふわりと舞っているのです。

 女が刃を頭上に送ります。が、リィはそれを避けませんでした。避けずに、手のひらをかざします。

 瞬時、まばゆい閃光が部屋を充しました。

 女の腕にあった刃は、溶解していました。

 あつっ、と声をあげ、女は手を振り払います。柄だけになった短刀が床に落ちます。畳がすぐに煙をあげ、炎が上がります。


 見る間に広がった炎のなかで、リィは、泣いています。

 大粒の涙をこぼしながら、声をあげて、泣いています。


 「……化け物が」


 ゼノと相対している長髪の男がリィの方をぼうぜんと眺め、呟きました。

 その機を逃しません。

 ゼノは踏み込み、下から斬りあげました。相手は払うことができません。前身を斬られ、顎を割られて、倒れました。

 別の男が横から襲います。

 ふっと息を吐きながら、下から振り上げた刃をそのまま、右手いっぽんで振り下ろします。それは相手の肩にあたり、断ちました。

 走り込んだ勢いのまま転がり、どうと倒れる男。

 

 部屋の半分ほどが、すでに炎に覆われています。

 ゼノは、立ちすくんで泣きじゃくっているリィに走り寄ります。

 抱き抱えます。

 女はすでに戦意を失っているようです。壁際でぼうとしていましたが、ゼノと目が合うと庭に走り出てゆきました。


 ゼノはリィを抱えたまま廊下に走り出ます。

 と、トクと女房がそこにおりました。

 騒ぎを聞いて出てきたのでしょう。

 肩を寄せて、震えています。


 「売ったのか」


 ゼノが荒い息を吐きながら短く言うと、トクは手を前に掲げて、かくかくと、首を左右に振りました。


 「……と、とんでもねえ、そんなこと……」


 が、ゼノの目が横の女房を捉えたのを見て、トクもそちらを振り返ります。女房は青い顔をして俯いています。


 「……まさ、か、お前……」

 「……だって、だって……」


 女房はがくがく震えながら、声を絞り出します。


 「鬼が……鬼が泊まったら、知らせろって、親分さんが……値金あてがねは弾むからって……」

 「……」

 「あんたが、そんな、鬼の子なんか、連れてくるから、悪いんだ、明日の払いだって苦しいんだ、何が悪いってんだ」

 「こ……この、馬鹿野郎……」


 ゼノは二人をしばらく、肩を上下させながら見つめていましたが、懐から巾着を取り出し、逆さに振ってなんまいかの銭を落としました。銭は、女房のほうに転がりました。


 ゼノはそのまま、玄関に向かいました。

 トクが背中からなにか声をかけました。

 が、振り返りませんでした。


 

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