きつね観音逆めっき

マスケッター

一、殺してからの忠告

 闇夜よりは多少ましな明るさの下、江戸は品川をでて北西へ。ただし、街道ではなくけもの道からけもの道へと山肌を縫うように。秋ともなれば、落葉のくだかれる音がかすかに空気をふるわせた。


 節くれだった木の根があちこちに張りだす地面を踏みしめ踏みしめ、左膳さぜんから数百歩ほど先行する中年男の足どりはいささかも乱れていなかった。


 左膳が事前に依頼主から聞いたかぎりでは、この中年男は平凡な金物屋を装う盗賊だそうだ。ならば、夜の山道に慣れているのもうなずける。しかし、それだけではない。


 関所を無視して往来するには、こうした山ごえしかない。地元の猟師や林家しか知らない道のはずだが、中年男の知識や足腰がただの盗賊でおさまらないのは明白だ。


 月と星の光を浴びながら、左膳はかぶっている狐面の目穴ごしに獲物……中年男こと盗賊……をしっかりと見すえている。獲物の歩調にあわせてつかずはなれず。


 狐面は、ただ己の素顔を隠すだけではない。いつもと異なる己になったという、いささか神秘がかった自己暗示も兼ねている。


 左膳、姓は滝戸たきどだが知る者はほとんどない。いても大抵は露骨に顔をしかめる。武士だったのに、贋金にせがね造りがばれて打首となった父のせいだ。左膳という名も、世間むけにはさんぜんと変えねばならなかった。三十路が近いというのに、月代さかやきなどそる気にもなれない。短く刈りこんでいる。


 そんな彼でも、父から三つを受けついでいる。


 一つ、五尺七寸(百七十一センチ)の引きしまった体格。二つ、村正の短刀……刃渡り八寸(二十四センチ)。三つ、鉄製の狐面。


 身体は当然として、残る二つもぬかりなく備えてある。すなわち、狐面をかぶり短刀を腹に巻いたさらしにさしていた。


 いま、やるべきは盗賊の殺害。


 左膳からすれば、問題はいかにして獲物に気づかれずに近づくかだ。とはいえ、いざ歩みを早めても不思議と距離が詰まらない。焦って走りだそうものなら悟られてしまう。


 焦る気持ちを抑えて辛抱強く機会をうかがううちに、落葉にまぎれて散らばるまきびしに辛くも気づいた。獲物がばらまいたのは明らかだ。ひょいとまたいで何事もなかったかのように獲物を追いつづけた。


 左膳ほどの夜目や仕事そのものへの熟練でなければ、まきびしを踏みぬいてすべてを台なしにしたところだ。同時に、獲物はまきびしをだすそぶり一つあらわにしなかった。どのみち尾行もばれている。ならば、すみやかに追いついてことを果たすのみ。


 左膳は、気配を消すのをやめた。即座に力をつくして走り、すみやかな達成を狙った。


 先方もすぐに察知し、振りむきもせずすねをまわさんばかりに駆けた……が、百歩と進まぬうちに左膳は追いついた。あからさまな不自然さを、彼はとうに察知しつつもあえて乗った。


 盗賊は突然たちどまり、いきなり上半身をひねったかと思うと左膳の胸めがけてクナイを投げつけた。矢印型の飛び道具は、確実に命中したかに思われた。しかし、左膳は腰を沈めて狐面でクナイを弾いた。同時に村正をぬいた。


 敵は、左膳がクナイをかわすか得物を構えて叩き落とすかする隙に斬りかかるつもりだったのだろう。だが、尾行に気づきつつ左膳を刺激すまいと振りむかないままだったのが仇となった。まさか、鉄の狐面でクナイをさばくとは予想もつかない。あてにしていた隙も生まれない。二重の失策を取りかえすひまもなく、左膳の村正が月下に敵の右手首を切断した。右手は脇差を握ったまま地面に落ちた。苦痛にうめくことすら許さず、左膳の二撃目は敵の喉を横一文字に裂いた。


 左膳は死体を見おろした。彼の顔にはなんの感情もあられてない。視線を外さないまま軽く刃を振って血を飛ばしたあと、懐紙かいしをだしてぬぐった。血に染まった懐紙は、村正を軽くくわえてからべつな懐紙をだしてくるんでおいた。懐紙の塊をしまってから、村正を鞘に納める。


 左膳はかがんで死体の両足を持ち、山道から外れたやぶのなかへ引きずった。斬り落とした右手も忘れずに。


「これで何人目だ」


 薮をあとにしようとしたとき。どこからともなく降って湧いたような質問に、初めて左膳はぎょっとした表情になった。まだ若い女性の声音ながら……いや、まさに若い女性の声音だからこそ緊張を強いられた。


「みみず。いったいこれまで……」


 辛うじてそれだけ声にした。みみずとやらの姿はどこにも見えないままだ。村正はいつでも抜けるようにしてあるが、左膳が思っているとおりの相手なら彼の生死はおぼつかない。


「何人目か、と聞いている」

「三人か、四人か。そのくらいだ」

「金で殺しを請け負うだけでも外道だが、さっきお前が殺したのは抜きさしならぬ相手だぞ」

「だれなんだ」

「伊賀者」


 忍者の代名詞を聞かされ、さすがに左膳は手足が震えそうになるのを意識した。


「金物屋を名のる盗賊という話だった」

「正直に伝えられないほど危うい仕事ということだ」

「左様なことは知らぬ」

「忍者を甘くみるな」


 みみずとやらいう声は、ぴしゃりと左膳の逃げ道を封じた。


「ならばどうしろというのだ」

「依頼主を私に明かせ。いますぐ。それならば手だてを講じてやる」


 それは、殺し屋としての最低限の掟を破ることだった。もっとも、みみずの話が事実なら依頼主も左膳を裏切っている。


「俺は質屋だ。それだけいえば、自分で調べられるだろう」


 とっさの思いつきにしては悪くなかった。じかに依頼主の名は口にしていない。さりとて、わざわざ伝えたからには重大な手がかりになる。


「ふむ。まあよかろう。だが、ぼちぼち外道からは足を洗え」

「俺とて……」


 みみずの気配が消えたのを、喋りかけた左膳はようやく察した。

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