第3話 銃口と少女
今から十年ほど遡る。
とある病室に、絶望的な病状の少年がいた。
ピッピッ……
病室に響くベッドサイドモニタの電子音。
隣には痩せ細った少年の静かに眠る姿があり。
確かにそこには息づくものがあるもの、医者は無情にも告げる。
「最善を尽くしましたが……」
医者の言葉に、妙齢の女性がまくしたてるように言葉を吐く。
「うちの
「もうそれほどもたないでしょう」
「おい、しっかりしろ」
「……充……ああ神様! どうかこの子をお助けください!」
女性が夫に支えられる中、人には聞こえない足音が病室内に響いた。
今にも命の灯火が消えそうな患者に近づいたその存在は、患者の少年を見て笑顔になる。
(お、いいところに魂の抜け殻を発見)
黒艶の波打つ髪に大きな目が印象的な──その神は、少年の中に溶けこむようにして同化した。
すると、弱々しかった電子音が、力強い心音を刻んだ。
「先生、心拍数が!」
「なに!? さっきまでは確かに……」
ただごとではない様子に、少年の母親は医者に驚きの目を向ける。
「先生、どうなさいました?」
医者は信じられないとばかりに大きく見開いて説明した。
「バイタルが安定しています……人の生命力とは恐ろしいものですね……まさかここに来て回復するとは」
「それじゃあ、充は」
「一命を取り留めたようです」
***
「お前たち、絶対に動くなよ」
拳銃を所持したスーツの男の人が、私──
なぜなら私は、逃走犯に銃口を向けられているから。
けど、そんな状況でも動じない幼馴染の
『明生、大丈夫か?』
『うん、なんとか』
私がほとんど動かずに伝えると、文はいきなり手を挙げる。
「あの、すみません。トイレに行きたいんですが」
「か、かざり!?」
(人質になって早々、なんてこと言うの!?)
ぎょっとした顔で文を見ると、文は平然とした様子で逃走犯の二人を見ていた。
「なんだと」
文の言葉を聞いて、逃走犯の男の人は女の人に相談を始めた。
そして数分後、男の人が文に告げる。
「行ってもかまわないが、もし逃げたりしたら別の人間を殺すからな」
「……わかった」
文は女の人に見張られながら、教室を出た。
***
「変な行動を見せたら、他の人間に迷惑がかかることを忘れないでね」
文の行動を見張る女が、渡り廊下で淡々と告げる。
拳銃を所持していた男よりもずっと落ち着いた様子だった。
「わかってますよ、お姉さん……ついてきてくれたのが、女のあなたで良かった」
文は女の目を見て告げる。その瞬間、文の黒い目が青い光を灯した。
「何かしら? なんだか眠く……」
すると、ドサリと思い音を立てて、女はその場に倒れる。
「少しの間だけ眠ってくださいね」
文は周りに人間がいないことを確認して、上着のポケットからスマートフォンを取り出す。
「おい、
通信先に選んだのは、警察ではなく明生の兄だった。
『
「ああ」
『それで、
「明生は大人しくしてるよ」
『立てこもり犯の目的はなんなんだ?』
「近くのマンションで発生した殺人事件の現場検証を急いでほしいとか」
『ニュースによると、そのマンションで殺人事件を起こしたのが立てこもり犯らしい』
「検証を急いでほしいってことは、犯人は別だと言いたいのか?」
『さあな……立てこもり犯のことはどうだっていい。とにかく──俺が隙を作ってやるから、拳銃を奪え』
「相変わらず無茶を言うね、
『今学校に向かっている。その教室に力をかけてやる』
「かえって危険じゃないか?」
『お前なら、少々銃弾が当たっても大丈夫だろ?』
「今の体は人間だ。大丈夫なわけがないだろう。死にはしないが」
『俺のテリトリーで問題を起こしたんだ。相手にはバチを当ててやる』
柊征の言葉に何か返そうと文が口を開いた時、傍らで眠っていた女がゆっくりと身を起こす。
「うっ……私……何をしていたのかしら?」
「ちっ、女が起きた」
『じゃあ、俺の言ったとおりにしろよ』
「相変わらず無茶苦茶なやつだな……お姉さん、やっと気づきましたか?」
文は通話を切ると、女が立ち上がるのを手伝った。
「私……どうしてこんなところで」
「用は済んだので、教室に戻りましょう」
「え、ええ」
***
「遅かったな」
さっきから苛立ちが隠せない男の人は、女の人を責めるように睨みつけるけど──
「私、倒れたみたい」
女の人が頭を押さえる姿を見て、男の人は優しい言葉をかけた。
「そうか……すまない、気苦労をかけたせいだな」
「ううん。あなたは何も悪くないわ。それより、警察はなんて言ってるの?」
「ああ。殺人現場を洗ってくれるらしい」
「あなたの無実が晴れるといいわね」
「まさかこんなことになるなんてな」
「真犯人さえ捕まれば、報われるはずよ」
女の人は男の人を落ち着かせるように背中を撫でた。
そんな中、文が男の人に近づく。
「ねぇ、おじさん……人を殺したの?」
「ちょっと、
「違う! 私はやっていない!」
「だったら、それを堂々と言えばいいのに、こんな事件を起こして……いいと思ってるの?」
「文……」
「うるさい! 黙れ!」
銃口を向けられても、文は相変わらず平然としていた。
「その落ち着きぶり……気持ち悪いな、お前は」
「ねぇ、答えてよ。おじさんは何をしたの?」
文の目が青く光ったように見えて、私は文を凝視する。
すると文の言葉を聞いて、男の人は素直に話し始めた。
「……知り合いの家を訪ねたら……友人が死んでいた。それから私は何かを踏みつけて転んで……とっさに拾いあげたのが拳銃だったんだ……そうこうするうちに、警察が集まってきて」
「それで逃げたの?」
「ああ。私が殺したと、通報した人間がいたらしい」
「罪を着せられたんだね?」
子供のように素直に頷く男の人を見て、女の人は声をあげる。
「……ちょっと! なんでこんな子供に全部言っちゃうのよ!」
「……あ、ああ。私はいったい何を……?」
静まり返る教室。
恐怖で支配されていたクラスメイトたちの目に、少しだけ同情の色が浮かんでいた。
「おじさん、無実なのに犯人扱いされてるの?」
私が憐れみを込めた目で訊ねると、男の人は再び銃口を私に向けた。
「お前たちには関係のない話だ。……ちっ、私は余計なことを言ってしまったようだ」
「らしくないわね」
「どうして話したのか、私にもわからない」
狼狽える男の人の傍ら、文がぼそぼそと呟くのが聞こえた。
「やはり男だとあまり効かないな……」
「文?」
「ああ、こっちの話だ」
「お前たち、喋るなと言っているだろう」
男の人は威嚇するように言うけど、その拳銃を持つ手は震えていて、もう怖くはなかった。
私たちに対して敵意がないことを確認すると、私は一歩前に出る。
「おじさん……良かったら私、手伝うよ」
「おい、明生。何を言ってるんだ」
「私、立派な人質になるから、頑張って真相を究明できるといいね」
私の言葉に、文は腕を組んで考える。
「だけどもし、現場を洗っても犯人が出てこなかったらどうするつもりなんだよ」
その言葉に、私じゃなく男の人が答える。
「その時は、身代金を要求して逃亡する」
「逃亡か。こんな場当たり的なやり方で、そう上手くいくとは思えないけどね」
「生意気なことを言うな。お前……自分がどういう立場なのかわかっているのか?」
まるで危機感のない文に、男の人は顔を
「おじさん、もうそういうのやめようよ」
「なんだと!?」
「だって、おじさんからはちっとも負の感情を感じないよ?」
「なめるなよ! ガキが」
「明生!」
「大丈夫だよ文、この人は悪い人じゃない」
「明生がそういうなら、そうなんだろうな」
「明生も文くんも、どうしてそんな風に落ち着いてられるの!? 相手は拳銃を持ってるんだよ」
ずっと静観していたニキが突然口を開いた。
どうやら私と文の会話に、ハラハラしていたみたい。
すると、文はいつになく笑顔で私に指をさす。
「こいつは昔から、そういう勘だけはいいんだ。――なあ、明生。男の話は本当だと思うか?」
「本当だと思うよ。このおじさんには攻撃的な感情なんてないもん」
「そうか」
私は昔からそうだった。
物心ついた時から、人が悪いことをする前触れのようなものがわかった。
「大丈夫だよ、おじさん。私ちゃんと人質になるからね!」
「なんだか調子が狂うガキどもだな」
男の人が狼狽える中、突然、カタカタと机が震える音がした。
「そろそろか」
文が天井を見て呟くと、ほとんど体感のない地震は、そのうち大きな揺れにかわり──
「きゃー!」
「なにこれ!」
まともに立っていられない状況に変わる。
突然の地震に、混乱したのは生徒だけじゃなくて、逃走犯たちは頭を抱えて伏せるようにしていた。
──そんな中、文はまるで何もないかのように男の人に近づいた。
「おい、これはもらうぞ」
「なに!?」
男の人の今にも落としそうな拳銃を取り上げた文。
そしてその銃口を男の人につきつけた時、地震はおさまった。
「お前!」
「動くなよ。動いたら撃つからな」
「文!」
「明生、もう大丈夫だ」
「やめて、文」
文が男の人を追い詰めるのを見て、私は慌てて間に入った。
「おい、何を考えてるんだ、お前」
「この人の事情、聞いたでしょ?」
「だからなんだ? 人に銃を向けてる時点で、自分も向けられるのは当然のことだろ」
「文! お願いだから」
「どけよ、明生」
「どかない!」
「頑固なところはお前の兄貴にそっくりだな」
私と文がやりとりする中、教室の扉がガラガラと開く音がした。
「おい、無事か
気づくと、知らない人が教室にズカズカと入り込んできていた。
波打つ黒髪に大きな瞳の男の人は、クラスメイトが息を飲むほど綺麗な顔をしていた。しかも着ている服は、今朝お兄ちゃんが来ていたスウェットと同じものだった。
「警察か!?」
もうお終いだとばかりに頭を抱える逃走犯の横を通りすぎて、綺麗な男の人は私の元へやってくる。
「明生!」
「え? 誰……?」
「怪我はないか?」
「え? あ、はい、何もないです」
「おい、文。どうして明生に銃なんか向けてるんだ」
「明生が犯人の前に飛び出してきたんだよ」
「どうしてだ、明生」
「え? この人、文の知り合い?」
「まあ、そんなところかな」
文は銃をおろすと、綺麗な男の人にこそこそと話しかける。
『おい、なんで
『この姿じゃないと、力が使えないだろ。それより、これはどういう状況なんだ?』
『じつは……かくかくしかじかで……』
こそこそ喋っていた文たちだったけど、そのうち綺麗な男の人が私を見て目を潤ませる。
「明生……お前ってやつは……」
「え? なんですか?」
「なんて良い子なんだ!」
「……」
「明生はその逃走犯を助けたいのか?」
「は、はい。助けたいです」
「だったら、俺が力を貸してやろう」
「この、妹バカが」
文が頭を抱える中、綺麗な男の人は清々しいほどのドヤ顔で腕を組んでいた。
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