第2話 人質
「あなたには……あなたにだけは、絶対やらない……
桜の雨が降り注がれる深夜の並木道。
「では、兄さん行きますよ。──はあああッ!」
「ちょっと待った!
今にも走ろうとしていた明生の兄を、
「なんだよ、金了兄さん」
「考えてもみろ。神々の俺たちがここで戦ったら、どうなると思う?」
「……ここら一帯が
「そんなことをしたら、人間界に影響が出るだろ。お前の大事な妹が行くはずだった大学も消し飛ぶぞ」
「……それは……だが、俺はあなたに
「だから、ここは平和にジャンケンで戦わないか?」
「ジャンケン? 俺をバカにしているのか?」
「平和的解決が肝心だろ」
金了の提案に、
「平和的解決……わかった」
「じゃあ、俺は最初にグーを出すからな」
「ああ」
「最初はグー、じゃんけんぽんっ! ……あ、勝った」
「こんなジャンケンごときで明生を渡せるかぁああ!」
「だから最初にグーを出すって言っただろ、柊征は相変わらず単細胞だな」
「ダメだダメだダメだ! ジャンケンなんかで明生は渡さない」
「さっきは納得したくせに……ややこしいやつだな」
「やはりここは拳で勝負だ」
「え、筋肉ダルマに殴られたくない……じゃあ、飲み比べなんてどうだ?」
「飲み比べ……だと?」
「そうだ。それなら、立派な勝負だろ?」
「……わかった。今度こそ、俺が勝つ!」
それから徒歩で居酒屋の屋台まで移動した
「ちょっと待て、この格好はさすがに目立つだろ」
「そうか?」
「お前……人間界で暮らしているクセに、そういう感覚に
「なんだと!?」
負けん気の強い柊征は、金了のちょっとした言葉に声を荒げるもの、今回はしぶしぶ納得すると目を閉じた。
すると、柊征の装いが今度は深緑の重ね着と黒のデニムパンツに変化する。
「なら、この姿でどうだ」
「ああ……いいんじゃないか」
続けて、金了の服装も落ち着いた黒のジャケットと黒のパンツに変わったところで、二人は屋台の
「さあ、尋常に勝負だ」
先に座った柊征の隣に、金了も腰をおろす。
眼前にはカウンターテーブルがあり、テーブルの向こう側にはおでんの具材が品目別に分けられ、出汁に漬け込まれていた。
「お前は本当に勝負事が好きだな、柊征」
「兄さんが変なことを言うからだろ」
「
「俺がどこの馬の骨とも知らない宿神に明生をやるとでも?」
「おお、怖い怖い。俺はどこの馬の骨なんかじゃないだろ?」
「兄さんでも安心はできません」
「そうやってお前は……明生を一生嫁に出さないつもりか?」
「そんなことはない。俺が認めた相手なら、喜んで嫁に出してやるよ」
シスコンを自覚している柊征が断言していると、新しい客が暖簾を押し上げる。
何気なく振り返る金了と柊征だったが、その美しい顔を見せると、客たちが黄色い悲鳴をあげた。
「やだ、何この人たち」
「めちゃくちゃカッコ良くない?」
二十代だろうか。若い女性二人は、席が空いているにも関わらず、柊征と金了を囲むように座った。
「良かったら一緒に飲みませんか?」
「悪いが、取り込み中なんでな」
柊征が顔も見ずに言うと、黄色いワンピースの女が柊征にしなだれかかる。
「えー、男二人でつまんないでしょ?」
「つまらないかどうかは我々が決めることだ」
金了は立ち上がると、暖簾の外にある席に移動する。柊征も一緒になって外の席に座ると、女たちは甲高い声で文句を放った。
「何よ、ちょっと顔がいいからって調子に乗って……いいわよ! こっちだって男には不自由してないんだから!」
女二人が去るのを見送って、柊征と金了は再び暖簾をくぐった。
「やれやれ……この姿だと面倒だな。目が冴えてやたら人間の欲が気になる」
柊征がうんざりした顔で言う傍ら、金了は卓上の小さなメニューを真剣に見つめる。
「酒が入ればそれもどうでもよくなるだろ。オーダーは決まったか?」
「ああ。やはり最初は生だな」
「俺はカシスオレンジ」
「飲み比べでカシオレだと!?」
「なんだ? ダメなのか? 同じ酒だろう?」
「……まあ、酒は酒だが」
「すみません、オーダーお願いします」
おでんの向こう側に金了が声をかけると、人の良さそうな初老の店主が顔を向けた。
「あいよ」
「生一つと、俺はカシスオレンジ……アルコール抜きで」
金了が小さな声で告げると、店主はものの数分で酒を用意した。
「兄さん、いざ勝負だ!」
「はいはい、乾杯」
***
「ちょっとお兄ちゃん、朝からどうしたの? ……ていうか、お酒くさ」
玄関で寝ていたお兄ちゃんを揺らして起こすと、私──
「お前を守るために勝負をしたんだが……俺はなんて不甲斐ない兄貴だ。ああ、ぎもぢわるい」
「はあ? 何言ってるの? それよりお兄ちゃんも会社でしょ? 早く準備しなくていいの?」
「今日は午前休にしたんだ」
「だったらベッドで寝なよ。調子悪いんでしょ?」
「ああ妹よ……なんて良い子なんだ。それをあの金髪なんかに誰が渡すか」
「
お兄ちゃんが部屋に向かうのを見届けた後、私は慌てて部屋を出たのだった。
「おはよう、
いつもの場所──繁華街の広い歩行者道路で文を見つけた私だけど、思わずその黒髪を凝視していた。
「おはよ、
「え? なんでお兄ちゃんが具合悪いこと知ってるの?」
「……ああ、うちの兄貴と飲んだって聞いたから」
「そうなの? お兄ちゃん……お酒弱いのに」
「それで、俺の返事は?」
「ええ!? このタイミングで聞くこと?」
「俺は気が短いって言っただろ」
「知ってるけど」
「じゃあ、付き合うってことでいいか?」
「ちょっと待ってよ、勝手に決めないで」
「ダメなのか?」
「(お兄ちゃんにはああ言ったけど)……やっぱり、付き合うなら好きな人がいいな」
「好きになった奴がろくでもない奴だったらどうするんだ? お前の兄貴が泥酔じゃ済まなくなるぞ」
「文は私以上にお兄ちゃんのことわかってるよね」
「まあ、小さい頃から俺の兄弟みたいなものだからな」
「でもやっぱり文はちょっと……」
「そうか。だったら、また頃合いを見て告白する」
「頃合いを見てって……いつか好きになると思ってるの?」
「今はまだお子様の明生が、いつか異性を意識するようになったら、俺の出番だろ」
「お子様って! もう、そんなこと言うなら絶対付き合わない!」
「……てことが朝からあってさ」
お昼休み中、机にお弁当を広げながら話していると、ニキは綺麗な髪を一つに結びながら爽やかに笑う。
「ふうん。
「私はちっとも面白くないよ。むしろ振り回されてばっかりだし」
「でも
「え? 文が人気? そうなの?」
「明生はそういうことに疎いんだね。まあ、私はもうちょっとガッチリした人が好きだけど」
「そうなんだ?」
「今の彼氏は筋肉がすごいんだ。やっぱり将来結婚するなら筋肉とだよね」
「え? 筋肉と結婚するの?」
「やっぱりひいた?」
「そんなことないよ。愛のカタチなんて人それぞれだよね」
「そう言ってくれると嬉しいな。私、
「私もニキのこと好きだよ……〝負の感情〟が全くないし」
「ふの? なに?」
「ううん、なんでもない」
「ていうか、登校二日目にして両想いじゃん! いっそ付き合う?」
ニキと一緒にクスクス笑っていると。
──突然、周囲がざわめき始める。
「何? どうしたの?」
教室のドアから、どんよりと暗い色が漂ってくるのを見て、私は目を白黒させて立ち上がる。
すると、クラスメイトの女子が焦ったように言った。
「拳銃を持った男の人が、校内に入りこんだらしいよ」
「え? どういうこと?」
「逃走中の殺人犯だって」
「うそ!」
私が口を押さえて周囲を見回す中、ニキは落ち着いた様子で私の肩を叩いた。
「とりあえず校舎を出よう、明生」
「う、うん」
けど、その時──
「おい!」
一発の銃声が轟いた。
周囲が異様な静けさに包まれる中、見たことのない男の人が教室に入ってくる。
「お前たち、この教室から出るなよ。一歩でも出たら撃ち殺すからな!」
「ニキ……」
「し、静かに明生」
「なんだ、お前たち。誰が喋っていいと言った」
灰色のスーツを着た男の人は、窓際にいる私に銃口を向ける。
「そうだ、お前……人質になれ」
「明生!」
「え? 私?」
ちらりと二階の窓から外を見れば、校舎をパトカーが囲んでいた。
男の人は私の頭に拳銃を向けたまま、窓から顔を出す。
「それ以上入ってきたら、こいつを殺すからな!」
男の人の声が聞こえたのだろうか。外で待機する警官たちが狼狽えているように見えた。
そんな中、あきらかに教師ではなさそうな女の人も教室に入ってくる。
「ここにいる数名の子たち以外は外に出そう。人質が多すぎても手がまわらない」
「そうだな」
あとから来た女の人が指示すると、私やニキ含めて五名以外の生徒が外に出される。
けど──
「なんだお前」
足音がして教室のドアの方に視線を向けると、そこには
文は感情の読めない表情で、男の人に向かって告げる。
「俺も人質にしてよ」
「なんだと!? これは遊びじゃないんだぞ?」
「わかってるよ。でも、うちは裕福だから、金目的なら使えるよ」
それから男の人と女の人はしばらく相談した後、文を人質に加えた。
「明生、大丈夫か?」
「う、うん」
「少しでも怪しい行動を見たら、撃つぞ」
「そうか」
教室内で緊張が募る中、文は余裕ありげに頷いた。
***
「今日は明生の好きなハンバー……ん?」
昼を過ぎた頃。
いつまで経っても酔いから覚めることができず、思い切って有給を使った明生の兄、
カウンターキッチンで夕食の仕込みをする中、ふとテレビの緊急速報に注意を引かれる。
『速報です。B高校で立てこもり事件が発生しました』
「あ?」
『犯人は人質を使って警察と交渉を……』
「……嘘だろ」
突然のニュース速報。
テレビに映っていたのは、地元の公立高校であり。
二階の教室──その窓には、見知らぬ男に銃口を突きつけられる明生の姿があった。
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