十二
「武を取り押さえろ!」
佐藤の一言に戸惑っていた男達の顔つきが変わった。中谷に向かって一斉に飛びかかる。あっという間に中谷は取り押さえられた。しかし、ホッとしたのも束の間。突然中谷が倒れて動かなくなった。
驚いた男達が中谷の様子を窺っていると、今度は別の組員が佐藤に襲いかかろうとする。中谷では無理だと判断した金子が憑りつく相手を変えたのだ。けれど、今度は佐藤に近づくことさえできずに取り押さえられてしまった。
「なんなんだいったい!」
それでも、余裕綽々だった佐藤を動揺させるには随分だったらしい。余裕を失った佐藤が叫びながら皆から距離をとって警戒心を剥き出しにしている。
それに対して黒井は冷静にもう一度告げた。
「ですから、先程から言っているではないですか。あなたは姫さんを軽んじる発言をして俊さんを怒らせたんですよと」
佐藤が充血した目で黒井を睨みつける。「何を言っているんだ!」と怒鳴りつけようとしたのだが、黒井の瞳を見た瞬間思考が停止してしまった。
――――またコレだ。
何故か黒井の瞳を見ると吸い込まれそうな不思議な感覚に陥ってまともに物事を考えられなくなる。佐藤はぐっと眉間に力を入れ、不思議な力に抵抗を試みた。
そして、気づく。黒井の瞳が真っ黒でも茶でもなく、青みがかった黒であることに。珍しい虹彩だからだろうか。その瞳で見られると全てを見透かされてしまう気がするのは。
この場、この時に、くだらないことに気を取られてしまった自分に舌打ちし、佐藤は無理矢理虚勢を張った。わざとらしく鼻で笑ってみせる。
「死んだ金子が化けて出たとでも言いたいのか?」
「ええ。その通りです。先程の発言を取り消さない限り、俊さんは何度でもあなたを狙おうとしますよ。生きている人間が相手ならともかく、死んでいる俊さんを相手にするのはさすがのあなたも大変でしょう?」
佐藤は一笑してしまうつもりだったのに、黒井は『金子幽霊』説を前提に話を進めようとする。
黒井が取り押さえられている男二人に視線を向ける。先程まで異常行動を取っていた二人は、今も意識を失ったままだ。つられて佐藤も二人に視線を向ける。
佐藤は苦々しい顔で唸り声を上げた。二人とも普段から佐藤に従順でたてつこうとする人間ではない。演技しているようにも見えなかった。――――だからといって、
二人のやり取りを黙って見ていた白金も佐藤と同じように顔を顰めていた。過去の実体験を思い出していたのだ。過去の白金も幽霊なんているわけないと思って痛い目にあった。
――――佐藤も一週間くらい金子に憑かれたらいい。そうすれば嫌でもわかるだろう。
そんな白金の念が届いたのか、佐藤の表情が変わる。
最初に挨拶を交わした時と同じような笑みだ。
「さすが姫さんのお友達ですね。私相手にこんな手の込んだことをするなんて大したものだ」
要は、『全く信じていない』『幽霊なんてばかばかしい』ということを言外に示しているのだろう。『どんなトリックを使ったのか?』『中谷達は佐藤を裏切ったのか?』そんな疑問は考えるだけ時間の無駄だと切り捨てたようだ。その含みに黒井も気づいている。
「全く信じていないようですね。まあ、どちらでも構いませんが。結果は変わりませんから」
淡々と述べる黒井。実際、結果は変わらないのだから当然といえば当然だ。佐藤が幽霊の存在を信じようが信じまいが、先程の発言を撤回しない限り、佐藤の周りでは奇々怪々な事象が続くのだから。
その言葉の意味に気づいたのか、佐藤の顔が強ばる。笑顔はひくつき、顔も醜く歪んでいる。虚勢を張ったものの、ちょっと揺さぶられただけで本性を隠し切れなくなる程度には追い詰められているらしい。
そんな佐藤を初めて見た藤田は嫌な予感がして、仁美を自分の後ろに下がらせた。
佐藤は床に散らばった残骸と、意識を失っている二人、顔色の悪い組員達を見て、グッと眉根を寄せた。
そして、深く息を吐きだして、告げる。
「わかった。先程の言葉は取り消そう。うちのものには、今後姫さん……仁美さんとの接触を禁止する」
仁美との関わりを絶つと決めた佐藤。その決定に藤田の胸に複雑な思いが広がったが、それも一瞬だけだった。ホッとした気持ちが強い。今まで自分の立場上言えなかったが、親としては愛娘にはあまり裏の世界には関わってほしくないというのが本音だ。
これで話はおしまい。と、なるはずが、仁美が空気を読まずに佐藤に向かって吠えた。
「俊のことも謝ってよ!」
佐藤の顔が一気に険しくなる。藤田の顔が青ざめ、慌てて身を乗り出した仁美の腕を引いた。
けれど、仁美はその手を振り払った。
金子が殺された理由も、殺され方も、納得できないことだらけだった。
追体験した仁美は金子が味わった痛みを、苦しみを知っている。鮮明に覚えている。とうてい、他人事では片付けられないくらいに。
実際、今の仁美は自分のことのように腹を立てていた。それは殺されたのが
しかし、この仁美の発言は金子にとって大変嬉しいことだった。
――――恋は盲目って聞くけど、……死んでも治らないのね。
黒井が興味深げに仁美と金子の様子を交互に観ているとドスの効いた声が聞こえてきた。
「ふざけるなよ小娘。私に謝れだと?」
「そ、そうよ」
「やめなさい仁美!」
一瞬怯んだ仁美に藤田が強めに注意する。仁美は不機嫌そうに藤田の顔を見た。
「いいことを教えてやろう」
ニヤリと笑う佐藤。仁美が視線を戻した。藤田が焦って止めようとするが、それよりも早く佐藤が告げる。
「金子 俊の死には、藤田さんも関わっている」
「……え?」
「佐藤さん、それはっ」
藤田は止めようとしたが佐藤は止まらなかった。
「金子の件が人身事故として処理されたのは、藤田さんが手を回してくれたおかげだ。それもこれも藤田さんが君を思ってしたこと……君はそんな父親の気持ちを否定するのかな?」
顔を覗き込むようにして言われ、仁美は口を閉じた。戸惑いつつ藤田の顔を見るが、藤田は下唇を噛んで視線を逸らしただけで何も言わない。その行動だけで事実なのだとわかった。
仁美は今まで藤田が佐藤組に手を貸すことを悪いと思ったことはなかった。どんなことをしているのかよく知らなかったにも関わらず。勝手に彼らが怪我をした時に治療するくらいだろうと思い込んでいたのだ。
でも、今藤田が人の死に関わっていたことを知ってしまった。それも、自分と関わりが深かった人の死に。
青褪める仁美を見て、佐藤が満足げに鼻で笑った。これで話は終わりだとでも言うように立ち上がる。
「帰るぞ」
「はいっ」
意識がある組員が意識のない組員を抱えて玄関へと向かう。佐藤はリビングを出る前に振り返って黒井を見た。
「これで大丈夫なんだな?」
黒井は頷き返す。
「ええ。俊さんが望んでいたのはそれだけですから」
佐藤はそれを聞いて一つ頷き、次いで白金に視線を移した。
そして、またもや胡散臭い笑みを浮かべる。
「それじゃあまた。いつでもご連絡お待ちしてますよ」
白金の返事を待たずに出て行く。藤田を置いて。
佐藤達がいなくなった途端、仁美は黒井の腕を引いた。黒井がどうしたのかと首を傾げる。
「俊は、俊はまだいるの?」
「ええ」
黒井が頷くと、仁美は顔を強張らせた。何もない空中に視線を泳がせてから、もう一度黒井を見る。
「俊、怒ってる?」
「姫さん……仁美さんには怒っていませんよ。まあ、所々ショックを受けてはいましたけど」
その言葉に仁美が気まずげな顔をした。そんな仁美の表情の変化には気づかず、黒井は話を続ける。
「俊さんの心残りは仁美さんが俊さんの死を本当に望んでいたかどうかの確認でしたから……今はそうではなかったとわかってよかったと言っています」
黒井が空中を見上げて言う。仁美も黒井を真似して同じ場所を見つめてみたが何も見えなかった。けれど……何となく今俊がどんな顔をしているのかわかるような気がした。
仁美が呆れたように呟く。
「私がそんなこと望むわけないじゃない」
黒井は苦笑する。
「俊さんもわかってはいたんですよ。仁美さんはそういう人ではないって。でも、仁美さんに振られて、死ぬ間際に嘘を吹き込まれて……もしかしたら自分はそれだけ嫌われるようなことをしてしまったんじゃないかって思ったらしいです」
死ぬ間際、見知らぬ男は金子の顔を覗き込んで言った。
『俺達は姫さんに頼まれただけなんだよ。恨むなら姫さんを、姫さんから選ばれなかった自分を恨めよ』
と。
しかし、幽霊になった金子は自分の心残りが何だったかをおぼろげにしか思い出せなかった。思い出そうとしているうちに記憶はねじ曲がり、彼女を奪った白金を殺すことが心残りだと思い込んでしまったのだ。
「俊、ごめんね」
仁美がぽつりと呟く。
「もう気にするな姫」
高くもなく低くもない。中性的な声色。記憶の中にある金子の声とは全く違うが……
仁美は目を見開き、顔を勢いよく上げた。黒井と目が合う。その瞬間、黒井が見覚えのある笑みを浮かべた。
「姫……本名は仁美だっけ。なんか違和感があるな。姫でいっか。……俺こそ、姫を幸せにしてやれなくてゴメンな」
そう言って黒井が悲しげに微笑む。
それは、不思議な感覚だった。
目の前にいるのは確かに黒井なのに、金子の存在を確かに感じたのだ。ふらふらと黒井に手を伸ばす。黒井は仁美をふわりと優しく抱きしめた。その瞬間、懐かしい匂いがした。
目を閉じる。
「俊」
涙が一筋だけ頬を濡らした。
黒井は仁美越しに天を見上げる。自分の中から抜け出た金子が満足げな顔で手を振っている。
そんな金子を見送る二人を見てふっと口元がゆるんだ。どうやらいつのまにか仲良くなっていたらしい。
白金は初めてみる黒井の表情に驚いた。
――――あんな顔もするのか。
しばらくして、満足したのか仁美が黒井から離れた。目は赤いが、すっきりした顔になっている。
仁美は藤田と向き合った。その目は真剣だ。
「お父さん。私、もう『佐藤 姫』はやめる」
「そうか」
「色々手配してくれたのにごめんね。それと……ここも出て行こうと思う」
「わかった」
藤田は少し寂しそうに、けれど覚悟を決めたような顔をして頷き返した。白金はその顔を見た後、田中と塚本の背中をそっと押した。ここからは二人の時間だ。
黒井にも声をかけようとしたが、すでにリビングにはいなかった。黒井は用事が終わったとばかりに玄関で靴を履いていた。さっさと部屋を出て行こうとする黒井に、白金は苦笑しながら声をかけた。
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