五
「どうやら、
「俊?」
ピンときていない白金を見て黒井は数回瞬きをした後、「ああ」と呟いた。
「俊さんというのは彼……白金さんに憑いていた霊のことです。
「金子 俊……いや、記憶にはねぇな」
白金は腕を組み唸る。職業柄記憶力はいい方だと思っているが全く記憶に無い。ちらりと田中に視線を送る。首を横にふり返された。どうやら田中にも覚えはないらしい。
ここに記憶力抜群の塚本がいれば確実なんだが……と白金が考えた時だった。
「俊さんは白金さんにお付き合いしていた女性を寝取られたと言っていました」
「あ"?」
思わず低い声が出た。黒井は首を横に振る。
「大丈夫です。白金さんはそういう方ではないと説明したら俊さんも一応納得してくれましたから。先程俊さんも『そういえば、私生活では女の影すらなかったな』と言っていましたし」
「余計なお世話だっ」
思わず舌打ちがでた。
アラフォーになってから女性とどうこうする気が起きなくなったのは確かだが、改めてそのことを他人に指摘されると複雑な気分になる。少し離れたところから同情的な視線を感じたが気付かないフリをして黒井に質問を返す。
「で? なんでその金子ってやつはそんな勘違いをしたんだ?」
「それなんですが……」
金子から聞いた話を淡々と話す黒井。要約するとこうだ。
金子 俊は生前ホストをしていた。生粋の女好きだった金子にとってホストは天職。ずっとホストを続けていく自信があった。
ところが、金子は運命の相手と出会ってしまった。
その相手は金子が働くホストクラブの客だった。店のルールとして、客との恋愛はご法度。そんなことは金子も百も承知。
けれど、頭ではわかっていても、心は抑えられない。
本来、客の心を奪うのが仕事の金子が、あっさりと彼女に身も心も奪われてしまったのだ。
幸い店にはバレなかった。普段の行いの
ある日、彼女から「ホストを辞めて自分だけの俊になってほしい」と言われた。
驚いたが、それ以上に嬉しく思った金子は二つ返事で頷いた。
多少店側と揉めはしたが、無事に店を辞めることができた。
今まではホストとして多くの女性に愛を分け与えてきた金子。しかし、新生金子は違う。これからは一人の女性だけに愛を捧げる。そう誓ったはずなのに、金子の幸せは長くは続かなかった。
突然彼女から「他に好きな人ができたから別れて」と言われたのだ。
彼女の為に昼職に就き、結婚を見据えて頑張ろうとした矢先の出来事だった。
そこまで聞いていた田中が思わず、「ひでぇ話だ」と呟いた。
白金はそれには何も答えず、先を促す。
「それで、その彼女が言った好きな人っていうのが俺だったっていうのか?」
「そのようです」
白金は腕を組んだまま唸る。いくら考えても心当たりは無い。
ふと頭を過った。
「そういえば、金子はなんで死んだんだ?」
聞いていないフリをするのはやめたらしい田中が横入りをいれてくる。
「それはやっぱり、大好きな彼女に振られてこの世に絶望して……自殺……じゃないですか?」
積極的に会話に入ってくる田中。しかも、その顔は真剣だ。よほど興味を引かれたのだろう。
――――彼女に振られ自殺。ありえない話ではない、が。……それほど本気だったということか。
しかし、黒井は首を横に振った。
「いえ、金子さんは自殺ではなく事故で亡くなったそうです。……『自暴自棄になってよく知らない道をふらふら歩いた結果、車に敷かれてしまった』と本人が言っていましたので……」
その光景を想像して、全員無言になる。
白金は気持ちを切り替えるように溜息を吐き、言った。
「それで? その相手の名前も聞いたのか?」
「はい。『
「佐藤 姫……その名前」
「え? 白金さん心当たりあるんですか?!」
驚いたように大声を上げる田中。その声には「まさか?!」という感情が滲んでいる。
「おまえだって知っているだろうが!」
同じくらいの声量で怒鳴り返された田中は目を白黒させた。白金が呆れたように息を吐き、
「『シュガープリンセス』ってあだ名をつけたのはおまえだろう」
と言うと、田中は「ああ!」と声を上げた。
記憶力に自信が無い田中は、依頼者やターゲットにあだ名をつけて顔や名前を覚えているのだ。そうすると、忘れずにいられるらしい。
「え? 待ってください。それってあの人のことですよね?」
「ああ」
「あの、例の白金さんを刺したっていう……」
「ああ。そいつだ」
苦虫を嚙み潰したような顔で白金は呟く。傷は完全に塞がっているはずだが、あの女の顔を思い出すと傷があった場所がジクジク痛む……気がする。
その時、「え」と小さく黒井が声を上げた。
「あの時白金さんが死にかけていたのは、その佐藤さんっていう人のせいだったんですか?」
「……数ヶ月前、俺を刺したのは佐藤姫だ。だが、どうして黒井さんがそのことを知ってるんだ?」
白金は警戒心を滲ませじっと黒井を見つめる。黒井はしまったという顔をした後、気まずげに告げた。
「実は……あの時、瀕死の白金さんを見つけたの、私なんです」
「……は?」
白金が戸惑っていると、黒井は観念するように頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「いや、まて、それは何についての謝罪だ?」
「あの日……白金さんの身体に勝手に霊を憑依させたことへの謝罪です」
「え?」
思いがけない告白に思考が停止する。
「始めは普通に私だけで白金さんを運ぼうとしたんですけど、その……思ったよりも重くて」
「白金さん結構筋肉量多いもんな」
余計な口を挟む田中を睨む。田中はそっと視線を逸らした。
「私が見つけた時には、すでに白金さんの意識は無くて、出血量も酷くて危険な状態でした。ただ、見るからに事件性が高そうだったので……私としては救急車を呼ぶことは避けたかったんです。なので、私の守護霊様にお願いして憑依してもらい、白金さんには自力で病院まで行ってもらいました。……申し訳ありません」
再び頭を下げる黒井。言葉を失っている白金だが、田中の咳払いで我に返った。
「頭を上げてくれ。黒井さんが謝る必要はない。むしろ、感謝しているくらいだ。黒井さんとその……黒井さんの守護霊?のおかげで俺の命は助かったんだからな。……それに、俺としても救急車よりかかりつけの病院の方が都合がよかった。ありがとう」
頭を下げ返した白金に黒井がホッとしたように微笑む。
――――まさか、あの時助けてくれた謎の若い女性が黒井さんだったとは。
まじまじと白金は黒井の顔を見つめた。
黒井も白金の顔をじっと見つめ返し、よくわからない無言の時間が流れる。
その時、バンッと応接室の扉が開いた。――――金子か。
そう思って顔を向けたのだが、扉を開けて入ってきたのは生きた人間だった。
「所長、『佐藤 姫』の資料をお持ちしました」
「塚本、おまえ帰ったんじゃあ」
ハッとして、田中を見る。田中はテヘッと笑うと、スマホを振りながらウインクをした。
白金は仕方ないと溜息を吐き、塚本に自分の隣の席に座れと指示する。
塚本の口角が微かに上がり、いそいそと白金の隣の席に座る。田中も黒井の隣に移動した。
それでは、と塚本が書類を机上に置く。白金サービスでは依頼終了分の資料はデジタル媒体と紙媒体の両方に残している。今回はその紙媒体の方から引っ張り出してきてくれたらしい。ブラックリスト入りしている人物なので探しやすかったかもしれないが、それでも急に呼び出され、短時間で用意したのはさすがだ。
と、白金は塚本のことを再評価していたのだが、当の本人の塚本はどこか浮かない顔をしている。その時、黒井が立ち上がった。どうしたのかと見上げれば、黒井が部屋の外に視線を向けて言う。
「もう掃除も終わったようですし、俊さんも連れてきます」
白金が頷き返すと黒井は出て行った。残された白金サービスの面々。
塚本が机の資料を見つめたまま呟く。
「所長。……私、健二くんから詳しいことはまだ聞いていないんです。ただ、所長がピンチだとしか。ですから、全て解決した後でいいので説明してくださいね」
「ああ、もちろん」
その言葉を聞いて塚本はホッとしたように顔を上げた。
数分も経たずに黒井は戻ってきた。先ほど座っていた席に座ると、資料に添付されていた画像を指さして斜め上を見た。
「俊さん。この方ですか?」
多少現状を把握している田中は目をキラキラさせ、キョロキョロと黒井の周りを見たが、何も見えなかったらしくしょんぼりなった。塚本は訝し気な視線を黒井に送りつつも黙っている。
黒井はうんうんと何度か頷いた後、白金を見た。
「俊さんの彼女だった方で間違いないそうです」
「そうか」
白金は資料をじっと見つめ、顎に手を当てた。そして、首を傾げ黒井を見る。
「それで、どうやったら金子は成仏できるんだ? 俺とこの彼女が何の関係もないって改めて証明すればいいのか?」
金子の心残りは彼女を奪った白金を殺すことのはず。だが、白金は奪うどころか誘いを断り、そのせいで殺されかけた。そのことを証明すれば金子も心から納得して成仏してくれるのではないか……白金はそう考えたのだが、黒井は眉根を寄せて困ったように呟いた。
「それが、さきほど俊さんに、白金さんが刺されたことを話したんです。そうしたら、ものすごく動揺し始めて」
「それは仕方ないよ。金子さんからすれば、愛する女性がそういう人だったなんて信じたくないような話しだろうし……」
田中の言葉に黒井は首を横に振る。
「いいえ、そうではないんです。俊さんはその話を聞いて思い出したらしいんです。『本当の心残り』があったことを」
「本当の心残り?」
「はい……ただ、その内容までは思い出せないそうで……この彼女が関係していることははっきりしているそうなんですけど」
「なら、調べてみるか」
「それなんですけど、所長」
塚本がノートパソコンを開いて全員に見えるようにして言った。
「その女性、おそらく名前も住所も全て出鱈目です」
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