熊事件
きみどり
第1話
徐々に住宅が減り、緑の多くなっていく景色にワクワクしていたのを覚えている。
「栗拾いに来ないか?」
そんな誘いを受けて、その日、僕たち家族は父方の祖父母の家に向かっていた。
「ほら、おっきい木が見えたから、もう着くよ」
「うん!」
帰省のたびに話題にあがる、おっきい木。お父さんは子どもの頃、あれで木登りをして遊んだのだという。それは当時の僕にはまだ大きすぎて登れない、憧れの木だった。
その下では茶色い犬がくつろいでいて、僕らの車に気づくと、立ち上がって尻尾を振った。舌を出して、まるで「ようこそ!」とニコニコしているみたいだ。僕は今すぐにでも駆け寄って撫でたい気持ちになった。
あの犬の名前はチャチャ。僕が勝手につけた。
というのも、こちらは田舎だからか、犬を放し飼いにしている家庭があったのだ。
お爺ちゃんはチャチャがどこの家の犬で、本当は何という名前なのか知っていただろう。でも、首輪もリードもつけていないチャチャを僕が一時自分の犬にすることを咎めなかったし、最初からウチの犬だったみたいに一緒になって可愛がってくれた。
そんなお爺ちゃんが僕は大好きだった。もちろんお婆ちゃんも、お父さん、お母さんも。
おっきい木もチャチャも好きだったし、日常から離れたこの場所そのものも好きだった。
自然がいっぱいでスゴい、と僕が言うと、お父さんは「昔はもっとスゴかったぞ!」と自慢げに語ったものだ。
「お父さんが子どもの頃は、野生のイノシシやサルを見たこともあったよ」
僕は素直に驚き、自分も見たいと羨ましがった。そんな僕を見て、大人達は愉快そうに笑った。
「おじいちゃん!」
「カズヤ! よぉ来たなあ!」
車のエンジン音を聞きつけて、お爺ちゃんはすぐに家から出てきた。でも、挨拶もそこそこに、僕の気持ちはすぐさまチャチャへと移る。
「ねえ、チャチャのエサある? ねえねえ、ねえ!」
「こら、カズヤ!」
大人達のやり取りを遮って捲し立てる僕をお母さんは叱った。けど、お爺ちゃんは「どれ、何かあったかな」と目尻の皺を深くしてくれた。
「おーい。おっかさん。チャチャのエサになるもん、何かあったかなぁ? おっかさーん?」
玄関から家の中に向かって叫ぶ。しかし、お婆ちゃんの返事はない。
「おばあちゃん、いないの?」
「おっかしいなぁ。栗林でも見に行ったかな?」
「クリ! クリひろい、したい!」
途端に僕はエサのことなんてすっかり忘れて、栗、栗と騒ぎ出した。グイグイ僕に引っ張られて、お爺ちゃんは「わかった、わかった!」と満面の笑みを輝かせた。
この先に地獄が待っているとも知らずに。
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