ゴブリンと狂戦士の強襲

「奴ら、屋根に降りたぞ!」


 ブリンケンが怒鳴る。と同時に、屋根を激しく叩く音。怯えた表情を浮かべるイバンカの前で、カーロフがすっと立ち上がる。


「大丈夫です。あなたは、私が守ります」


 落ち着いた口調だ。直後、馬車が停まった。御者台にいたブリンケンが飛び込んで来る。


「囲まれたぞ!」


「クソどもが! 上等じゃないか!」


 怒鳴ると同時に、ザフィーが立ち上がる。窓から、右手を突き出した。

 短い呪文を唱える。次の瞬間、彼女の指先から光の矢が放たれる。それも五本だ。

 五本の矢は、木の上に潜むゴブリンたちへと真っすぐ向かっていく。狙い違わず命中し、五人のゴブリンが木から落ちていく。

 直後、ザフィーが叫ぶ。


「マルクは上の奴らを仕留めな! カーロフは中でふたりを守る! ミレーナとジョニーは外だ!」


 全員が、彼女の指示通りに動いた──

 マルクは、素早い動きで窓に飛びつく。直後、一気に屋根の上によじ登った。

 屋根には、三人のゴブリンがいた。緑色の皮膚で、体は小さいが凶暴そうな顔つきだ。ハンマーと鉄のノミを持ち、天井板に打ち付けている。引きはがすつもりか。

 マルクは飛び上がり、手近なゴブリンに腕をブンと振った。

 強烈な一撃を受けたゴブリンは、血飛沫とともに飛んでいく。悲鳴も上げず、屋根から落ちていった。

 残りのふたりは、すぐに立ち上がる。だが遅かった。マルクは両手を伸ばし、双方の顔面を鷲掴みにする。

 グシャッという音とともに、ゴブリンの頭は潰れた。


 扉を開け、勢いよく降りていったのはジョニーだ。

 途端に、ゴブリンが襲いかかる。吠えながら、手斧を振り上げ突進していく。

 だがジョニーは怯まず、上体を反らし手斧を躱した。直後、右のストレートを叩き込む。ゴブリンの顔面に拳がめり込み、血を吹き出しながら倒れる。

 同時に、倒したゴブリンの足を掴み、ブンと放り投げる。

 ゴブリンの群れは、すぐに動いた。すぐに後退し、ジョニーの周囲を取り囲む。手斧を構え、一斉に吠えた。

 この手斧という武器、殺し以外にも様々な用途に使える。さらに、飛び道具としても使用可能だ。実戦経験のない騎士の見かけだけの長剣より、遥かに優秀な武器である。

 今も、一匹のゴブリンが手斧を投げつけた──

 ジョニーはそちらを向き、己に投げられた手斧を回し受けで弾き飛ばす。同時に、別のゴブリンがまたしても手斧を投げつける。

 さすがのジョニーも、反応が遅れた。そのままだったら、手斧は彼の体に突き刺さっていただろう。

 だが、手斧は空中で軌道を変える。あらぬ方向へと引き寄せられた──

 ゴブリンたちは、有り得ない事態を見て一斉にそちらを向く。すると、そこにはミレーナがいた。振るった革の鞭で、手斧を絡め取っていたのだ。

 しかも、今は絡め取った手斧をブンブン振り回している。ニヤリと笑い、口を開いた。


「あんたら、相手が悪かったね」


 直後、手斧をゴブリンたちに投げつけた。さらに、鞭を振るい襲いかかっていく。ジョニーもまた、凄まじい勢いで手近なゴブリン拳を叩き込み、蹴りを見舞う。

 そこに、マルクまでもが加わった。馬車の屋根から飛び降り、両腕を振り回していく──

 ゴブリンたちは、あっという間に蹴散らされていった。抵抗する間もなく、次々と倒されていく。ジョニーらの勝利は目前だった。

 しかし、またしても想定外の事態が襲う──


 不意に、ゴブリンたちの動きが止まった。直後、一斉に後退する。彼らの目は、ジョニーたちの方を向いていない。別な者を見ていたのだ。

 異変を感じ、ジョニーたちもそちらを向く。その瞬間、愕然となった。

 いつの間に現れたのか、巨大な男が歩いていた。こちらに向かい、ずんずん近づいて来ている。

 身長は高く、カーロフと同じほどはあるだろうか。武器らしきものは持っていなかった。肩幅は広く、胸板も分厚い。そんなガッチリした肉体を黒いマントに包み、大股で距離を詰めている。金色の髪は短く、肌は白い。彫りの深い顔立ちだが、何の表情も浮かんでいない。

 その青い瞳は、まっすぐジョニーを見つめていた。

 やがて、大男は立ち止まる。得体の知れぬ迫力に気圧けおされ、ゴブリンたちは呆けたような様子で彼を見上げている。


「な、なんだあいつ」


 思わず呟いたジョニーに向かい、大男は口を開いた。


「イバンカを渡せ。そうすれば、お前たちは助けてやる」


 低く、無機質な声だった。恐らくは中年男のものなのだろう。口調は静かであり、いかつい顔には似つかわしくないものだ。


「はあ? てめえ、何を言ってんだ?」


 言い返したジョニーだったが、大男はもう彼のことなど見ていない。

 大男の目線は、周囲で唖然となっているゴブリンたちの方を向いていた。


「貴様らは失せろ。イバンカは、俺の獲物だ」


 言った直後、いきなり動く──

 無造作に、ブンと足を振った……ようにしか見えなかった。にもかかわらず、一匹のゴブリか吹っ飛ぶ。十メートルほど先の大木に叩きつけられ、ベチャッと潰れた。馬車に引き殺された蛙のような姿で、大木にへばり付いている。

 次の瞬間、ゴブリンの群れは一斉に動いた。向きを変え、森の中へと消えていく。

 すると、大男は再びジョニーに目を向ける。


「イバンカを渡せ。でなければ、死ぬことになるぞ。お前のような雑魚では、俺には勝てん」


 唖然となっていたジョニーだったが、その言葉でハッと我に返る。


「ざ、ざけんじゃねえぞ! 死ぬのはてめえだ!」


 怒鳴った直後、一気に間合いを詰めた。

 同時に、右足が放たれる──


「な、なんだと……」


 ジョニーの動きが止まっていた。

 今、彼のハイキックは大男の顔面にクリーンヒットしていた。細木なら、一撃でへし折る蹴りだ。まともに食らえば、無事で済むはすがない。

 なのに、大男は突っ立ったままだ。微動だにしていない──


「く、くそがぁ!」


 予想外の事態にポカンとなるたジョニーだったが、それは一瞬だった。吠えると同時に、すぐさま次の攻撃体勢に入る。

 横殴りの手刀が、大男の側頭部に放たれた。しかし、その攻撃は届かなった。相手の顔を打ち抜く前に、あっさり手を掴まれたのだ。

 大男は、ジョニーをぶんと振り回す。ゴミでも放るかのように、あっさりと投げ捨てた。

 地面に叩きつけられ、ジョニーは呻き声をあげる──

 

「ジョニー!」


 叫んだのはミレーナだ。と同時に、鞭が放たれる。

 しかし大男は、凄まじい速さで飛んで来た鞭を、微動だにせず受け止めた。皮膚を切り裂き肉をえぐる打撃が、まるで効いていない。

 唖然となるミレーナに、大男はずんずん近づいていく。ミレーナの襟首を掴み、無造作に放り投げた。

 彼女の体は、軽々と飛んでいく。だが、それを受け止めた者がいた。カーロフだ。いつの間にか馬車から出てきて、その強靭な体で抱き止めている。

 次に大男の目は、マルクへと向けられた。しかし、彼は動かない。戦うわけでも逃げるわけでもなく、棒立ちになったままキョトンとして大男を見ているのだ。

 その時、馬車から怒鳴る声がした。


「みんな! 伏せな!」

 

 同時に、ザフィーが何かを投げつける。青白く光る球体だ。大きさは、小さめのスイカほどあるだろうか。

 光る球体は、異様な音をあげながら大男の胸元に炸裂する。途端に、その体が弾け飛んだ。巨体が宙に浮いたかと思うと、後方へと吹き飛ばされる──

 派手な音と共に、大木に叩きつけられた。

 ザフィーは、それだけでは終わらせない。呪文の詠唱と同時に、その手に先ほどのそれと同じ球体が出現する。

 凄まじい形相で腕を振りかぶり、思い切り投げつけた。球体は飛んでいき、再び大男の体を直撃する。

 一瞬の後、球体は爆発した────

 直後、ザフィーが怒鳴る。


「みんな、今のうちだ! さっさと逃げるよ!」


 その言葉に、ジョニーは起き上がった。痛みに顔をしかめながらも、素早く馬車へと乗り込む。

 同時に、馬車は走り出した。


「何なんだ、今のは……」


 誰にともなく呟いたジョニーに、ミレーナが答える。


「あいつ、たぶんミッシング・リンクだよ」


 その声は震えている。顔も青白い。


「ミッシング・リンク? 何者だ?」

 

 尋ねるジョニーの声も、微かに震えていた。

 それも仕方ないだろう。彼とて、これまで数多くの敵と戦い、生き延びてきた。己の技に自信もある。

 しかし、あの大男は全てにおいて想定外だった──


「最強の傭兵って言われた男さ。噂では、数百人が立て篭もる要塞にたったひとりで乗り込んでいき、中の人間を皆殺しにして要塞を落としたらしいよ」


 答えたのはザフィーだ。強力な魔法を立て続けに使ったせいか、顔には疲労感が滲み出ている。口を覆っている布を外し、大きく息を吐いた。


「ひとりで、か?」


 顔を引き攣らせながら尋ねるジョニーに、ザフィーは頷いた。


「そうさ。しかも、戦いになると敵も味方も関係なく殺しまくるイカレ野郎なんだよ。だから、仕事の時は常に単独で動く。あたしが聞いた噂じゃ、ひとりで小さな国をひとつ潰したこともあったらしいよ」


「恐ろしい奴だな。さすがにあんだけ食らわしゃ、くたばっただろうけどよ」


 歪んだ表情で、ジョニーは言葉を返す。だが、それに答えたのはマルクだった。


「違う。あいつ、たぶん死んでない。まだ生きてる思う」


 その言葉を聞いた途端、ジョニーはゆっくりと彼の方を向いた。

 鋭い目で睨みつける。


「てめえ、さっきは何で戦わなかった?」


 激しい怒りの込められた声に、マルクは下を向いた。

 

「あ、あう……」


「あう、じゃねえんだよ。俺とミレーナがぶっ倒されたのに、お前は指くわえて見ていただろうが。なんで戦わなかったんた?」


「えっ、あいつ、変だったから……」


 マルクの力ない返事は、ジョニーの怒りをさらに大きくしただけだった。


「はあ!? 変て何だよ! 俺とミレーナは、奴に殺されかけたんたぞ! なのに、お前はビビって手も足も出なかったってのか!?」


「俺、ビビってない」 


 マルクが弱々しい口調で答えるが、ジョニーの怒りは収まらない。


「んだと! いい加減にしろ! ビビってなきゃ、なんで突っ立ってたんだ!」


 その時、カーロフが両者の間に入った。


「いい加減にするのは、あなたの方です。今は、仲間割れしている場合ではありません」


 静かな口調だが、有無を言わさぬ迫力がある。ジョニーは、チッと舌打ちし横を向いた。

 と、その目がイバンカを捉える。


「そもそも、お前は何なんだよ? あの何とかリンクは、はっきりと言ったぞ……イバンカを渡せ、とな。お前みたいなガキを奪うため、あんな化け物をよこすなんて、意味がわからねえ。なあ、お前は何者なんだよ? どこから来た? 奴らの狙いは何なんだ?」


 矢継ぎ早に放たれる問いに、イバンカは何も言えず下を向く。

 その反応が、ジョニーをさらに苛立たせる。彼は今まで、己の技に絶大の自信を持っていた。敵が人間サイズなら、何者だろうと仕留められると確信していたのだ。

 にもかかわらず、先ほど相対したミッシング・リンクには手も足も出なかった……そんな自分に対する怒りが、他者への八つ当たりとして出ていたのだ。


「なあ、何とか言えよ?」


 なおも尋ねた時、馬車が止まる。直後、御者台にいたブリンケンがのっそりと入って来た。


「悪いが、事情は聞かないでくれ」


 重々しい口調て言ったかと思うと、ペこりと頭を下げる。さらに、ザフィーも口を挟んだ。


「ジョニー、依頼人の事情は聞かないってのが鉄則だよ。何度いえばわかるんだい」


 言いながら、鋭い目で睨む。隊長にこう言われては、ジョニーも黙らざるを得なかった。

 次にザフィーは、ブリンケンの方を向く。


「とにかく、今は先を急ごう。森を抜けるんだ」






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