ミレーナとマルク

「そう、あんたらに仕事を頼みたいんだ。礼金は弾むぜ」




 中年男の言葉に、ジョニーは一瞬ポカンとなった。

 ややあって、ゆっくりと口を開く。


「ふざけてんのか? 冗談じゃ済まないことになるぞ」

 

 低い声で凄み、近づいていく。

 だが、その歩みは止まった。ジョニーの表情は一変し、すぐに両拳を挙げ構える。臨戦体勢に入ったのだ──


 目の前にいる頭の禿げ上がった中年男は、ジョニーが近づくや一瞬で豹変したのだ。見た目そのものに変わりはないが、体から発する気配は別人である。ジョニーの敵意を感じた瞬間、ぱっと左手で横の子供をガードする。同時に、右手を腰の剣に伸ばした。

 しかし、ジョニーが警戒したのは腰の剣ではない。中年男の瞳から、強烈な殺気を感じたのだ。数々の修羅場をくぐり抜け、死と隣り合わせの世界で生きて来た人間に特有のもの。先ほどまでの軽薄そうな態度は、完全なる演技だ。

 この男、カザン闘技場の闘士などより格段に強い──

 その時、中年男が口を開いた。


「俺の名はブリンケン、訳あって旅をしている。ふざけてるわけじゃないし、あんたにケンカを売る気もない。せめて、話だけでも聞いてくれないかな?」


 口調は穏やかだ。しかし、全身から漂う殺気は消えていない。むしろ、どんどん濃くなっている。


「どうかな。何か裏があるんじゃねえのかい」


 ジョニーは、吐き捨てるような口調で答えた。

 このブリンケンという男、さっきまでは完璧に実力を隠し軽薄な中年男を演じていた。つまり、嘘が上手い。

 嘘が上手い人間は、仕事にも嘘を混ぜてくるものだ。ジョニーは相手を睨みながら、さらに言葉を続ける。


「俺は、お前を信用できねえ。信用できねえ奴の仕事は受けたくねえ。失せろ」


 言った時だった。突然、横から口を挟んだ者がいる。


「さっきは、なぜ負けたのだ?」


 その声は、ブリンケンの横にいる子供から出たものだ。ジョニーは一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 直後、舌打ちしブリンケンを睨む。なぜ負けたのだ……このセリフは、先ほどの試合を指している。つまりは、試合に筋書があることをバラした者がいるということだ。


「やってくれたなあ。誰から聞いたか知らんがな、子供にウチの仕組みをバラすとは──」


「ちょい待て、俺は何も言ってないよ」


 やや食い気味に、ブリンケンは答えた。ほぼ同時に、子供が語り出す。


「違うのだ。イバンカは、すぐにわかったのだ。ジョニーは、アドニスよりもずっとずっとずっとずっと強いはずなのだ。なのに、なぜ負けたのだ? 見ていて悔しかったのだ」


 真剣そのものの口調だった。しかも、声から察するに女の子のようである。


「く、悔しかったぁ?」


 ジョニーは狼狽しつつ、どうにか言葉を返す。


「そうなのだ。イバンカは悔しかったのだ。なぜ、あんな奴に負けたのだ? やっつけて欲しかったのだ」


 なおも繰り返すイバンカに、ジョニーは言い返そうとした。だが、横からブリンケンが口を挟む。


「頼みたい仕事ってのは、このイバンカと俺の護衛だ。ひとまず、隊長さんと話だけでもさせてくれよ。頼む」


 その言葉に、ジョニーは顔をしかめる。ふたりを睨んだが、ブリンケンもイバンカも、引く気配がない。

 ややあって、ふうと溜息を吐いた。面倒くさそうな顔で口を開く。


「いいだろう。だがな、他の奴らは俺なんかより遥かに怖いぞ。そこのお嬢ちゃんが、ビビってションベン漏らさなきゃいいけどな」


「イバンカは、もう十歳なのだ! オシッコ漏らしたりしないのだ!」


 即座にイバンカが言い返した。怒ったらしく、その場で勢いよく地面を踏み鳴らす。ジョニーは、またしても溜息を吐く。


「いいから、黙って付いて来い。どうせ、奴らを見た瞬間にビビって逃げ出すのがオチだけどな」


「イバンカは絶対に逃げないのだ!」

 

 またしても、言い返してくるイバンカ。横にいるブリンケンは苦笑している。


「そうかい。本当に逃げ出さなかったら、何でも言うこと聞いてやるよ」


 素っ気ない態度で答えると、ジョニーは歩き出した。




 やがて三人は、目的地に到着した。


「さあ、地獄の入口だ。入れる度胸はあるかい?」 


 そんなセリフを吐きながら、振り向いたジョニー。しかし、ブリンケンもイバンカも答えることが出来なかった。

 十三隊の宿舎は、都の外れに建てられていた。周囲に民家はなく木が生い茂り、まだ夕方だというのにしんと静まり返っている。今にも、幽霊でも出てきそうな雰囲気だ。

 宿舎自体も異様な造りであった。真っ黒な四角い建物が、でんと建っているのだ。高さは、小さな城並である。見たところ窓はなく、扉は頑丈な鉄製だ。宿舎というより、刑務所のようだった。

 そんな異様な建物に、ジョニーは何のためらいもなく近づき扉に手をかける。

 直後、振り返りニヤリと笑った。


「どうしたんだ、お嬢ちゃん? 逃げ帰るなら、今のうちだぜ」


 その言葉に、イバンカは反応した。


「こ、怖くなんかないのだ!」


 震える声で言い返し、ずんずん進んでくる。だが、ジョニーは手のひらを広げ、前に突き出した。待て、というジェスチャーだ。


「入る前に、そのフードを上げろ。つらをちゃんと見せるんだ」


 言われた途端、今度はブリンケンの表情が変わった。


「ちょっと待ってくれ。この子には事情がある。顔を見せるわけにはいかないんだよ」


「だったら、ここでお引き取り願おう。てめえの面も見せられねえような奴の仕事は受けられねえな」


「お、おい──」


 ブリンケンが言い返そうとした時だった。イバンカは、何のためらいもなく頭を覆っていたフードを上げる。

 可愛らしい顔があらわになった。赤い髪の毛は、男の子のように短く刈られている。肌は白く、口をぎゅっと閉じていた。大きな目には、負けん気の強そうな性格が表れている。

 ややあって、イバンカは口を開いた。


「顔を見せたのだ! これでいいのか!?」


 挑むような口調に、ジョニーは表情を歪める。怒りというより、困惑を隠すためのようだった。


「いいよ。黙って付いてこい」


 言った後、扉を開け中に入っていく。ブリンケンとイバンカも後に続いた。

 建物は、外観に劣らず中もまた異様な形であった。天井は高く、壁は灰色である。鉄でも木でもない、奇妙な材質の壁に囲まれていた。床には、一面に柔らかい布のようなものが敷き詰められている。

 だが、ブリンケンとイバンカはそんなものは見ていなかった。突然、天井から何かが降りて来たのだ──


「ジョニー、誰よそいつら?」


 天井から声をかけてきたのは、ひとりの若い女だった。

 年齢は二十代の前半だろうか。金色の髪は短く刈られており、肌は白い。黒い革の服を着ており、背中にも黒いバックパックを背負っている。目鼻立ちは整っており、人形のような綺麗な顔だ。

 ただし、その表情は険しい。ブリンケンとイバンカを見る目は氷のように冷たく、何の感情も浮かんでいない。

 やがて女は、ふたりの目の前に着地した。音もなく着地すると、腕を組み、イバンカを見下ろす。

 その時、ジョニーが口を開いた。

 

「ミレーナ、このふたりは客だよ。俺たちに仕事を頼みたいんだとさ。今の見て、ビビって言葉も出ないみたいだけどな」


 その言葉に、ミレーナは口元を歪めた。じろりとブリンケンを睨む。


「あのさ、ハゲたおっさん。悪いけど、こんなんでビビるなら他の連中をあたった方がいいよ──」


「す、凄いのだ! 今の、カッコいいのだ!」


 横から口を挟んできたのはイバンカである。目を丸くし、ミレーナを見ている。

 その瞳には、純粋な驚きと好奇心があった。


「はあ? 今のって?」


 怪訝な顔で聞き返すミレーナに、イバンカは天井に向かい腕を振り上げた。


「あんな高いところから、カッコよく飛び降りたのだ! 凄いのだ! もう一度、やって欲しいのだ!」


 まんまるの目で、そんなことを言ってくるイバンカ。ミレーナは困った表情で、ジョニーの方を向いた。なんだこいつは? と目で訴える。

 だが、ジョニーも困惑していた。予想もしていなかった光景である。この天然な少女は、ミレーナに臆することなく好奇心をぶつけているのだ。

 たいがいの子供は、ミレーナの鋭い表情に怯み何も言えなくなってしまう。だが、イバンカを怯ませることは出来ないらしい。今も純粋そのものの目で、彼女をじっと見つめている。

 天然少女を除く皆が唖然となっている時だった。突然、異様な叫び声が響き渡る──


「アオーン! 嗅いだことのない匂いがするぞ! 客か!?」


 直後、奥からどたどた走って来た者がいる。

 異様な姿であった。汚れたズボンを履いており、ボロボロの長袖シャツを着ている。靴は履いておらず裸足だ。肌は、ジョニーと同じく黄がかった色である。髪は金色で長くボサボサしており、ライオンのたてがみのような生え方をしている。身長はジョニーと同じくらいだが、腕がとても長く足は短い。体は分厚い筋肉に覆われており、体毛も濃い。

 何より特徴的なのは、その顔だった。小さな目、平べったく巨大な鼻、大きな口。ライオンや虎のような、大型の猛獣を連想させる顔だ。まさに野獣そのものである。

 この状況に対し、瞬時に反応したのはブリンケンだった。すぐさま少女を片手で抱え上げる。同時に、もう片方の手で腰の小剣を抜き構えた。

 野獣は、即座に動きを止めた。低く唸り、ブリンケンを睨む。

 その時、ジョニーが間に入った。


「ブリンケンさんよう、こいつはマルクだ。頼りになる仲間でな、成長しきったヒグマでも素手で引き裂ける強者だ。まずは、その剣を下ろせ」


 言いながら、すっと手を伸ばしブリンケンの手首を掴む。

 ブリンケンは、不満そうな顔をしながらも頷く。剣をおさめ、イバンカを下ろした。

 その途端、少女の口から素っ頓狂な声が出る。


「ラ、ライガンなのだ! 本当にいたのだ!」


 叫ぶイバンカを、皆は唖然となり見つめる。だが、少女はお構いなしだ。興奮した面持ちで、マルクを見上げる。


獣王じゅうおうライガンなのだ! カッコイイのだ!」


「あ、あのさ、ライガンて何?」


 横から口を挟むミレーナに向かい、イバンカは矢継ぎ早に喋り出す。


「母上の読んでくれた本の主人公・獣王ライガンなのだ! 獣の王さまなのだ! ライガンは、牙なき者を守るため戦う正義の味方なのだ!」


 言いながら、マルクを指差した。だが、当のマルクは首を傾げる。


「俺ライガン違う。俺マルク」


「マルクか!? では、獣王マルクだ! 獣の王さまなのだ!」


 目を輝かせはしゃぐイバンカを見て、マルクにも興奮が伝染したらしい。その場で、ぴょんと飛び跳ねた。


「アオーン! 俺、獣の王さまか!? カッコイイ!」


 叫びながら、もう一度飛び跳ねる。空中でくるりと一回転し、すとんと着地した。

 その途端、イバンカは大きな目をさらに見開く。


「おおお! 凄いのだ! やはりマルクは獣王なのだ!」


「アオーン! 俺は王さまだ!」


 少女の言葉に、野獣は完全に浮かれていた。ぴょんぴょん飛び跳ね、何度も宙返りをしている。

 そんな光景を、ジョニーは苦々しい表情で見つめている。


「何をやってるんだ、マルクのアホが」


 呟いた後、チッと舌打ちした。

 だが、すぐに思い直す。残るふたりは、ある意味マルクよりも怖い。

 少なくとも、隊長のザフィーは子供相手でも容赦しない。隊長なら、確実にいける。




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