第10話 間話 首相官邸
――首相官邸。
首相官邸の総理大臣室では、岸辺総理が無表情で椅子に座っていた。周りにいるのは官房長官と総理大臣秘書官たちで、岸辺総理は聞く力を発動中である。
官房長官が警察担当秘書官に厳しい口調で問い質した。
「それでH市に出動した機動隊は?」
「立川の第四機動隊がH市に出動しました。小隊ごとにH市各所に配置しましたが、第三小隊と第五小隊は連絡が取れません。付近の警察署から確認のためパトカーを派遣しましたが、連絡が取れなくなっています」
「第三と第五以外は連絡が取れるのだな?」
「は――お待ち下さい! 少々失礼します」
警察担当秘書官の胸ポケットに入っているスマートフォンが振動した。警察担当秘書官は、スマートフォンを操作して表示されたメッセージを見た。警察担当秘書官の顔に困惑が広がる。
「第二小隊とも連絡が取れなくなりました……」
「何が起っているのだ!」
官房長官が苛立つ。報道陣の矢面に立つのは官房長官だ。官房長官としては、正確な情報が欲しい。しかし、警察担当秘書官からは、『連絡が取れない』というあやふやな情報だけで現地H市で何が起っているか、まったくわからない。
(昼の会見は荒れるぞ……)
官房長官は逃げ出したいと思った。
官房長官の横で、財務省担当秘書官が苦言を呈し、警察担当秘書官と口論を始めた。
「機動隊の出動もタダではない。警視庁、警察庁は、しっかりと稼働状況を把握してもらいたい」
「そんなことはわかっている! 現地の状況が不明なのだ! 状況を把握しようと警察官を送り込んでも連絡が取れなくなるのだ!」
「財務省としては、はみ出した予算の補填は出来ない」
「非常事態だぞ! 財政の話をしている場合か!」
秘書官二人がもめているところに、経産省担当の秘書官が入室してきた。明らかに顔色が悪い。何か起きたなと官房長官は身構えた。
「あの……ネットに新しい動画が……。機動隊員の様子が映っています……」
経産省担当秘書官は、総理大臣室の壁に設置された大型モニターを操作してネットにアップされた動画を再生した。佐藤悠真が撮影した動画である。動画には、エルフが謎の粉をまき散らし機動隊員たちが消えていく様子が映されていた。
「これはどういうことだ!?」
「機動隊員と連絡が取れないのは、これが原因か!?」
「いや、さすがにフェイク動画ではないのか!?」
官房長官と秘書官たちが言葉を口にするが、岸辺総理はムッツリと黙って椅子に座ったままである。聞く力を発動中なのだ。
次の動画は、機動隊員たちの制服が道路に散らばる様子を映し、ライブ配信に変わった。
ライブ配信の画面には、ダークエルフのミア、犬獣人のモーリー、ドワーフのガルフが映っていた。
『動画を見ている皆さん、おはようございます。霧に覆われたH市から緊急ライブ配信です。霧の中で何が起っているかお伝えしたくてライブ配信をしています。特に警察や政府関係の方に見ていただきたいです。報道関係の方、ユーチューバーの方、この動画をTVやご自身のチャンネル、SNSなどで自由に使って情報を拡散してください』
動画は佐藤悠真の挨拶から始まった。佐藤悠真は撮影をしているので、動画には登場せず声だけの出演である。
そして、ダークエルフのミアが自己紹介をして状況を語り出した。ダークエルフのミアの言葉は、異世界の言葉なので、佐藤悠真が同時通訳をしている。
官房長官はライブ配信を見て困惑した。
「何を言っているんだ?」
問われた秘書官たちは、答えに詰まった。霧に覆われたH市で何が起っているのか? H市を覆う霧の正体は何なのか? 全ての答えがライブ配信で語られている。
しかし、語られている内容は、到底信じられなかった。エルフ、霧の帝国、魔石、異世界、ダークエルフ、ドワーフ、犬獣人……。
官房長官は、思いついたことを口にした。
「これは映画か何かのプロモーションなのか?」
誰も答えない。秘書官たちは考え込むフリをして、官房長官から目をそらしている。官房長官は動画の情報を持ち込んだ経産省担当秘書官に答えを求めた。経産省担当秘書官は、当たり障りのない、言い逃れの出来る答えを返した。
「官房長官のおっしゃる通り、何かのプロモーションである可能性は否定出来ません」
誰もそんなことを信じていなかった。
ライブ配信では、次々と状況が語られる。消された機動隊員、エルフの先行偵察部隊……。
『先行偵察部隊は、異世界の様子を観察し霧の帝国本国に報告をするそうです。どの程度人間がいるのか? つまり……魔石がどれくらい取れるのか? 軍事力のある世界なのか? そういったことを皇帝と帝国軍に報告し――えっ!?』
ダークエルフのミアの言葉を翻訳していた佐藤悠真が驚いた声をあげる。
総理大臣室に緊張が走った。モニター画面では、しばらくダークエルフのミアが、異世界の言葉を話し続け、翻訳する佐藤悠真は沈黙を続けた。
『あの……先行偵察部隊の後には、帝国軍本隊が侵略してくるそうです。それからH市が霧に覆われていますが、これは霧……つまり帝国が開発したガスが、我々に効果があるかテストをしているのだと言っています。それで、テストの結果が良好であれば、ガスをもっと大量にまくだろうと』
佐藤悠真の発した言葉に、官房長官が目を見開き悲鳴に似た声をあげる。
「何だと!?」
同時に防衛省担当秘書官がスマートフォンを手にし、防衛省に緊急連絡を入れた。
「大規模な災害が予想されます。自衛隊員は基地で待機。外出中の隊員は、速やかに基地へ戻るように連絡して下さい。予備自衛官の災害招集の準備も始めて下さい」
「君!」
官房長官が防衛省担当秘書官の行動を咎める。だが、防衛省担当秘書官は、真剣な表情で官房長官に正対した。
「官房長官。このライブ動画の情報が本当なら、外敵が日本に攻めてきます。いや! 今、H市で発生しているガスは、外敵による侵略行為の一部。少なくとも侵略の準備活動です。自衛隊の災害派遣と並行して、自衛隊法第七十六条第一項をご検討下さい」
「防衛出動!? 正気ですか!?」
「念のためです。ですから、ご検討をお願いします」
「却下します! 防衛出動を内閣が検討したなどと、マスコミに嗅ぎつけられたら昼の会見で私は袋だたきです。内閣がもちません」
「では、霧の大規模発生による災害派遣の方向でしょうか?」
「そうです!」
官房長官と防衛省担当秘書官がやり合っている間に、佐藤悠真たちのライブ配信は次々と情報を伝える。
『エルフたちに武器は通用しないそうです。エルフたちは魔力を持っており、魔力障壁を作り武器や魔法による攻撃を防ぐと。牽制程度にはなるだろうと。えっと、エルフを倒すには?』
佐藤悠真の質問にダークエルフのミアが答えた。佐藤悠真が翻訳して内容を伝える。
『エルフたちは、常時魔法障壁を体の周囲に張り巡らせているそうです。それで魔法の精度は、魔法の腕前に左右されるそうで、魔法が下手なエルフは体から五十センチくらいの距離に魔法障壁を張り、魔法が上手なエルフは拳程度の距離、数センチの距離に魔法障壁を張るそうです。エルフを倒すには――』
総理大臣室の全員がライブ配信に聞き入った。特に警察担当秘書官と防衛省担当秘書官は、モニターに食い入るほど強い視線を送った。ライブ配信の中で佐藤悠真は、翻訳を続ける。
『エルフを倒すには、不意打ちで接近して体の近くで武器を使えと言っています。剣やナイフで刺せと。エルフは魔法が得意なので、不意打ちでないと攻撃は決まらない。エルフは遠距離の攻撃魔法を持つ。ただ、この世界の人間を魔石にしたいから、遠距離攻撃で殺さないだけだと言っています。えっ! ちょっと待って!』
ライブ配信画面の中では、ダークエルフのミアたち三人が立ち上がった。佐藤悠真の姿は画面に現れないが、何か口論をしていることは画面を見ている人々に伝わった。
総理大臣室で官房長官が、悲鳴に近い声をあげた。
「何だ! どうした!」
『あの……、これからエルフの先行偵察部隊を倒しに行くと言っています。先行偵察部隊を全滅させれば、霧の帝国は慎重になり、時間を稼げると。日本では殺人罪になり罪に問われるから止めろと説得したのですが……。これでライブ配信を終えます』
ライブ配信が終了した。
総理大臣室の全員が、何も語らなくなったモニターを見つめていた。そこへ外務省担当秘書官が入室してきた。
「アメリカ大使館から要請です! ロサンゼルスで謎の霧が発生した。日本政府に情報提供を求めるとのことです」
全員の顔が岸辺総理に向いた。岸辺総理はグッとアゴに力を入れて、力強く宣言した。
「現在、日本政府は鋭意情報を収集しています。各秘書官は情報収集に努めて下さい」
岸辺総理に聞く力はあるが、決める力はなかった。
――日本政府の方針は、情報収集という名目の様子見と決定した。
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