鏡と煙は泥棒に向かない

三津衿

第1話

 泥棒をする上での必要条件とは何か、と聞かれれば弁天好はこう答える。

「見つからずにやり遂げる能力、これに限るね。見つからなきゃ盗みは完全犯罪だ。つまり最初からその能力が備わってるおれは泥棒として限りなく完璧な泥棒ということになるね」

 その一方で好とパートナーを組んでいる真間塚善はこう答える。

「善意で余計なことをしないパートナー」


 22時、閉店間際の牛丼チェーン店はビジネス街とほど近いこともあり、客はいるものの全体的にどことなくくたびれた空気が漂っていた。

 今日が週の真ん中、疲れのたまる水曜日であることもあるかもしれない。

 もぞもぞと牛丼を食べ進めるサラリーマンもそれを横目に締め作業の段取りを始めるアルバイトもどこか緩く、ぼやんとしている。

 そんな店内で唯一空気が違うテーブルが弁天好と真間塚善が向かい合って座っている席であった。

「なんで俺が怒ってるかわかるか」

 腕組みをした善は至極冷静な口調でそう好へ語りかけた。

 ちなみにこれは本人の認識であり、実際の善の口調は何も知らない人間が聞けば凍死するような冷たさと高圧さであった。

 しかし目の前にいるのは何も知らない人間ではない。弁天好である。

 小心者なら泣き出しかねない善を前にしてお新香をぽりぽりと食べながら呑気に首を傾げた。

「なんで?」

「ぶっ飛ばしてほしいならそう言え」

「やだよ。痛いの嫌いだから。というか、なんで怒ってんの?」

「本気で言ってるのか」

「俺が本気じゃないことなんてあった?」

「……その台詞は怒られてる人間が言うことじゃない」

「斬新な試みってことでいいんじゃない?あ、二つ目いっていい?」

 聞いた割に返事を待たずに好は二皿目をケースから取り出した。

「牛丼入らなくなっても知らないからな」

「え、善の中で俺の胃袋ってばどんだけ小さいんだよ。俺のことかわいいネズミだとでも思ってる?」

「ああ、そうだな。食い意地だけはドブネズミみたいなものだったな」

「飲食店でドブネズミとか言うのどうかと思うなぁ」

「安心しろ、お前じゃなかったら言ってない」

「それはどうも」

「褒めてない」

「脱線したから元に戻すけどさ、なんで怒ってんの?」

「お前……」

「お待たせしゃっした、牛丼特盛りと並盛です」

 善の説教開始のゴングは店員のふにゃふにゃとした声に阻まれた。特盛りを善に、並盛を好に置いて店員はそそくさとキッチンへと戻っていった。

「お、きたきた」

 お新香の皿を置くと好はいそいそと善の前に置かれた特盛りと並盛を入れ替える。

 好と食事をするとよくあることだった。善の体格が特別いいというわけではない。原因はどちらかといえば好のほうだ。

 好は背丈こそあるが、華奢でひょろひょろしている。さほど食べないだろうという勝手な勘違いを呼び起こし、結果善のほうに好の頼んだ男子高校生さながらの量の料理が運ばれてくる。

「やっぱ牛丼には紅生姜、紅生姜」

 ただでさえ特盛りに盛られた牛丼の上を真っ赤になる程紅生姜が積まれていく。備え付けの紅生姜を半分ほど減らして満足したかと思いきや、さらに七味を手に取った。

「……」

 今更好の味覚についてどうこう思うような付き合いの長さではないが、改めて見ると面食らうものがある。思わず凝視してしまう。

 真っ赤に染まった牛丼作りに精を出していた好もさすがに善の視線に気がついたのか、「え、なに」と首を傾げた。

「あ、七味?いる?」

 牛丼の惨状について触れるか悩んだのは3秒ほどだった。

「……何でもない」

 触れたら余計に話が収集つかなくなる。わざわざ余計な労力を増やすような真似をするほど、善は辛抱強くはなかった。

 余計なことを突っ込まれる前に自分の口に牛丼を突っ込む。ジャンクだが、どこか懐かしさのある甘辛い味。この時間に牛丼を食べるという事実がまたこの味が持つ麻薬のようなものを引き出していた。

 好も真っ赤になった牛丼、というより牛紅生姜七味丼を勢いよく食べ始める。

 この男のずるいところは健啖家らしい食への勢いはあるものの、どこか上品なところだ。顔が無駄に整っているのもある。

 これで食べ方が汚ければ見れたものではなかっただろうのでよかったといえばよかったかもしれない。

 しばし咀嚼音と箸と丼がぶつかる音だけが続く。

 善は本来食事するときの会話はどちらでもいいタイプだが、好は食事をしながらの会話はあまり好まないタイプである。なんならこの男が唯一静かになるのが食事のときだ。

 ならばわざわざ善も喋る必要もない。お気づきかもしれないが、真間塚善の信条は「藪はつつかない、蛇は出さない」である。

 善の丼の中身が半分ほど消えたころだろうか。まだ途中ではあるものの、一息ついたらしい好は水を飲みながら

「牛丼、食べたの結構久々かも。というか、前も善と食べた気がする」

「そうか」

「それでその時も善はなんか怒ってなかった?」

「……覚えてない。お前と一緒にいて怒っていないほうが少ないからな」

「俺は善といて怒ったことなんかないのに不公平じゃない?」

「お前のいう公平の概念はどうなってるんだ」

「まぁでも機嫌がいい俺と機嫌の悪い善でプラマイゼロだからいいのかな」

「お前の勘定もどうなってるんだ」

「過ぎたことはまぁいいとして、なんで怒ってるの、今日は」

 話がようやく振り出しまで戻った。

「まず仕事のこと?それとも」

「仕事のことだ。お前の人間性のことでもあるが」

「え、そこまで?」

「なんでこの前、俺の言う通りにしなかった」

「それは説明した。女の子がいて、泣いてたから。泣いてたなら助けないと」

「そうだな、泣いている子供がいたら助けないといけない。それは正しい」

「でしょ、だから」

「だがそれは一般的な社会規範で生きている人間の話だ」

 たとえば遠いカウンター席でお会計の準備をしているサラリーマンやキッチンにすっかり引っ込んだ先ほどの店員がとる行動だったなら、「泣いてる女の子を助ける」という行動は正しい。社会規範とそこに息づく情にのっとった素晴らしい行動だ。

 だが、善と好の行動はそこに則ってはならない。

 二人の仕事は住居に侵入し、他人の財産を奪うことを生業としている。

 要するに泥棒なのだから。

「優しいのはいい。だがそれはよそでやれ。仕事中に発揮するな。それだけでリスクが格段にあがる」

「……」

「お前が自分の優しさでしくじるのは勝手にしろ。俺を巻き込むな。俺とお前はあくまで仕事上での関係だ。道連れにされる気はない。好、お前がどう思ってるかは知らないが、俺はお前を情では助けない」

 前回の仕事のとき、二人がターゲットにしたのはとある資産家の屋敷だった。娘を含めた三人暮らしだが、三人とも海外へ旅行中。セキュリティも大したものではない。しかも屋敷があるのは通りからは大きく離れており、人通りも少ない。

 まさにローリスクハイリターン。

 善と好は泥棒としては依頼されたものを盗み出す請負をメインにしている。今回も例に漏れずそうだった。

 依頼されたのは契約書。保管場所もわかっている。家主のセキュリティ意識が薄いのか、屋敷にさえ侵入してしまえばすぐに終わる仕事。

 ……のはずだったのだが。

「でもあの女の子、一人で取り残されてたんだ。おかしい、どう考えても。あの家に置いとくべきじゃない」

 無人のはずの屋敷には12歳ほどの女の子が一人いた。一人娘は旅行へ連れて行っている。楽しそうに両親と手を繋いで出かける姿を好も善も見ている。

 それとは別の女の子。ほつれたパジャマも抱き抱えたくたびれたうさぎのぬいぐるみも伸ばしているというより伸ばしたままになっている髪も彼女の待遇を雄弁に語っていた。

 そこまでくれば想像には難くなかった。

「珍しい話じゃないだろ、隠し子なんて」

 どちらかの不貞の結果なのかそれとも世間には公表できない事情の子なのか。

 きょとんと侵入者二人を見上げる女の子を無視するように善はあの時促した。彼女が訴えたとしても両親は彼女の言葉を信じない。証拠にすらならない。

 ならば無視してとっとと屋敷から出ていく方がいい。自分たちにとっても、少女にとっても。

「珍しくないからってほっといていいなんてないだろ」

 なのにあの時もこの男はそんなことを言ったのだ。

「あのままあそこにいてもあの子が幸せになれるとは思えないし、誰か助けが来るとも思えない」

「面倒が見れないなら猫は拾うなと習わなかったのか?」

「人間と猫を同じにすんなよ。それに園長先生には事情は話したし、俺たちのみれる面倒はそこまでなのぐらい」

「それで終われないから言ってるんだ」

 助けました、はい終わりで片付けられるようなら、いやそれでも善としては最悪だと思うが、まだましだ。

「もしお前が捕まって、つながりがバレたらどうする?あの子がどうお前のことを証言しても犯罪者と繋がりがあるという事実は変わらない。人間関係を点だと思うな」

「……善」

 やたらしみじみとした声で好が善を呼んだ。

「お前、いい奴だなぁ」

「は?」

「だって俺のこと心配してでしょ、そういうこというの。優しいじゃん」

 ふふん、となぜか得意げに好が笑う。その笑みには善に対する含みなどひとつもない。本当にこの男は善が優しさだけで好にそういったと思っているのだ。

 いよいよ呆れてものもいえない。どうしたってこいつみたいな泥棒に不向きな性格の人間と組んでしまったのか。

 答えは考えるまでもなかった。好は性格は別としてあまりに「体質」が泥棒向きだったのだ。だからこそその性格に目をつぶってでも相棒に選んだ。体質というメリットと性格というデメリットを天秤にかけた結果がこれだった。

 しかしこれではいつかデメリット側が大きく偏る、というより好が良かれと思って行ったことが善の破滅へとそのままつながりかねない。それだけはごめんだった。

 打ち切るべきか、それとももう少し様子を見るべきか。

「善、食べないなら俺食べようか?」

 そんな思案も知らずに目の前の男は善の前のどんぶりをのぞき込んで無邪気に笑って見せる。その呑気さがなんとなく癪に触り、視線を窓に向けて牛丼に再び手をつける。

 反射する窓には閑散とした店内が映っている。反射は自然の摂理だ。当たり前だが、不機嫌そうな顔で牛丼を食べる善も映っている。

 だが、その摂理に反しているものが一人いる。簡単すぎて間違い探しにもなりようがないが、人間というものは現実にそういうことが起こった場合、案外と気づかない。常識という枠はがっちりと強固で間違い探しのペンを持つことすら許さないことが多かった。

 反射した世界の店内には善の向かいには誰もいない。ただぽつりとすっかり空になったどんぶりとお新香の器があるだけだ。

 これはなにも反射した、あるいは鏡の中に止まらない。どんなに高性能なカメラも暗視カメラもX線も、弁天好という人間を映さない。

 彼が映るのは人間の網膜のみ。

 どういう仕組みなのかは善も好自身も興味がないのでわからないが、本人は「昔からこうだったんだからそういうもんだと思ってた」と言うだけだ。

 人間の目以外に映らないというだけで好は至って普通の人間だ。物語に出てくる吸血鬼のようなものでもなく、死んでいるわけでもない。

 ただ、映らない。証拠に残らない。足跡が残らない。

 なに対しても証明がいる今の世の中では生きづらいことこの上ないだろうが、これほどまでに泥棒に向いている体質もない。いくら素晴らしい監視カメラを導入しても弁天好がそこにいたという証拠にはならない。

 映っていないのだから。

 中途半端な生きる幽霊。それが弁天好だった。

 お新香三皿目に手をつけた好は間違いなく目の前にいるが、窓では皿が宙に浮いているようにしか見えない。

 やはりこれを見てしまうと、善の中での天秤が大きくメリットに傾く。泥棒としては無敵の能力だ。

 ……できるなら善に欲しかったぐらいに。

「好」

「なに?」

「今度下手に動いたらお前を切り捨てるからな」

 ぐらぐらと揺れていた天秤を一度取り壊して実質保留を告げる。

 わかってるのかわかっていないのか、好は後世には残ることのないその整った顔面を楽しげに歪めた。

「わかったよ。あーあ、善ママはうるさいなぁ」

「誰が母親だ」

「真間塚だしちょうどよくない?」

「人の名前で遊ぶな」

 やはり切ってしまうべきかもしれない。

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