05.魔法使いとの夜

含みのある笑みを浮かべる執事ジェフリーに、私は尋ねた。


「どうして執事の振りをしていたの?」

「それは追って話すよ。これから長い付き合いになるしね」


歌うように軽やかな声。大したことない、そう言うかのように私の頭をぽんぽん、と叩く。誰かに頭を撫でてもらったのは、子供の頃以来だ。自分のために生きていて、それで許されていた、子供時代。


心がゆるんでしまい、言葉が漏れた。

 

「じゃあ、どうして城にいた私を助けてくれなかったの……」


彼はきょとんとした顔で私を見つめた。

黒色の瞳には、今にも泣き出しそうなサラが映っている。


「んー。サラが助けて欲しそうにしてなかったから」

「そんなことない!いつも惨めで、孤独で、頑張っても報われなかった!」

「おやおや。美貌も地位も財力もあるサラ様が?」


面白そうに、彼は口角を上げた。そして私の顎に手をかけ、くい、と引き上げた。

強制的に彼と見つめ合う形となった。漆黒の瞳が、私をとらえる。


「じゃあ、元婚約者リリーが来ない方が良かった?王子レオナルドとの生活を続けたかった?」

「それは……」


私は言葉を失った。家を養うための婚約。愛のない毎日。

メイドや家族のために、王子を振り向かせようと努力してきた、空しい日々。


「僕は魔法使いだ。人間の欲しいものなんて、彼らより知ってるよ」


彼はもう片方の手で、杖を振った。すると執事ジェフリーから、魔法使いの姿に戻った。

長い銀髪と涼し気な瞳、完璧に整った顔立ちは、気高い狼を思わせた。


「叶えてあげることもできる。愛しい人の願いならね」


彼の瞳は、私を捉えて離さない。私たちの距離は徐々に近づいていった。


彼の顔が目と鼻の先まで来た時、私は言った。


「……私は好きに生きたい」

「偉い、よく気付けました」

「誰かの望むサラじゃなくて、自分の人生を送りたい」

「もう大丈夫だよ、僕がいるから。今まで頑張ったね」


ローランは私を抱きしめた。彼は大きくてあたたかく、ひまわりの匂いがした。

長い抱擁の後、解放されると、彼は森の奥を指さした。


「ほら、あそこに小屋がある。ひとまず今夜はそこで休もう」

「本当?何も見えないけど」

「あぁ、見えるようにしてあげるね」


彼は杖を大きく振った。

次の瞬間、森の木々が光り出した。眩しさに目を閉じる。


数秒後に目を開くと、そこには愛らしい丸太小屋が出現していた。


「何これ、ヘンゼルとグレーテルの小屋みたい」

「ははは。安心して、僕は君のことを食べたりしないから」

「別に、そんな心配してないわよ」

「スケスケを着て男を誘惑しようとしてたのに?」

「……うるさい」


彼は私の手を引いて、小屋へ向かって歩き出した。

死んだはずの元婚約者リリーの出現、王子レオナルドからの追放、そしてゾンビの襲撃。

数時間なのに数年分くらい年を取った気がする。確かにもう休みたい。


私の疲れをよそに、ローランは愉しそうだ。


「現実だけが真実じゃない。目に見えるものなんて、光の屈折でしかないからね」

「まさか執事ジェフリーが魔法使いなんて、思いもしないけどね」


でも、彼は悪い奴じゃなさそうだ。助けてくれたし。

そう思っていると、ドアを開いた彼は悲痛な声を上げた。


「べ、ベッドが……」


中を覗いてみると、そこは質素な山小屋だった。

ダイニングテーブルにチェアが二脚、キッチンと、ベッドが二つ、


「ベッド?普通のシングルベッドじゃない。確かに狭いけど」

「ここには、キングサイズのベッドが一台あるって聞いてたんだ!」


絶望に打ちひしがれる彼に、開いた口がふさがらない。

男ってやつは、どいつもこいつも。


私は寛大な笑みを浮かべて、彼の肩に手を置いた。


「目に見えるものだけが真実じゃないんでしょ?」

「あぁ。サラは華奢だから、シングルベッド一台に二人でも大丈夫だね」

「下半身でものを考えるの、やめてくれる?」


何か言いたげな彼を残し、部屋に入る。そして、さっさとベッドに横になった。

これ以上の会話は無用という意思表示をするかのように。


「……はぁ。今日は1日、がんばったな」


ひどく疲れて、だるい。生きていくだけで、とてつもない労力が必要な気がした。

それでも彼がいれば乗り切れる。不思議とそんな予感がする。


私は瞳を閉じた。


「予想外のことばかり起きた一日も、やっと終わりね……」


でも、こんなものは序の口だった。

朝に目覚めたら、とんでもない場所にいたのだ。

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