中嶋ラモーンズ・幻覚5
安保 拓
中嶋ラモーンズ・幻覚5
トロりとしたあんかけスープをまずは、一口飲んだ。想像以上に熱いあんかけスープは、冷たい胃に落ちる前に舌を火傷させたが、呑みかけの瓶ビールで冷やし、二口三口と中嶋を熱くさせると次に麺を口まで手繰り寄せさせた。
「これこれこれ〜、クリーミーミンチ。担々麺は無くても、横手市にはこれがある。はいうままー、ほいうままー。つい笑顔っちゃうべ〜…。」
この食堂のオススメの麻婆ラーメンに辿り着いた中嶋は、田舎には田舎の流儀があると都合良く脳味噌を変換して、また麺を手繰り寄せた。
「冷たい世間、冷たい外、冷たいビールが、絶好調で、あんの絡まった熱い麺を冷やす。これだから生きているのを辞められないべ。小さな幸せ、大きなお世話。病気に効くのは食欲だべさ…。」
生きてる意味感じながら、あんが絡んた野菜も食べていくが、丼の中身は熱さでさほど減っていない。別に急いでいる訳でもないので、この美味さを彼女にも食べさせたいと思いながら箸を進めた中嶋は、ちょっと彼女にメールを送信した。
「今度の休み、麻婆ラーメンを食べに行こう。」
すると急に彼女に申し訳無い気持ちで一杯になった。小さな幸せも彼女が働いているおかげだ。たまには楽をさせてやりたいが、好き放題する自分がいる。自己嫌悪に陥った中嶋は、丁寧に麻婆ラーメンを食べた。その美味さに罪悪感を感じた。
「これが最後。来週職業安定所に必ず行こう。」
麻婆ラーメンを食べ終わり、コップ半分の最後の瓶ビールを呑むと、約束の出来ない約束を明日に誓った。中嶋からの最後だからと言う言葉には、
彼女は何度も裏切られている。それも含めての恋愛だし、結婚だから彼女は気にもしていないと呑気に構えているのが中嶋の悪い癖だから、今日死んでも神様も誰も死を讃えないだろう。それを考えながら池田屋食堂を後にした中嶋は、古い心の傷を、また自分自身で冷たく抉っていた。
中嶋は良く、彼女に対して突然、ラーメン屋になる。たこ焼き屋になる。はたまたユーチューブで食べていく。唐揚げ屋。WEBライター。小説家になるなど、思いつきで真面目に喋っては、なんにもやらないので、本人すらもう分かっている手の内が、世間一般的ホラ吹き野郎に当てはまる訳だが、一応、市で開催する起業セミナーなどに参加したこともある。
「輝け、自分のやりたい道で。」
こんなフレーズから始まる、ただ閑散とした街の起業セミナー。もう人がほとんど歩いて居ない商店街。高い家賃の店舗。その現実を超えるアイデア。仲間。最後にだいたいやる事業資金の調達と売上げ計算で必ず、今の自分の事業計画では駄目だと暗算してしまう。そもそもお金を貯めたことが皆無な人間に事業資金を貸す銀行など無いだろう。
「俺だって、まとまったお金があればそりゃ。」
お金を貯めたことが皆無なのに、まとまったお金が有ればとは摩訶不思議なもので、そのまとまったお金が有ろうと無かろうと、やる人はやるしやらない人はやらないし、お金を貯めれない人は一生その言葉が付き纏う事を中嶋は気が付いていない程、まだ自分が若い気分で居た。もう周りの知り合いは真摯に仕事と向き合っている中では
最後方からどんでん返しの競走馬のようにはいかないだろう。
池田屋食堂から外へ出ると針のような吹雪がピタリと止む瞬間に出会った中嶋は、ひさしぶりに冬の太陽光をゆっくりと浴びた。古い傷を抉ろうとしていた自分を少し遠目に置きながら、彼女とのこれからのことを考え始めた。最初に、彼女とは東京都で知り合い縁あって秋田県に来てもらった。どうしてもどうしても一緒に暮らしたくて、結婚式もせず籍をいれて共同生活が始まった訳だが、東京から慣れない土地の湯沢市で苦労しているのも充分と感じていた。知り合ったのは、立川市の精神病院で、人懐っこい人柄に惹かれたのだが、その時は、彼女の似顔絵を描いて住所交換をしただけで本格的にやり取りをするようになったのは、お互い精神病院を退院してからだ。秋田県と東京都の遠距離恋愛がスタートして、いろいろ意思疎通のやり取りが大変だったことを中嶋は思い出した。この辺りから中嶋は、人を信じることを覚え始めて、彼女から男性の名前が出ようものなら、やきもきしてもう遠距離恋愛をやめようと思ったくらいだった。立川市の精神病院から田舎町に突然帰ってきてから、友達も居なく人間不信で生活していた中嶋には彼女と話すことだけが救いだった。彼女の過去なんてどうでも良い。これからの彼女と一緒に居たい。そう思うほど、彼女が遠くに行くような気がした。
「もしもし、こんにちは。元気、何してた?」
まだその頃は、公衆電話からの時代だ。勢いよく10円玉が、カタンカタンと吸い込まれていく。
携帯電話も全国で出始めの頃だ。今思えば、その短い時間で何を話したのだろう。現在でも、通話がかけ放題になったくらいで、東京都に住む彼女に何を話しかけてあげられてるのだろうか。あの頃から全く成長しない自分が居ることだけは確かだ。
2022年。まだ彼女と電話でやり取りをしている。彼女には、もうとっくに愛想を尽かされているはずなのに、電話でのやり取りはしている。あの頃が何時頃か、分かんないくらい二人の生活は三ヶ月くらいだろうで終了しただろうか?あの頃を思えば恥ずかしいくらいお互いが幼かった。ろくに定職にも就かず、彼女に心配ばかりかけ、それを精神病と言い訳にして、のらりくらりと交わす。そもそも彼女は、精神病院を退院してからすくすくと自分を取り戻していった。置いていかれたのは中嶋で、働くことにさえいちいち疑問を持っていた。働きたいけど、働けない。働いても何処か他人と比べて浮いている。みすぼらしい。清潔感がない。理由は沢山あれど、社会福祉協議会のアルバイトで、月に二万八千円を稼ぐのがやっとだった。寒い冬。お昼時、正職員が温かい部屋で熱々の味噌ラーメンを食べている時に中嶋は寒い渡り廊下で冷たいパンをかじるようなそんな職場環境だった。このアルバイトこそ騙されていたのに気がついたのは、三年目の春だろうか?障害者が貰える金額なんてそのくらいだと担当者に言われて、仕事があるだけましなんて捨て台詞を吐かれ、もう嫌になり退所した数年後に担当者が首吊り自殺するのだから世の中わからないことも経験した。
「死ぬやつが偉そうに、生きた答えはこれか?」
「死にたいやつは死ね…葬式には逝かないからな。死ね。死ね。死ねば?と、何度も言われたことあるよ。笑いながら生きるって言葉を返すよ。何だよ、この街の住人は。死神か!同年代と軽い年下は糞だ。人が死んでもケラケラと笑っていやがる…。」
俺の住んでる街は、何処か他人事のように狂ってる。隣街まで電車で行くだけで、人の様子が全然違う。妬みや恨み節を言う何処か、東京のように歩いてる人は他人だ。電車で隣街まで来ただけで、全然吸う空気が違う。土地柄だけでは言い訳が効かない薬みたいな効果だ。そう思いながら横手駅の北口を抜けて場外馬券売り場まで向かうのだった。
中嶋ラモーンズ・幻覚5 安保 拓 @taku1998
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