異世界使者の一生
八鶴 斎智
第1話
随分と長いこと眠ってしまった気がする。いくつの夢を見ただろうか。目を覚ますとアピタスは森にいた。
「寝坊助アピタス君よ、おはよう。」
上体を起こすと、燻った焚き火の煙の向こうで丸太に座ったヤロニフが頬杖をついて足をぶらつかせ、眉間に皺を寄せていた。アピタスは目をしぱつかせた。
「ああ、ごめん。寝すぎた。ちょっと疲れてたようだ。もう出発しないといけない時間だな。」
ヤロニフは呆れたというふうに首を振って、手に持っている木の枝を焚き火の中に投げ入れた。
「もう昼だぞ。頼むぜほんとに。今日こそ森から出たいっていうのに。ほら、早く準備するんだ。」
すまない、と言いながらアピタスは準備を始めた。重装備を背負い込み、厚いスカーフを首に巻き直し、ケパレ馬に荷物を載せた。馬は少しだけめんどくさそうな顔をした。
ヤロニフは自分の馬の手綱をまとめながらその様子を見つめていた。本来であれば馬上に揺られて歩きたいところだが、森の木の根に足を取られて馬がやられてはいけない。ケパレ馬のため息のような嘶きを合図に二人(と二頭)は歩き始めた。
アピタスとヤロニフは、北方の国ルビに向けて放たれたアッティアの使者である。ルビの持っている知識を習得しアッティアに持ち帰る任務を帯びている。
二人が国を出てからここまで山を越え谷をくぐり、今は森にいるわけだが、あとどれくらいでつくのか、縮尺が正しくない地図だと皆目見当もつかぬ。
とりあえずこの森を抜ければ草原があるはずなので、そこまでは急ぐというのが二人の見解で一致していた。
森は大きい害獣が少ないものの、毒を持っている蟲が多すぎる。うかうか気を抜いているとオオヤマビルに神経をやられ、酷く苦しみ死んでしまう。
それに、この森には極めて残虐な山賊がいるとも聞く。ここは辛いが休息の時間は最小限に抑えて歩を進めるのが最善だった。
しばらく歩いているとヤロニフが口を開いた。
「なあアピタス。イーマンの話をしてくれよ。」
イーマンとはアッティアの風土病である。手足が細くなり、全身の運動機能が劣るようになる。ほとんどが幼児期に発病するから、アッティアでは戦士になれないという理由で殺されてしまう。一方でイーマンの者は知能が異常に発達することから、年齢を重ねて発症すると殺されずに何かの職業に就かされる。例えば口伝師、書記、軍師、そして使者になる者もいた。
「何の話が聞きたい。」
「そうだな。あの女の話をもう一度聞かせてくれよ。」
わかったと言いアピタスは語り出した。
*
前世で俺は荷運びをしていた。綺麗に舗装された道を、想像がつかないだろうが、マンタイル牛でもケパレ馬でも無い、大きな機械を操って一度に沢山の荷物を運ぶんだ。荷運び屋には機械を操る者、その機械を掃除したり整備したりする者、荷物の整理をするもの、それはまあ色々な仕事があるんだ。それで、その女は同じ荷運び屋で書記みたいな仕事をしていた。とても綺麗な女だ。肌は白く透き通っていて、大きな目につぶらな真っ黒な瞳、そして鼻筋が通っている。笑うとその大きな目が無くなってしまうことを覚えている。髪の毛は黒と金色、艶があった。彼女はどことなく良い香りがする。
*
「早いな、終わりか?」
「ああ、今回はこれで終わりだ。」
再び二人と二匹は黙った。森の中で木々の音だけが響いていた。
いうまでもなく、アピタスはイーマンだった。彼が発症したのはごく幼い頃だったが、諸般の事情により殺されずに何とか生き延びた。先ほどの女の話は前世の記憶。アピタスはイーマンの中でも卓越した記憶力の持ち主であり、前世の記憶をほとんど全て覚えていた。一方でヤロニフはイーマンではない、この世界では普通の人間だ。太い体躯、高い背丈、何より服の上からでもわかる浮き上がった筋肉がその証明となった。ただし頭脳の方はめっきりで特に記憶力が弱い。前世の女の話はつい3日前にしたばかりだ。これまでもそのようなことしかなかったが、ヤロニフに話すと新鮮な反応を示してくれるため、アピタスにとっては同じ話を繰り返すことはまんざらでもなかった。今回途中で止めたのはアピタスの虫の居所が悪かったからであろう。
「ヤロニフ、何か感じないか。」
アピタスは言った。
「アピタス、わかる。自分も感じていた。」
二人はふと歩みを止めた。なにか感じる。これは視線を向けられてる。しかもこの小一時間、ずっとだ。何者かに追われている、アピタスは思ったが、それはよくあること。点在する村の近くを通ったりしたら、その村の子どもが興味本位でしばらくつけてきたりするものだ。しかし今回は違う。興味本位の視線ではなく、悪意や憎悪といった黒い感情をひしひしと感じる。
「山賊か。」
ヤロニフは言った。
「みたいだな。」
アピタスはそう言うと剣を抜いた。
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