三 依頼の男

 長月(九月)十二日。小雨の朝五ツ(午前八時)。


 隅田村の白鬚社しらひげしゃの番小屋に町人風の男が現われた。雨に濡れてグッタリ肩を落したまま生気がない。

 この番小屋は以前は日本橋の商家の寮で、十畳の座敷が二間と十五畳の板の間と、広い土間と台所がある平屋だ。ここで石田光成いしだみつなりと仲間が、隅田村の衆に読み書き算盤を教え、万請け負いよろずうけおいと始末屋をしている。(遊郭における未払いの花代を取り立てる事を生業にする者を、始末屋と呼んだ)



「万請け負いをしている方たちの家がこちらだと聞いて、頼みに来ました」

「如何にも、我らはいろいろの頼み事を請け負っています。

 私は森田もりたと言います。仲間が、皆、居ますから、お上がり下さい。

 囲炉裏の近くに寄って、濡れた着物を乾かして下さい。それまで、古着だが、私の着物をお貸し致します」

 囲炉裏に火を入れる時節でなかったが、ここのところ異様に朝夕冷えるようになったため、囲炉裏に火の気があった。

 男は森田の勧めに従い、板の間に上がって囲炉裏の傍に座った。


「石田さんっ。皆さんっ。お客様ですっ」

 森田は奥の座敷にいる石田たちを呼び、板の間の押し入れにある栁行李から、己の古着を取り出して男に渡した。


 森田から着物を受け取った男の目に涙が溢れ、囲炉裏の傍に座った男の膝に涙が滴り、そのまま、雨で濡れた着物に染みこまれていった。


 奥の座敷から石田たち四人の浪人が現われた。

 石田は男の涙を見て感じた。これまで、この男の依頼は、この男の涙の如く、様々な万請負人の間で、有耶無耶にされたのではなかろうか・・・。

「森田さん。その納戸で着換えてもらっては如何ですか」

 石田は板の間の隅の納戸を示した。納戸には何も入っていない。

「いえいえ、お構いなく、そこの隅で、着換えます・・・」

 男は板の間の隅で着物を着換えた。板の間の床に男の目から涙が滴った。

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