中嶋ラモーンズ・幻覚2
安保 拓
中嶋ラモーンズ・幻覚2
外に出ると、一面の銀世界といえば聞こえが良くメルヘンだが、俺の住んでいる街。秋田県湯沢市は、東北地方有数の豪雪地帯だ。総人口4万人弱の小さな田舎町は、陸の孤島とも呼ばれる。雪が一番降る二月には、降り積もった雪でかわいい犬とお堂の雪像を家の前に作り、その昔、大盗賊からの盗難、魔除けを祈念したことに由来する「犬っこまつり」が開催される。真夏の八月には、その昔、京都から来たお姫様を憂い慰めるために、浮世絵美人を描いたとされる大小数百の提灯のような絵どうろうを街の中心部に飾る「七夕絵どうろうまつり」が行われる。どちらも四百年以上続く民俗行事だ。またこの小さな田舎町では、まだ住民同士の穏やかな村社会が残り、社会適合性ゼロの俺でも古いアパートから一歩。世間という奴にでれば、この街の住民「中嶋優」として、ちゃんと名前を名乗り生きていかなければならない。また時に人は都会の闇に紛れると言葉を使うが、小さな田舎町では、誰でも無くひっそりと暮らし過ごすことは不可能だ。だから、それに耐え切れなければ都会へ引っ越したり、自死を選ぶ者もいる。
外に出た中嶋は、レッドウイングのエンジニアブーツでゆっくりと大胆に雪を踏み締めた。踏み締めた雪は、皇帝ペンギンの鳴き声のようにキュキュっと嬉しそうに笑い、何故だが世間という外に出てきたことを喜び歓迎しているように聴こえる中嶋は、都合良く聴こえる自分の耳に恥ずかしさを覚えて苦しくなってしまった。キュキュっと鳴る雪の音は、ザフザフに音色を変えて中嶋の世界に強引に押し込んでくるのであった。
都合の良い「世間」と、都合の悪い「中嶋優の世界」
優君は、小学生の頃、世の中に対してバランスの悪い考え方を持っていた。空想にひたる子供らしい一面もあったが、毎日テレビで起こる事件と現実のことばかりを気にしている子供だった。優君の人格は、離婚した母親と兄弟。義務教育と同級生。チャンネルの少ない地方のテレビ局と大人が読む雑誌。青々しい秋田杉の山と大きくうねる雄物川。忙しい仕事の合間、母親が育てるカラフルな花々に囲まれた生活で形成されていたのに、優君自身は、いつも別の方向に目が覚めるように向いていた。
「わからない。」それが優君の口癖だった。
化粧品の営業で笑顔を振りまく母親やわんぱくな同級生から見れば、勉強ができないだけの普通の
子供だった。その頃の優君は、歴史ある木造校舎の図書館で気になる本を見つけては静かに読み、何か一つ発見があると納得するまで未熟な脳と心臓を使い考え込んでいた。日本人として産まれたこと。沢山の国を通しての世界。神様。地球と宇宙。戦争。優君のお気に入りは、ちかい昔、日本が最後に戦争していた時の神風特攻隊に関する大人向けの書物だった。
本を読むのでは無く、ゼロ戦のイラストや出陣前の神風特攻隊が整列している写真。大空に飛び出したゼロ戦の勇姿を眺めるように、一頁、一頁、めくった。
「わからない。」とつぶやいては、
バカ丸出しの鼻から垂れる鼻水を、何故か当時の小学校で流行っていた遊びで、アメリカ産のかわいいトレーナーを裏返しに着てお洒落している女子生徒の袖に擦りつけては嫌がらせをして、また写真をじっと見つめた。何度も何度も繰り返し写真を凝視していると神風特攻隊の顔が笑っているようにさえ見えてきた。
「わからない。」とまたつぶやいた。
優君が、学んだことは子供にはまだ早い愛国主義ではなく、その本の片隅に書いていたヒロポンというフレーズ。普段テレビで欠かさず観ている好きなウルトラヒーロー物語の怪獣の名前を覚えたことが嬉しいように叫びながら、とても古い木造校舎の長い廊下を勢いよく走り回った。
「ヒロポン、ヒロポン、ホロボン、うおおえお」
勉強はできなかったが、素直な行動をする少し優しい子供だった。そして、意外にもヒーロー物語が好きな優君は五年生のクラスで三番目に喧嘩が強かった。いつかクラスで一番強いバチとギリを
覚えたての必殺技、ヒロポンパンチで倒すのを夢見ていた。
「先生に告げ口しないで、必殺技勝負だ。」
中嶋ラモーンズ・幻覚2 安保 拓 @taku1998
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