第8話 牡丹雪が降る山

(牡丹雪が降る山)


「すみません、吹雪になってしまって……」


 もう春だというのに、午後から吹雪となった。


 最近の天気予報はあてにならない。


 ここは、スイス、アイガーの麓、三人は吹雪に閉じ込められていた。


 万一のために持っているテントが役に立った。


「ここで、ビバークしましょうー! これ以上進めば凍えて体力を消耗するだけですから、ビバークして救助を待ちましょう……」


 誠は日本から来た老夫婦のガイドをしていた。


 あと一時間も歩けば街につけるというのに……


 あと一時間もすれば日が暮れる。

 

 日が暮れれば気温はもっと下がる。

 多分、この軽装備では持たない。

 誠は、素早くテントを張った。


「これなら、外にいるより快適ですわー」と、お婆さんが言った。


「食料これだけあります。何とかこれでしのぎましょう……」


「あんた、一人なら、街まで行けるでしょう。わしらを置いて行ってくれっ!」

 お爺さんは、笑顔を作って言った。


「そんなことはできませんよー!」


「わしらは、もう十分生きた。念願だったハイジの故郷も見れた。去年は赤毛のアンの故郷プリンスエドワード島に行ったんじゃよ。もう思い残すことはない。息子のように接してくれた、誠さんにも会えた。いい旅だった……」


 お婆さんも、笑っていた。


「まだ、旅は終わっていませんよー! ローマには、「ローマの休日」があります。真実の口、スペイン広場の階段、案内します。オーストリアには「サウンドオブミュージック」の舞台があります。ザルツブルク祝祭劇場、行きましょう。まだまだこれからですよ。きっと私が案内しますから、必ず帰りましょうっ!」


 誠は、語気強く、この先の楽しい旅の予定を語って、老夫婦を元気付け励ました。


「でも、この吹雪じゃー救援は無理じゃよ……」


 それは分かっていたこと……、この吹雪じゃ出られない。


 吹雪が止むころには、手遅れになる。


「……、やはり、僕が呼んできます!」


「それがいいー、頼むよっ!」


 お爺さんも、笑っていた。





 誠は、外に出た。


 相変わらず凄い吹雪で、前が見えない、どちらに進んでいいかもわからない。


 でも確かに道は下り坂、これを下っていけば街に着くはず。


 誠は膝まである雪を踏みしめ、かき分け、踏みしめ、かき分け進む……

 しかし、すぐに日は暮れ、闇がさらに方向を分からなくした。


 それにもまして、寒い、体が凍えて自由に動けない。

 自然の驚異に、改めて人間の小ささを身に染みる。


 ここまでかと、雪の中にうずくまる……

 雪の中は、吹雪の中より暖かい。


「暖かい、暖かい、このまま眠ってしまおうか……?」


 多分、眠ったら、そのまま死んでしまう。


 死ぬってどんな風かな……?

 生きている方が、もっと辛い……!


 僕は、何でここにいるのか?

 山が好きだから……


 本当に好きなのか?

 本当に好きなのは、よっ子……


 よっ子が傍にいてくれたら、何もいらなかった。

 一生涯、よっ子の望みを叶え、面倒を見てあげていれば……


 それが僕の幸せだった……


 よっ子の夢は、僕の夢だった……

 よっ子は、僕の生き甲斐だった……


 僕は、ここで死んでしまうのかな……?


「……、こちらに来なさい!」


 人の声、夢を見ていると誠は思った。


「……、こちらに来なさい!」


 でも、人の声がする。それも女の人……


 誠は、雪の中から顔を上げた。


 吹雪は止んでいた。牡丹雪がちらちら舞っている。


「吹雪が収まった……」


 誠は、立ち上がり、前に進む。


 前を見ると、赤い蛇の目傘をさして、歩く女の人がいた。


 よく見ると、白い着物に赤い帯、髪は黒く長く、胸まで伸びて風に揺れていた。

 それに雪の上を浮いているように見えた。


「……、貴方は、まだ死んではいけない。私に付いてきなさい!」


 誠は、雪女だと思った。


 雪女、人の魂を吸い取り凍らせる妖女……


 でも、それでもいい、この美しい人に付いていこうと思った。


 誠は、吹雪が収まったせいか、足は思うように進む。


 雪女は、前を傘を回しながら雪の上を浮きながら歩いている。


 誠が急いで、雪をラッセルしながら、彼女に追いつこうとするが、彼女はすぐに離れてしまう。


「……、あなたを待っている人がいる……、故郷に帰りなさいっ!」


「故郷、日本にですか?」


「……、あなたを必要としている人がいる……、故郷に帰りなさいっ!」


 誠は、尚も急いで、雪をラッセルしながら、彼女に近づくと、彼女は遠ざかっていく。


 それを何回か繰り返すと街の明りが見えた。


「これで助かる」誠は思った。


 でも、気が付くと傘を差した女の人はどこにもいなかった。


 そして、いつしか牡丹雪も止んでいた。


「これで、救助隊も出られる!」


 誠は、まさに九死に一生を得た心持だった。


 吹雪が止んだことで、誠の雪のラッセルした後をスノーモビルのレスキュー隊が追う。


 無事、老夫婦も救出できた。


 そう言えば、雪女の話は、最後の最後に恋した男を殺せなかったんだと思い出していた。


 でも、彼女、よっ子に似ていた。


 幼馴染で、狂うほどの恋をして、去って行った人……


 山で遭難して、息絶えるとき幻視を見るという。


 ただの幻だったのか?


 でも、僕は生きている。彼女に助けられたと言ってもいい!


 故郷に帰れと言っていた……


「……、帰ろうー、日本へ!」


 誠は、老夫婦をオーストリア、ローマと予定通り旅を続けて案内した。


 そして、一緒に日本に帰ってきた。


 十五年ぶりの日本だった。




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