第13話 黒歴史消しゴムの依存性

「なにニヤニヤしてんのよ。気持ち悪い」


 そういい放ったのは、姫宮だった。


 放課後に真っ先に教室から飛び出そうとしたら、姫宮とぶつかりそうになったのだ。

 おれが無視して教室を出ようとすると、こいつのほうから絡んできた。


 今日はやけに毒リンゴの奴、おれに絡んでくるな……。

 そう思って記憶を手繰り寄せてみたが、今日はこいつと絡んだ覚えも絡まれた覚えもない。

 とりあえず、毒リンゴにかまっているひまはない。

 おれはそろそろ初稿を上げなければまずいのだ。


「急いでるから」


 そういって教室のドアに向かうと。

 姫宮が目の前に立って、通せんぼする。


「……なんだよ」


 おれは呆れて姫宮を見る。

 本当は、「邪魔」といいたいところだが。

 それをいうと、百倍になって返ってきそうなうえに、姫宮親衛隊になにをさせるかわからない。

 背筋がぞくりとする。

 これは関わるな、という警告にちがいない。

 姫宮は大きなガラス玉のような瞳でおれをじっと見て、それからうつむく。

 そして口を開く。


「さっきの……リズとリサがあんたに何をしたのか聞いたわ」

「え、さっきの?」

「そう。聞いて驚いた。さすがにあそこまでするとは思わなくてその……」


 なんの話かわからねえ。

 この様子だと、黒歴史消しゴムで消した記憶なのだろう。

 ってゆーか、姫宮はおれになにをいいたいんだ?

 文句か?

 それにしては、しおらしい。

 おれが戸惑っていると、姫宮は続ける。


「ちょっとは反省してるのよ」


 ……だから、なにを?

 聞き返したいが、それはそれで厄介そうだ。


「それで……お詫びってわけじゃないんだけど……」


 姫宮はそこまでいうと、右手を差し出す。

 おれは反射的に後ろに引いてしまった。

 右手に握られていたのは、銀色の……。


 缶だった。


 鋭利な刃物ではなくて安心。

 よくよくみれば、ミルクティーだ。

 姫宮はそれをおれに差し出しながら続ける。


「これ、あげる」

「えっ? なんで?」

「だから反省してるっていってるじゃない!」


 姫宮はミルクティーの缶をおれに投げつける。


「いってぇ」


 缶はおれの額に当たった。

 別に鋭利な刃物でなくても、ミルクティーの缶も十分、武器になるな……。


 おれは渡されたというか、投げつけられたミルクティーを見る。

 ミルクと砂糖たっぷり。

 そして、ぬるい。


 嫌がらせなのか、それともこれはお詫び的なアレなのか。

 缶が開いていないところを見るに、毒は入ってなさそうだ。

 しかし、毒を入れているかもしれないと思う相手から渡されたミルクティーを飲むのも癪だな。

 そう思って教室を出た瞬間。

 廊下を歩いてきた麗を見つけた。


「どこ行ってたんだよ。四時限目も五時限目もサボりやがって」

「えへ☆」


 麗は首をかしげてニッコリ笑う。

 そんなもんでごまかされると思ってんのか。

 おれはそういいかけて気づく。


 麗はいつものギャルモードのヘアメイクと服装に戻っている。

 今朝はあんなに屍状態だったのに。

 この数時間で立ち直れるものなのか。

 おれはそこでハッとする。


「もしかして……。麗も黒歴史消しゴムをつかったのか?」

「まーね。黒歴史消しゴム、大量生産できそうだし」

「へえ……。ってゆーか、黒歴史消しゴムで消せるのは、自分の過去の行動や言動なんだよな?」

「自分が体験したできごとならOKだよ」

「けっこう、ふんわりしてるんだな」

「そうでもしないと、わたしが消したい記憶は消せなかったらしいんだよね。もうなんの記憶を消したのか忘れちゃったけど」


 麗が笑う。

 よく考えたら、この会話自体が怖い。

 やっぱり麗は天才だが、こいつの発明品を使いすぎるの良くないかも……。

 そう思った時。


「あれ? そのミルクティー」


 おれが持っていたミルクティーを麗が目ざとく見つける。


「ああ、ちょっとな」

「そのミルクティー……なんか林檎ちゃんの香りがする……」

「はぁ?」


 麗は鼻をくんくんさせて、ミルクティーの缶の匂いを近くで嗅ぎ出す。

 やべぇな、こいつ。


「やっぱり林檎ちゃんの香りだ!」

「警察犬かよ」

「わたしは林檎ちゃんの香りしかわからないよ」

「それはそれでキモイな……」


 おれがそういうと、麗はこちらをジッと見つめる。


「ねえ、なんで林檎ちゃんの香りのするミルクティーを翔が持ってるの?」

「いやまあ、これは色々とあって……つーか、黒歴史消しゴムで消した記憶に絡んでるらしくて、おれもよくわかんねえんだよ」

「ふーん。じゃあ林檎ちゃんは、よほど翔に感謝してるか申し訳ないと思ってるかどっちかなんだね」

「なんでそんなことがわかるんだよ」

「あの子は……人の物は奪うけど、与えることはレアだから」

「そうだろうな」


 おれがそういって、歩き出そうとすると麗がブレザーの裾を引っ張る。


「いいなー。なんでもらったのー?」

「だからわかんねえよ」

「わたしも林檎ちゃんからミルクティーもらいたい!」

「じゃあこれやるよ」


 おれはそういってミルクティーを麗に渡す。


「えっ? いいの?」

「おれを経由していてもいいんならやる」

「いいよー、全然OK」


 麗はおれが渡したミルクティーの缶の匂いを嗅ぎながら続ける。


「まだ林檎ちゃんの香りするし」

「変態だな」


 ポツリとつぶやいて、おれは今度こそ昇降口に急ぐ。


 帰り道にふと思う。

 麗いわく、姫宮がだれかに何かを渡すのはレア。

 ってことは、おれはレアな体験をしたのか。

 姫宮の態度からして、あれは恩を感じているのではなくお詫びだろうけど。

 じゃあ、どれだけヤバいことされたんだよ。


 でも、その記憶は削除した。

 あの毒リンゴがお詫びをするぐらいだから、とんでもないことだったから、きっと今頃トラウマになっていただろう。

 良かった、黒歴史消しゴムがあって。        



 それからおれは、黒歴史消しゴムをたまに使うようになった。


 体育の授業で顔面にボールが当たって周囲に笑われた→削除。

 数学の授業で当てられて答えられなかった→削除。

 担当編集に、「いつもお昼はひとりなんですか?」と聞かれた→削除。

 妹に、「おにいみたいな灰色の高校生活は絶対に送りたくない」と言われる→削除。


 そうだ。

 たまにしか消しゴムをつかっていない。


 おれは、そこまでたくさん黒歴史があるわけでも、精神的に弱すぎるわけでもないんだ。

 だからたまに黒歴史を消すだけで生活できる。

 そう思っているのに、消しゴムは既に半分ぐらいに減っていた。


 いつ、どんな記憶を消したのかさえ覚えていないのに。

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