第11話 黒歴史消しゴム

「えー、地球を滅ぼすことなんてできるわけないじゃん」


 化学準備室Ⅱで、麗は白衣に着替えながらいった。


「だってさっき、世界を終わりにさせればいいとかいってただろ」

「それはこの世界線を終わらせるってこと。また別の世界線をつくればいいの。そうなると過去改変しなきゃだね」

「過去改変って……タイムマシンでも作る気かよ」

   

 麗が世界を滅ぼす気がないと知って、おれはホッとする。


「タイムマシン、作る気満々だよ」

「まじかよ」

「うん。タイムマシンを作るのは、発明家の夢だよ」

「でも、そんなに簡単できるもんじゃないんだろ」


 おれの言葉に、麗は『発明ノート ※麗以外の人が見たら燃えるシステムだよ』と書かれた物騒なノートを見てつぶやく。


「うーん。すぐは無理かな……」

「そうだよな」

「でも、発明ノートを見て思い出したんだけど、すぐに作れる良い発明はある」

「えっ、時を超えるやつ?」

「ううん、どっちかといえば記憶操作」

「そんなんばっかりじゃね?」

「んなことないよ。『すべらないリップクリーム』は、どっちかというと洗脳系だし」

「洗脳系って……なにそのパワーワード……」

「文句ばっかりいってると、できても使わせてあげないよー」

「いや、いい。おれは麗の発明には振り回されてばっかりだし」

「それは振り回される翔のほうが悪いんでしょ」


 麗は、なにやら機械をごちゃごちゃといじりながら続ける。


「そもそも『すべらないリップクリーム』でちゃんと人気者になれたじゃない。それなのに一度すべったぐらいで懲りるなんて、豆腐メンタルにもほどがあるのよ」

「いやあまあ、確かに豆腐メンタルだけど……」

「おれがすべったことをみんな覚えててずっと噂されるにちがいないって、どんだけ自意識過剰なのよって話」


 心臓がえぐられるんだが?

 おれ、泣きそうなんだけど。


「そもそも、自分は他人の記憶に強いインパクトを与えているだなんて、おこがしましい考えよね。何様って感じで」

「もう……やめてくれ……」

「だって、そうでしょ? 翔だって道端の丸めて捨てられたティッシュになんか興味ないし、むしろ避けて通るでしょ」

「なんでたとえが使用済みティッシュなんだよ……せめて石ころとかにしてくれよ……」

「石ころはよほど邪魔にならない限りは避けないからね。使用済みのティッシュは避けて歩くけど、三秒もすれば忘れちゃうでしょ」


 麗が毒リンゴよりも厳しい口調で続ける。


「なにがいいたいかっていうとね、使用済みティッシュの分際でぐちぐちと悩まなくてもいいの。だれも翔のことなんて気にしてないし頭の片隅にもないんだから」

「……麗はおれが嫌いなのか?」


 泣きそうなおれに、麗はこちらをじっと見つめてから何かを差し出してくる。


「はい、完成」

「なにが?」

「黒歴史消しゴム」

「なにそれ」


 おれは鼻をすすって麗の持っているものを見る。

 真っ黒な四角い……消しゴム?


「これで黒歴史を消すと、記憶から消えるんだよ」

「どういう意味だ?」

「じゃあ、翔、さっきわたしに罵倒されたことをノートに書いてみて」

「え、なんのノートでもいいのか?」

「うん。別にチラシの裏でもいい」


 おれは麗にいわれるがままに、小説のメモ用のノートを取り出し、そこにさっき麗に使用済みティッシュレベルといわれたことを書く。

 そして、「はい。これで消してみて」と麗に促されるままに黒い消しゴムでその文字を消す。

 消し終えたおれは、麗にいう。


「なんだよ。別になにも起こらないじゃないか」

「で、どんな記憶を消したの?」

「え? だから……」


 おれはさっきノートに書いたことを思い出そうとする。

 しかし、まったく思い出せない。

 なにがあったっけ?

 ううん、とうなっているおれに、麗は満足そうな表情を見せた。


「成功だね。黒歴史消しゴムはつかった本人の記憶しか消さないの。周囲は覚えてる。だから翔の消した記憶はわたしが覚えてるよ」

「それって意味ないんじゃねーの?」

「そんなことないよ。嫌なことがあったら記憶ごと消しちゃえば、だれが覚えてるかすら忘れるんだから」

「でも、黒歴史があった事実は消えないんだろ?」

「自分で覚えていなければ、その事実もあってないようなものよ」

「そんなもんかなー」

「それ、翔がつかっていいよ」


 麗はそういうと、また何やら機械をいじり始める。


「別におれは消したい記憶なんか」

「あるでしょ」

「……あるけど、麗もあるんだろ。ほら、例の俳優の……」

「あるけど、でも、この消しゴムは、あくまで黒歴史を本人だけの記憶から消すだけなの。屋良樫太郎の黒歴史を書いて消しても、屋良樫太郎の記憶から消えるだけじゃ意味ないよ」

「なるほど。じゃあ、一応、つかわせてもらう」

「あんまり消し過ぎちゃダメだよ」

「黒歴史製造マシーンじゃねえし」

「ちがうの?」


 麗はそういって不満そうに振り向いた。


「なんか今日は棘があるなあ」


 おれはそうつぶやいて、「じゃあ今日は他で小説書く」といって化学準備室Ⅱを出た。


 今日はやけに麗に棘があるのも例の屋良樫太郎のやらかしのせいだな。

 あの俳優にこそ、この黒歴史が必要だろう。

 まあ、自分の記憶だけ消したって周囲が覚えてるし、散々ニュースになるから意味ないけど。

 そう思って黒歴史消しゴムを見つめる。


 自分だけ黒歴史を忘れることができるって、意味あるのか?

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