第272話 真夜中の温泉

 夕食を摂ってから、クラエル達は解散してそれぞれの部屋に戻った。

 それから就寝までの間は思い思いに過ごしていたのだが……ふと、クラエルが部屋を出た。


「もう一度、温泉に入っておこうかな……」


 何となく眠れなかったため、できるだけ足音が立たないように廊下を歩いて露天風呂に向かった。


「寒っ……!」


 脱衣所から外に出た瞬間、外の冷気が肌を刺してくる。

 露天風呂には他の宿泊客の姿はない。貸し切り状態だった。

 クラエルは滑らないように注意しながら、足早に温泉に向かう。


「熱っ……!」


 桶で身体に湯をかけると、冷えた身体に一気に熱が流れ込んでくる。

 寒さと熱さが同居している……冬の露天風呂の醍醐味だった。


「くう……ッッッ!」


 長く息を吐きながら、意を決して湯船に浸かった。

 湯気で目の前が真っ白に染まり、周りが何も見えなくなる。湯船に肩まで浸かって、頭の中で「一、二、三」とカウントしていく。


「あー……慣れてきた」


 やがて、温泉の熱に順応してきた。

 熱が全身を巡り、心地良さを隅々まで行き届かせていく。

 湯気のせいで気がつかなかったが……どうやら、雪も降っているようだ。寒いわけである。


(熱さと寒さの融合……冬の露天風呂の醍醐味だな)


 こうして温泉に浸かっていると、改めて自分が日本人であったと実感する。

 至福の時。天にも昇るような極上の時間である。


(おまけに貸し切りとは……本当に贅沢だな……)


「ふいー……」


「気持ち良いですね、クラエル様」


「ああ、とても……………………ッ!?」


 投げかけられた言葉に自然と答えそうになり、慌てて言葉を呑み込んだ。


「れ、レイナっ!?」


「はい、私です。クラエル様も温泉に入りに来たんですね」


 声の主はレイナだった。

 男湯と女湯を隔てる壁の向こう側から聞こえてくる。

 流石に男湯にはいなかったことに安堵して、クラエルは大きく肩を落とした。


「ああ……レイナも眠れないんですか?」


「それもありますけど、空が綺麗だったもので。夜空を見ながら温泉に入りたいと思ったんです」


「空……?」


 クラエルが頭上に視線をやると……そこには、煌々と照る満月があった。

 うっすらと雲がかかって雪も降っているのに、月がハッキリと見える。

 月の明かりを雪が反射しており、まるで万華鏡のようにキラキラと輝きながら地上に舞い降りているのだ。


「なるほど……これは一見の価値がありますね」


「そうでしょう? クラエル様と一緒に見られて良かったです」


 柵の向こう側から、わずかに弾んだ声が聞こえてくる。


「せっかくですし、そっちに行っても良いですかっ?」


「もちろん、ダメですね」


「……勢いでいけると思ったんですけど、やっぱりダメですか」


 弾んだ声から一転して、残念そうに声のトーンが落ちる。

 流れで押し通せると思ったのだろうか。クラエルだってそこまでチョロくはない。


「…………」


 顔は見えないが、落ち込んだ様子でレイナがしばし沈黙する。

 ちょうど良いタイミングかもしれない……クラエルがふと聞きたかったことを訊ねることにした。


「レイナ……君は彼のことをどう思いますか?」


「彼……誰のことですか?」


「ほら、夕方に会った彼ですよ。シュラ・ハイゼン君です」


「ああ……ライオンに変身していた男の人ですか」


 あんなことがあったというのに、あまり印象に残っていなかったらしい。レイナは彼のことを忘れていたようである。


(怪物に変身してまで記憶していないって、いったいどれだけ興味がないんだ……)


 シュラもまた攻略キャラの一人であるはずなのに、レイナが彼のルートに入ることは金輪際なさそうである。

 シュラ・ルートを推せないクラエルとしては少しだけホッとした。


「そう……彼です。怪物の姿に変身するとか、彼はいったい何者なのでしょうか?」


 その答えはすでに知っているが、あえてレイナに訊ねた。

 レイナがどこまで気がついているのか探りを入れたかったのである。


「そうですね……憶測になりますが良いですか?」


 レイナはしばしの沈黙を挟んでから、クラエルの問いに答える。


「たぶんですけど、あの人は呪いをかけられているんだと思います。呪いによってライオンに変身してしまったり、周りの人間に不幸を振りまいたりしてしまうんです」


「呪いですか……ちなみに、聖女の力で彼を救うことはできますか?」


「無理ですね」


 即答した。

 一瞬の躊躇もない回答である。


「聖女であろうと、女神であろうと……救われることを望んでいない人間を助けることはできません。女神は自らを助くる者にのみ手を差し伸べてくれるのです……復讐や憎悪しか頭にない人間は誰にも救えません」


「……そうですか」


 レイナの言葉は厳しい。とてもシビアなものだった。

 それはレイナらしくないと人によっては感じるかもしれないが……間違ってはいないとクラエルは断言できる。


(彼を救う方法はあるかもしれない……だけど、そのためには多くの人間が不幸になってしまう。その中にはレイナ本人も含まれている)


 シュラ・ルートがたどり着く先はメリーバッドエンド。

 誰かが救われるというよりも、全員が平等に不幸になるような終わり方なのだ。


(レイナにそんなラストは似合わない……悪いけど、ハイゼン君には自分でどうにかしてもらうか)


「クラエル様、やっぱりそっちに行ったらダメですか?」


「ダメです」


「ムウ……」


 ダメもとでかけられた願いをクラエルは拒絶する。

 女湯からレイナが不満そうに声を漏らすが、頭まで湯に潜って聞かないフリをした。

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2024年11月10日 18:00
2024年11月13日 18:00

モブ司祭だけど、この世界が乙女ゲームだと気づいたのでヒロインを育成します。 レオナールD @dontokoifuta0605

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