第267話 王太子と憂鬱な雪

「やれやれ……フラれてしまったな」


 クラエルとレイナに事情説明をして、勧誘に失敗したエリックであったが……ホテルを出るや天を仰いだ。

 津々と雪が降っている空に向けて、深く重い溜息を吐く。


(できることならばレイナの手を借りたかったが……やっぱり、断られてしまったか)


 エリックがレイナに助力を願おうとしたのは、別に下心が理由というわけではない。

 これから話を聞く相手……歌姫シデルイーリャと接触する上で、レイナがいてくれた方が話がスムーズに進むと考えたからだ。


 歌姫シデルイーリャは特殊な存在である。

 聖女というわけでもないのに奇跡の力を使うことができ、疫病や災害を鎮めたという話も聞く。

 だが……一部では不審な噂も耳に入っていた。

 彼女の力の源泉が邪悪なものであるとか、生贄を捧げたことで得たものであるとか……そんな不穏な情報を聞いたことがある。


(だから、レイナに立ち会ってもらって意見を聞きたかったんだけど……楽はできないということか)


 如何にエリックが王太子であるとはいえ、レイナに対して何かを強制することはできない。

 レイナは聖女。代えのきかない存在であり、ある意味ではエリックよりも国にとって重要な人物だった。

 聖女に何かを強制すれば女神から罰を与えられることもある。過去には聖女に結婚を強制した王族が雷に貫かれたという話もあった。


(レイナの手が借りられないということは独力で解決するしかないか……いや、独りではない。仲間や婚約者の手が借りられるだけマシか)


 幸い、今回の一件についてヴィンセント達から協力の申し出を受けている。

 婚約者であるキャロット・ローレルだって、公爵令嬢だけあって話術も巧みで交渉事に慣れていた。

 歌姫シデルイーリャとの対話に手を貸してくれるはずだ。


「わかっているさ……私は恵まれている。この上ないほどに」


 頼もしい仲間がいて、包容力のある婚約者がいて。それ以上に何を望めるというのだろう。


(私は贅沢者だな。これだけ多くを得ていながら、隣にレイナがいないというだけでこんなにも『物足りない』と感じてしまうのだから)


 胸にぽっかりと開いた空白を感じながら、エリックは足元の雪を踏みつける。

 無いものねだりをしても仕方がない……レイナの手が借りられないのなら、自分でどうにかしなければ。


「ん?」


「…………」


 馬車に乗って自分の宿泊先のホテルに帰ろうとするエリックであったが……ふと、道の端に人影を見つけた。

 ただの通行人かと思いきや、その人物は見知った人間。おまけに何故か足を引きずっている。


「おい、君!」


「…………」


 エリックがその人物に声をかけると、少年が振り返って目が合った。

 その少年は王立学園の生徒だった。陰気そうな顔立ち、黒いコートに長いマフラー、眼帯によって左目を隠している。


「シュラ・ハイゼン君だったね? どうかしたのかい?」


 エリックが少年の名前を思い出す。


 シュラ・ハイゼン……確か、そういう名前の生徒だったはず。

 シュラは足を引きずっており、ズボンの裾から血が流れている。怪我をしているようだ。


「その怪我はどうしたんだ!? すぐに手当てをしよう。馬車に乗ってくれ!」


「……構うな」


 けれど、シュラはエリックのことを意に介した様子もなく去っていこうとする。

 エリックが慌てて彼の肩を掴んで、強制的に足を止めさせた。


「待つんだ! その怪我は放っておいて良いものじゃ……」


「手を出したのはそっちだ……自己責任と思え」


「ぬあっ!?」


 直後、エリックの頭を衝撃が襲う。

 エリックの頭部を殴打したのは近くにあった木の枝だった。雪の重みで折れた枝が脳天に直撃したのである。


「グ、ア……」


「フン……」


 倒れたエリックを放置して、陰鬱な雰囲気をまとった少年……シュラ・ハイゼンは足を引きずってその場を立ち去った。

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