第143話 悪者は蠢く

「まったく……いったい、いつまで待たせるつもりですか? この私を、苛立たせないでいただけますか?」


 暗い部屋の中に男の苛立った声が漏れる。

 声の主は身なりの良い僧服の男性。糸のように細い目つきで、どこか油断ならない雰囲気の持ち主。

 狡猾な狐のようなその男の名前はカーマイン・イマリー。シャインクロス神聖国の司教であり、クラエル達にギャングを送り込んだ元凶である。


「裏社会に名高い無法者が情けない。一人の男、一人の少女すら攫ってこられないとは……貴方達には高い支度金を払っているのを忘れたんですか?」


「いや……申し訳ありませんね。皆さん、頑張っているみたいなんですけどね」


 カーマインの叱責に、部屋にいたもう一人の人物が困った顔で答える。

 カーマインよりもいくらか若い青年だった。優男風の人物であるが、よくよく見れば身体つきは良く、それなりに訓練された人間であるとわかった。

 黒いシャツを開いた胸元には五芒星を裏返したような銀細工のネックレスが揺れており、どこか不気味な印象がある。


「無法者達への指示は任せろと言ったのは貴方ですよ……ギラエルさん」


 青年の名前はギラエル。

 数年前まで、ギラエル・バーンと名乗っていたが、現在は除籍されているため姓を名乗ることは許されない。

 クラエルの実兄であり、盗賊ギルドとの関わりが深い人物。

 カーマインとギャング達の仲立ちとして、両者を結びつけた影の黒幕だった。


「いやー……正直な話、こっちもまいっているんですよ。一部の貴族に金を握らせて騎士団を黙らせているのに、王太子がやたらと積極的でねえ。何やら、他にも動いている連中がいるみたいで……おかげで、裏社会が随分と寂しくなっちゃいましたよ」


 ギラエルがヘラヘラとだらしなく笑いながら、そんな言葉を口にする。


「こっちは実の兄まで使ってクラエルを呼び出したのに……まさか、失敗するなんてね。いくつかのグループが仕事を下りたいって言って、準備金を返してきて……いやあ、まいったまいった。嵌めたんじゃないかって、こっちまで飛び火ですよ」


「……貴方の都合など、どうでも良いのです。私は金を支払い、二人を神聖国まで連れてくるように命じた。貴方達にはそれをする義務がある……違いますか?」


「いえいえ、違いませんよっと。全身全霊で努力させていただきます」


 カーマインに睨みつけられ、ギラエルが両手を上げて降参を示す。


「雇われの人間として文句は言いませんよっと。それにしても……おっかないですねえ、聖女の力って言うのは」


 ギラエルがふと真顔になって、胸元の銀細工に触れる。


「念のため、邪教の刻印を持っていなかったら俺も補足されていたでしょうねえ……この場所だって、闇の結界がなければ見つかってましたよ?」


「…………」


 ギラエルの言葉にカーマインが渋面になる。


 ギラエルは狡猾で用心深い男だった。

 かつて、短慮から長兄の命を狙って、そのせいで家を追い出されたが故に

 聖女を擁する神殿の力を警戒して、邪神崇拝の魔法やマジックアイテムをいくつも用意していた。

 そうでなければ、ギラエルもカーマインも天使にぶちのめされていたに違いない。


「ククッ……そんな顔をしないでくださいよ。お偉い司教様にとっちゃ、邪教の呪術が不愉快なのもわかりますがね」


「黙りなさい」


「まあ、警戒しておいて損はなかったと思いますよ。聖女様の御力は予想以上に強かったみたいですからね……やっぱり、狙うとしたらクラエルかな?」


 などとボヤいていると……暗い部屋の中に別の人間が入ってきた。


「ギラエルさん、ちょっと……」


「あん? 何だよ、客の前で」


「それが、その……」


 手下らしき人物がギラエルに何やら耳打ちをする。

 報告を受けたギラエルがピクリと眉を上げた。


「どうかしましたか、ギラエルさん」


「あー……そうですねえ……」


「話しなさい」


 ギラエルは言いづらそうに視線をさまよわせるが、カーマインの糸目にジッと見つめられると、観念したように肩をすくめる。


「学園にいる内通者からの情報なんですがね……どうやら、クラエルが近いうちに巡礼地に行くようですよ」


「巡礼地……」


「ほら、この国にはあるでしょう。『白の奉竜殿ほうりゅうでん』ってダンジョンが」


『白の奉竜殿』

 それはかつて、聖女と共に邪神と戦った聖竜の遺骨を葬った地下迷宮である。

 この国の神官にとって神聖な巡礼地であり、年に一度、神殿の代表者がダンジョンの深部まで入って聖竜の鎮魂と国の繁栄を祈るのだ。


「今年の御役目がクラエルになったみたいですよ。近いうち、護衛を引き連れて地下迷宮に潜るだとか」


「ほう……それはそれは。チャンスが巡ってきましたか……」


 巡礼に同行できるのは少人数の護衛のみ。

 つまり、クラエルの周りはかなり手薄になるということだ。

 あらかじめダンジョンにギャングを潜らせるなどして待ち伏せすれば、容易に捕縛することができるだろう。


「このタイミングで巡礼ね……ちょっとばかり、都合が良過ぎる気もしますがね」


 一方で、ギラエルの方は降って湧いたチャンスに懐疑的である。

 クラエルだって、自分が狙われていることくらい理解しているはず。

 それなのに……どうして、あえて火中に手を突っ込むようなことをするのだろう。


「こりゃあ、まいったなあ……」


 ギラエルが舌打ちをする。

 仮にこれが罠だとわかっていても、かなり戦力を削られているこちらとしては動かないわけにはいかない。

 これが絶好の機会であることは間違いないので、疑似餌であるとしても食いつかないわけにはいかないのである。


「……まあ、良いか」


 どうせ、ギラエルが矢面に立つことはないのだ。

 いつものように口八丁で無法者を動かして、危なくなったら逃げればいい。

 ギラエルは邪悪な笑みを浮かべて、チロリと蛇のように舌を出したのである。

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