第一話 Magical House Cleaning

 パンパン!と手を叩くと、うろうろしていた裁縫道具たちやぬいぐるみをはじめとした人形たち、埃を被った掃除道具たちがピシッ!と背を伸ばして不動の姿勢を貫く。

「みんな揃ったわね? えーでは、まずは反省会から始めましょ」

 サファイヤはソファの背もたれに手を置いて「反省のポーズ」を取る。手のあるものたちはそれに倣う。

「ええ、正論というものがあるわ。事実というものもね。でも今回ばかりは正論の方に従わなくちゃならないの。『お仕事がとっても忙しかった』は、今回はただの事実。それは、『お掃除をサボタージュしても良い』という結論にはならないわ。正論はこう!『お店は夜には閉めるのだし、そのあとすぐに趣味に走るんではなくて、少しずつでもお掃除をすれば良かった』ね? だから今日は、お店は臨時休業。家じゅう掃除して回りましょ。大丈夫! みんなで力を合わせて、協力すれば、すぐに終わるわ!」

 掃除道具たちはたいへん、やる気に満ち溢れている。サファイヤ相手では正しい使い方のみされる箒は特にやる気のようだ。バケツと雑巾、洗剤のボトルたちもうきうきと踊っている。詰め替えパックたちがその後ろで隊列を成すさまなどは実に頼もしい。

「お茶の時間には終わらせて、パパのためにケーキを買いに行きましょうね」

 サファイヤがハミングすると、髪留めのリボンがひらひら飛んできて、ぬいぐるみたちがマネキンと手を貸し合って、サファイヤの髪を束ねて、背中にも裾をたくし上げたリボンを作る。これで、掃除の準備は整った。

「〽Come my little friends as we all sing a happy little working song♪」

 スキップを踏み出すと、スタイルスタジオ「GALA」は久しぶりの大掃除に突入した。依頼に次ぐ依頼おしごと不測の事態おもしろいこと、興味深い人間界のトレンドチェック推し活など、サファイヤが忙しかったのは事実だ。長らく放置されたことに腹を立てた掃除道具たちによる直訴で、サファイヤは重い腰を上げたのだ。

「〽Cleaning crud up in the kitchen as we sing along♪ And you'll trill as cherry tune in the tub as you scrub a stubborn mildew stain♪」

 高い戸棚はマネキンが腕を外して拭いてくれる。傾いた額縁はものさしがきちんと寸分の狂いなく正してくれる。溜め込んだ洗い物の頑固な茶渋も、バスタブの細かな石鹸カスも、みんなで歌って取り掛かれば楽しいものである。そして何より、人間一人でやるより格段に早く終わるのだ。

「はあ! おしまい♪」

 ソファに座ってティーカップに手招きをするサファイヤ、に飛びついて、ぬいぐるみの一体がふるふる首を横に振る。この三分足らずで終わったことなど、店先のカウンターから見える景色程度だ。魔女の工房があちこち散らかっているのは定石だが、掃除をしていなかったサファイヤの店はひときわ汚い。

「もう! 無駄に広いんですもの、こういうときに困っちゃうのよね」

 面倒くさがりのサファイヤは、手伝ってくれる「お友達」を増やすことにした。百年単位で手つかずの倉庫を開け、年季の入ったスピーカーを何台か持ち出してくる。箒とモップとバケツが緊急事態を予測し、持ち場を大慌てで離れて倉庫に向かう。

「こうして、こう! まだ動きそうね。これで、お外のお友達も呼んでみましょ」

 少々雑音が走るが、スピーカーは問題なく作動して、サファイヤのハミングを青空に響かせる。実に良い掃除日和である。小鳥をはじめとした小動物、虫や、近隣の家々からやってきたであろう箒が大勢集まってくる。伸びに伸びた庭木のツタなどもゆらゆら、身体を揺らすようにしている。

「はじめましょ!」

 パチン!と指を鳴らす。しなやかな踊りにつられて、皆が動き出す。

「〽And every task you undertake, Becomes a piece of cake, A lark! A spree! It's very clear to see~……♪ that, a, spoonful of sugar helps the medicine go down, the medicine go down, the medicine go down♪」

 新しい音楽に喜び、「お友達」はサファイヤの掃除を手伝う。洗った食器を吹き上げて食器棚へ、可燃ゴミの袋に糸屑や端切れを、箒の列が埃を集めて回る。

「やっぱり、みんなに手伝ってもらうとすぐね! そうだわ、折角だし、伸び放題の庭木の剪定もしちゃおうかしら。ええと、それなら……〽Painting the roses red, We're painting the roses red♪」

 さて、爆音のスピーカーから流れ出る、魔力入りの歌声と、およそ一人から流されるはずのない大量の魔力が長時間に渡り響いた結果、本来はあり得ない状況なので、異常にいち早く気付いた近隣住民の迅速な通報があった。しかしこれが遅れれば、サファイヤは今頃とっくに星屑だったことは間違いない。

「あら? 急に曇ってきたわね。通り雨かしら?」

「マリーヤ! 危ない! 異邦人だ!」

「パパ?」

 怪鳥・ロック鳥(住宅街用ミニサイズ版)に変身したパパがとてつもない速さでサファイヤを乗せて飛ぶ。そこから急激に下方へ沈む景色の中に、「異邦人」の姿をサファイヤが見ることはない。できないのだ。代わりに、足場のない空中を蹴り進んできた男が、彼の背丈ほどの棒を振りかざして、サファイヤの目と鼻の先を殴りつけた。

「仕留めたぜ、デカブツ!」

 ほとんど自分が殴られたも同然の見え方をしていたサファイヤはそのまま失神してしまう。男は軽くパパの羽に触れると、指を振って地面へと降下してゆく。何かに乗っているようだが、パパにも姿は見えない。

「ご協力感謝する。あとの現場は、俺たち『トキシカ』に任せてくれ」



「異邦人!?」

 病室じゅうに響き渡る三人の魔女の声。通路にまでしっかり、漏れている。

「サフィ、おまえ……! よく生きてたな!」

「すごい前例を作ったわよ、あなた!」

「無事で何よりって言葉、似合いすぎ!」

「そうよね~びっくりしたわ! あれが異邦人事故なのね~」

 オウムのサイズから戻ろうとせずにサファイヤに撫でられ続けているパパはここにはいないものとして皆がカウントし、特に外傷らしきものは見当たらないサファイヤとの会話が弾む。個室であることとサファイヤが大魔女であるためにスルーされているが、面会時間ではない。

「いや~私たちが異邦人と出くわしたときにゃ何を思うでもなく砂粒になるモンだと覚悟してたが、運が良いなあ」

「異邦人なんてあなた、私たちからしたら天敵よ。すごいわよ……」

「エメちゃん唯一の恐怖に負けねェとかやっぱ姐さんさすがっスね」

 一般的な魔力保持者からは一切理解してもらえない会話を、その中でも指折りに理解できない立場の男が笑って聞いていた。

「まあ、事が事だったもんで、周辺からの通報が相次いでたってのと、たまたま俺たちが近辺にいたから間に合ったケースですよ。えーと……そろそろ状況の聞き出しをしたいんですが」

 得物を振り回していた先刻とはまったく違った表情で、男はポリポリ頬をかいた。暗に「関係ない魔女様方は出てってくれ」と言っているのだが、そんな遠まわしな表現が通じる彼女たちと一羽ではない。伝わっていたとしても、無視するのが彼女たちのやり方だ。

「お仕事熱心なのね。ええと、何とおっしゃったかしら?」

「ダチュラです。一応、トキシカの第一部隊の隊長をやってます」

「ああ、そうそう。いやだわあたくしったら。命の恩人に二度も名乗らせちゃった」

 異邦人対策特殊部隊「トキシカ」は、魔法界ではどんな組織より支持される、言うなれば民衆のヒーローだ。その第一部隊の隊長というのは、組織内で最高の実力を持つと言っているも同然である。有名人どころの騒ぎではない。

「いいんですよ。大魔女様が異邦人の被害に遭うなんざ、滅多にあることじゃない。そも、首都での異邦人との接触自体が珍しいんだ。俺を知ってる知らないは、別に、問題じゃない」

「こ~んなに謙虚でいらして、と~ってもお強いのよ! んもう、あたくし感動したわ! 棒きれ一本で! まああたくしたちに異邦人は影も形も見えないんだけど」

「あの棒きれが俺の得物でしてね」

 ダチュラはずっとこの調子である。あれこれ褒めそやかされても、静かに、物腰柔らかく、しかし会話は短めに切る。ミステリアスな右目の眼帯と、少しだけふわりと漂う煙草の残り香が、何人もの根強いファンを作ってきた。それは彼の意図ではないが。

「本来は現場に居合わせた方のみに聴取を行いたいんですが、まあ、折角だ。大魔女様方の事故回避にもつながりゃいいし、このままお聞きしましょうか。さて、聖母の魔女様。事故当時、お宅で何を?」

「お掃除よ。恥ずかしいんだけど、お仕事を言い訳に、長いことほったらかしにしちゃったの。で、一人じゃいくら時間があったって足らないから、お友達に手伝いに来てもらったわ」

「へえ? ああ、なるほど。あの大量の掃除用具はその手伝いの方たちが持参したもの、と。んん? だがその、お友達さんはどこに? 現場には人影は……」

「ああ、すまんダチュラくん。一般的な魔女はそんなこと考えもしないから見たことないと思うんだが、サフィはな、『歌ってお仕事』がやりかたなんだ」

 理解の追いついていない様子のダチュラに、状況再現を見せてやる大魔女たち。窓を開け、サファイヤが身を乗り出してハミングすると、ハトが群れを成してやってきた。

「みーんな、あたくしのお友達よ!」

 階下から「観葉植物が急に成長を!」とか、「点滴スタンドが自我を!?」等の悲鳴が聞こえてくるが、ダチュラは無視に務める。魔女の思考は読めない。

「……なるほど。あー、ハトは帰してやってください。じゃ、庭にあったスピーカーは何に使ってたんです? 結構、年代物でしたが」

「手が足りなくなっちゃったから、ご近所のお友達にも呼びかけたの。そうしたら、急に暗くなったから、通り雨だと思ったのよ。違ったけど!」

「あら、嫌だ。それじゃ完全に自業自得じゃないの」

「そりゃ姐さんの声量をスピーカーで大拡散したら、いくら首都には少なくたって、異邦人も吸い寄せられちまいますぜ」

 納得いかないサファイヤは、ぷーっとむくれている。

「まっ! 失礼しちゃう! 前は同じことしてもこんなことにはならなかったから、やったのよ!」

「前にもやってたんですか、そうですか……」

 ダチュラは「マッチ一本火事のもと」という人間界の名スローガンを噛みしめている。歌声一つで大災害につながりかねなかった。

「とにかく……ええと、ですね。身をもってご存知かとは思いますが、異邦人は魔女様方、魔法使い様方めがけて一直線の性質を持つ連中です。その上連中の姿は、魔力の強い方ほど見えにくいときた。大魔女様クラスになりゃあ、まるっきり見えないでしょう? なるべく、個人による大規模な魔力集中は、控えてくださいね。まさかこんな注意をする日がくるとは思ってもみなかったが……」

「はあい。お掃除は、溜め込まないようにするわ」

「それがいちばんかと」

 ここで、病室のドアがノックされた。病室内の誰かが返事をするより先にドアが開く。手芸店の紙袋を提げたタオと、付き添いのトパーズだ。

「やほーサファイヤさん! 暇つぶし用の刺繍キット持ってきたよ! あれ? え……? う、嘘だろオイ……」

 紙袋を落として愕然とするタオに「そんなに重傷じゃなくてよ」と返そうとしたサファイヤだったが、あることを思い出し、ポンと手を打つ。

「そうなのよ~! あたくしを助けてくだすったの、こちらの御方なのよ!」

「うわああ~! すっげえ~! 本物のダチュラだあ~!」

 ヒーローショーに連れてきてもらった子供のようだ、と、ほっこりした雰囲気に包まれる病室。誰も、ヒーローショーに連れてきてもらった子供を見たことはない。

「お友達さんで?」

「ええ! あーたに心底憧れているのよ。よかったら少しお話してあげて?」

「ワッ! ワァッ……! ワァ……!」

 軽く会釈をされただけで舞い上がってしまうタオ。

「どうも。俺のファン?」

「ああ! そりゃもう! オレっ、アンタに憧れて、ブルーミアに入学すんだぜ!」

「そりゃ嬉しいね。一応、教師の真似事もしてるから、もしかしたら授業で会うかもな」

「ハワ……! ハワワ……!」

 表情がデロデロに溶けそうなほど、タオは思わぬ出会いに歓喜している。

 完全な魔力無しという、魔法界ではあり得ない体質を発揮できるのは、現状トキシカのみだろう。タオはダチュラの戦いぶりを見て、トキシカ訓練校の中でもいちばんの名門「ブルーミア」の入試合格を果たしたのだった。

「それじゃ、俺は行きます。聖母殿、お大事に」

「ええ、どうも」

 去り際、ダチュラはタオに微笑みかける。

「無事に入学式で会えるのを、楽しみにしてるよ。名前は?」

「ハワワッ! あ! オレはタオ! です! サファイヤさん助けてくれてありがとうダチュラ! 応援してる!」

「ありがとうな」

 固く握手を交わすと、ダチュラは振り向きもせず去って行った。その背中をカチコチになりながら見送っていたタオだが、かくんと片膝をつくと高らかに歌いだした。

「〽い~まこそ~オレは~生まれ~かわる~!」

「感極まりすぎちゃってる」

「仕方ないですよ。タオくん、本当にあのひとに憧れて、頑張ったんですよ!」

 世間知らず、というよりは、世間を見せてもらえずに成長したタオが次に望んだものは、「何者か」というアイデンティティであった。そして、幸いなことにそれはすぐに見つかった。

「最近は、首都にもポコポコ穴空くし、そっから異邦人もワンサカ入ってくるしで、トキシカも人手不足みたいだしな。タオくんくらいの力量がありゃ、向こうさんも願ったり叶ったりなんじゃないか?」

「そうね。タオくんもいつか、棒きれで異邦人をバタバタ倒すのかもね」

 希望に満ちた目で、タオは拳を握りしめている。

「〽だれよりも~努力する~! いつも~目指して~いるのは~! そう! みんな~の最高の~ヒーロ~~~!」

「お歌を仕込んだのは正解だったわ」

「そうかあ……? これ入学式でやったらどんなことになるよ」

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