幼馴染みの母親に脅されて元女子校に入る少年の話

辻浩明

プロローグ

第0話 契機


 夏の全国大会を1週間後に控え、中学二年の中村翔太なかむらしょうたは、最後の追い込みをしていた。この大会で活躍すれば、高校野球の強豪校からスカウトされることもあるかもしれない。そうすれば目標である甲子園出場に向けて一歩近づくことになる。そのため、より一層気合が入っていた。


「よし、行くか!」


「いってらっしゃい」


「後で観に行くからな」


 母親の中村亜由美なかむらあゆみと父親の中村拓哉なかむらたくやが翔太を見送る。ちなみに今日は紅白戦であり、翔太は先発として投げることになっている。


「親父が見に来るといつも打たれるからなぁ」


「おま、気にしてることを!」


「あはは、冗談だって。まあ気楽にやるよ」


 そう言って手を振り、玄関を出た。


「あの調子なら大丈夫そうね」


「ああ。心配はしてないさ」


 いつも通りの翔太を見て二人は安心し、そんな息子を二人は自慢に思っていた。










 翔太が家を出ると見知った顔に会った。ランニングウェアを纏ったその人物は、翔太を見ると笑顔になり、声を掛けた。


「あ、おはよう翔ちゃん」


「おう、朝早くから元気だな桜」


 長く綺麗な黒髪をポニーテールに纏め、翔太に桜と呼ばれた美少女は、幼馴染みの獅子倉桜ししくらさくら。ちなみに翔太の一つ年上の中学三年である。


「まあね、動かないと体が鈍っちゃうからね」


「部活引退してんのに、よくやるよ。勉強の方は大丈夫か?」


「私は内部進学だから、受験の心配はないのさ」


「うわ、ずりー」


 へへんと胸を張るように言った。先月空手部を引退した桜は、エスカレーター式の学校に通っているため、来年はそのまま進学できることになっている。


「翔ちゃんだって、高校は推薦で行くつもりでしょう?」


「そうだけど、お前と違って試験はあるから、勉強はしなきゃいけないけどな」


 翔太はため息をつく。


「心配だったら、お姉さんがみてあげようか?」


 桜はニヤニヤしながら翔太を見る。桜は進学校に通っていることもあり、頭はいい。しかし二人は違う学校に通っているため、翔太は桜がどのくらいの学力なのかはわからなかった。


「そこまでアタマ悪くね―から大丈夫だ」


「そっかー残念」


 そしてわかりやすく肩を落とす。


「また別々の学校になるね」


「しゃーない、目指す所が違うからな」


 甲子園を目指す野球漬けの翔太と、大企業の社長である母の後を継ぐ為勉学に励む桜。二人は小学校こそ同じだったが、中学からは別々の所に通っている。前みたく、一緒に通うことは難しくなっていた。




 少し重い空気になっていたところ、桜が腕時計を見て、申し訳無さそうに言った。


「あ、呼び止めてごめん。これから試合なんだよね」


「いや、まだ時間あるし、大丈夫だ」


「よかった。私も観にいこうかな」


「恥ずかしいから辞めてくれ」


「もう、また観せてくれないの?」


 翔太は知り合いに自分の投げてる姿を見られるのを嫌がった。最近になってようやく両親だけは気にならなくなったが、桜には頑なに来ることを拒否していた。


「将来甲子園に出たら観にきてくれ」


「はあーわかったよ。早くても再来年か」


 桜は残念そうに言った。なんだかんだいって、言い付けは守ってくれる桜には感謝していた。


「じゃあもう行くわ」


 そう言って、走って立ち去った。


「今日絶対に勝ってねー」


 翔太は振り返らなかった。桜は姿が見えなくなるまで彼を見つめた。


「頑張れ、翔ちゃん」


 そう呟くと、桜はランニングを再開した。










 試合開始一時間前になり、相手校のバッティング練習が行われていた。グラウンドの周りには両校の関係者や家族が集まっていた。翔太はというと、相手選手を分析するため、ホームとは反対側の外野から見つめていた。


「こんなところかな」


 もうすぐ終わりそうなので、チームメイトのところに向かおうとした。すると、


 “カキーン”


 快音が聞こえ、歓声が上がる。翔太もすかさず高々と上がったボールを見る。


「うお!こりゃ、飛んだな」


 驚きつつもボールの行方を見つめる。そしてその先に一人の少女がいることに気付いた。しかし、その少女は誰かと話していて、ボールが来ていることに気付いていない様子であった。


「や、やべえ!」


 偶々近くにいた翔太は、彼女のもとに走り、「危ない!」と言って庇った。


「きゃあ!!」


“ボコッ‼”

 

「ぐぁ!」


 鈍い音がすると同時に、翔太が唸り声を上げた。ボールは彼女には当たらなかったものの、翔太の右肩に直撃した。


「おい、大丈夫か!」


 彼女と話していた大人が翔太達に声を掛けた。


「いってー軟式で良かったぜ」


 翔太は直ぐに立ち上がったが、ボールが当たった右肩を抑えていた。


「君!大丈夫か!」


「ええ、それよりもこの子を心配してください」


 翔太に庇われた少女は突然のことで、驚きのあまりただ泣きじゃくっていた。


「じゃあ、俺はこれで」


「ああ!ちょっと!」


 呼び止めるも、翔太はそれを無視し、チームメイトの元へとも向かった。







「大丈夫か!翔太!」


「ええ、当たった直後は痛かったっすけど、今は殆ど感じません」


 ミーティングでは先程の事件が話題となっていた。あの後、現場を見ていた人が来て、俺が肩にボールが直撃したことを報告し、打った相手校の生徒も顧問を連れて謝罪しに来た。事を大きくしたくない翔太だったが、試合前にチームのエースが怪我をしたかもしれない事態は大事になるのは仕方なかった。


「あれが硬式だったらヤバかったけど、軟式だから大丈夫ですって」


「大丈夫な訳あるか!肩だぞ肩!しかも投げる方の!」


「そーだぞ。無理して壊しましたなんてなったらシャレにならんぞ」


 監督が必死になる横で、バッテリーを組む親友の浅村龍之介あさむらりゅうのすけが冷静に言う。流石の翔太もすいませんと謝る。


「まあ、大事は大事だが、女の子を守ったことは評価する。でも今日は1イニングで交代だ」


「え?」


 先発を任されていた翔太は驚いた顔をした。そして大丈夫なのをアピールするかのように二、三度投げる素振りを見せた。


「馬鹿野郎‼拒否するなら、今日は帰ってもらうぞ‼」


「そ、そんなぁ〜」


 結局、翔太は最後の1イニングだけ投げ、三者三振で試合を締め括った。






「くっそ、病院行くのめんどくせー」


 試合後、病院に行くようにと一人だけ返され、悪態をついた。悪化するどころか、いつも以上に調子が良くなり、結果を出すことができた。翔太からすれば問題ないのをアピールできた様に思ったが、監督やチームメイトの態度は軟化しなかった。


「なんにも無かったらただじゃ置かねーぞ」


 イライラが収まらない翔太に、誰かが声を掛けた。


「あ、あの!」


 振り返ると、眼鏡をかけ、長い髪をおさげにしていた少女がいた。翔太が助けた子だった。着ているジャージから同じ学校の生徒のようであったが、学校指定の靴はデザインが翔太の物とは違うことから、彼女は三年生のようであることがわかった。


「先程はありがとうございました」


 翔太に対して綺麗なお辞儀をする。おさげの先が地面に付くほどだった。あまりに綺麗だったので、翔太は感心して見惚れてしまった。


「それに、肩にぶつけたと聞きました。私のせいで申し訳ありません!」


 一段と頭が低くなる。このままでは、土下座まてしかねないと感じ、慌てて止めた。


「いやいやいや!もういいって!それよりも君こそ怪我無かった?」


 翔太が庇ったとはいえ、地面に倒れる形となったのだ。どこか怪我してもおかしくはない。しかし彼女はそれを否定するかのように腕や脚を捲り、怪我をしていないことをアピールした。


「心配までしてくれてありがとうございます!わ、私は大丈夫です!ほら、この通り!」


「や、やめなって、こんなところで!」


 翔太は再び慌てて捲り上げたジャージをもとに戻した。


 (変わった子だなぁ)


 翔太は多少呆れながらも、怪我をしていないことについては安心した。彼女も翔太が大丈夫なのがわかると安心した様子だった。


 そしてこれ以上関わると何をしでかすかわからなかったので、翔太は立ち去ることにした。


「まあ、大丈夫そうで安心したよ。それじゃあ」


「ま、待ってください」


 まだ何かあるのかと面倒臭そうに振り向くと、


「格好良かったです」


 目を輝かせて言った。まさか褒められるとは思わなかったので、翔太は何も言えなかった。


「大会も頑張って下さい」


 満麺の笑みで言われ、思わずドキッとした。しかし恥ずかしくなったので、


「あ、ありがとう」


 と言うと、逃げるように立ち去った。しかし行動とは裏腹に、顔はニヤニヤが止まらなかった。


(やべー!か、可愛かった!)


 すれ違う人が気味悪そうに翔太を見ていたが、最早そんなのは気にはならず、ウキウキで病院へと向かうのだった。







「あ、名前聞きそびれたなぁ」


 翔太がいなくなったあと、彼女はまだそこに立ち尽くしていた。何かお礼がしたい。そう思っても学年が違うし、なかなか会うこともできない。ましてや名前すらわからないのだ。


「また会えるかなぁ」


 そう呟いた時には、翔太の姿は見えなくなっていた。

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