天使邸殺人事件

霧屋堂

第1話 20××年12月13日・出立

 今となってはもうこんな語り話に出来るほどの過去になってしまったが、私の鼻孔はあの血の匂いを、眼球は凄惨な光景を鮮明に記憶している。

 その事件は裏で絡んでいた複雑なしがらみや、かかわった人の社会的な事情があり今まで緘口令が敷かれていた。

 だが事件から数年がたち、多少ぼかしてなら話したりしてよろしいとのお許しが出たので、アーサー・コナン・ドイルにあやかってワトソン博士のように語ってみようというわけだ。

 そうすることで多少は気楽に語れると思いたいという、私の逃避に過ぎないが。


 ―――――――――――――――――――――――――――――


 その年の12月は雪が特に酷い時期で、観光には特に向かなかったと後で聞いた。

 そんな時期に私、辻島つじしま あきらは「天使邸」と呼ばれる洋館を訪れることとなった。

 当時私はデビューしたばかりの三文物書きで、作品のネタを求めて旅行をしようと考えていた。しかし、それまで出不精だった人間が旅行なんぞわかるわけもなく、ようやくついたばかりの担当編集の夏山なつやま氏に直ぐに泣きついた。これは12月1日の事だった。

「旅行ですかァ、私もあまり詳しい訳じゃないんですけどね。」

「そこをなんとか…!」

「そう言われてもなァ…あっ、そうだ。」

 なにか思いついたらしい夏山氏は自分のデスクに戻ると、ある一枚の封筒を持ってきた。

「これ、私の代わりに行ってきたらどうです?」

「なんです?それ。」

「懸賞で当たった旅行券なんですけどねェ、移動含めて13日からだったんですが予定が合わなくなっちゃって。」

 そう言って封筒を差し出してきたので受け取る。封筒は紙質がとてもしっかりとしていて、封蝋までしてある。

「懸賞のアタリにしては随分と仰々しい封筒をしてますね。どこのツアーなんです?」

「天使邸って呼ばれる孤島の洋館のツアーでしてね。2、30年振りに旅行者の受付を解禁したらしいんですよ。」

「2、30年ぶりに!そりゃあ仰々しい封筒にもなるわけか。」

「孤島だから色々独自の歴史やら文化やらあると思いますし、良い体験になるんじゃないんですかね。」

「これだけでも随分と小説のネタになりそうです。楽しんできますよ。」

 礼を言ってから出版社を出て、自分の家である安アパートに帰ってから封筒を開く。そこには手紙と旅行券があり、手紙には以下のように書かれていた。

『天使邸ツアーへご当選おめでとうございます。当ツアーでは数十年ぶりに解禁された極寒の孤島における7日間のツアーになります。独自の信仰、怪物の伝説等々、日常では体験できない文化をご堪能いただけます。』

「へぇ…」

 興味がとてつもなく唆られる文章に思わず独り言が漏れる。手紙にはその他注意事項云々が書かれており、それを程々に読み飛ばしながら下の方まで行くと、ある一文が目に入った。

『お客様は十数名の観光客の枠にたった2枠のみ儲けられた懸賞枠に当選された大変幸運なお客様です。』

「こりゃ本当に良いもんを貰っちゃったらしいな、お土産があるか分からないけど夏山さんには相当の物をお返ししないと…」

 そんな呑気なことを言いながら私は旅行カバンの準備を始めていた。


 そこから12日まで日は飛び、私は北方に向かう電車に乗ってツアーのフェリー乗り場まで向かった。

 新幹線のチケットなんて三文物書きには高すぎたし、夜行バスは腰に来るから嫌だったのだ。

 ほぼ1日かけてフェリー乗り場の比較的近くの格安ホテルに着き、そこで休憩を取った。翌朝6時半に目を覚ましてシャワーを浴びてからホテルの朝食を取り、カバンを再確認してからチェックアウトを済ませた。

 近くのバス停からバスに乗り、フェリー乗り場に着いたのはだいたい11時過ぎであった。

 フェリー乗り場には、何人かツアーの札を抱えたガイドらしき人がいた。自分のはどこだろうと探していると、一つだけ妙に格式の高そうな列を発見した。そこで掲げられている札を見ると

「天使邸ツアー 御一行様」

 と書かれている。私はそこの最後尾に恐る恐る並んだ。後ろの方から列の人間を観察すると、ほかの旅行者一向に比べて身なりの良い人が多い様に感じた。

 手紙には『懸賞枠は十数名のうちのたった二枠』と書かれていた。つまりそれ以外は何らかの形で招待されたと考えられる。何処かしらの要人やVIPだったりするのだろうか?なんて空論を頭の中で回しながら時間が来るのをひたすら待っていた。


 ふと後ろに誰かが並んだ気配を感じた。どんな人か気になった。自分の悪癖である人間観察癖である。相手から意識されないよう周りの景色を眺めるふりをしながら横目で観察する。

 自分の後ろに並んでいたのは小柄な、色白な男とも女とも取れる人間であった。革製の古めかしいスーツケースのような物を手に持っており、くたびれたトレンチコート、随分と年季が入っているように見える手袋や首に掛けた傷が数ヶ所ついているゴーグルと言った容姿だった。まるで19〜20世紀のロンドンからやってきたような風貌は、その場の誰よりも個性的であった。

 私は彼を心の中で「ホームズ」と勝手に呼ぶ事にした。別に大した意味は無いのだが非常に気に入ったのだ。

 私が心の中で勝手に満足感を得ていると、ガイドが船が来たとのアナウンスをしているのが聞こえた。それから数分して右の方からそれなりの大きさの客船が入ってきた。

 続いて乗船にあたってチケット確認を取られた。しかしながら自分とホームズは最後尾だった事もあり、船に乗るまでに5分ほどを要した。

 すっかり寒くなってしまい、半ば早歩きで指定された客船の部屋に駆け込む。そこは2人部屋のようであり、ベッドが2段になっていた。

「そういや『お客様の部屋は相部屋となっております』って言っていたっけ…」

 隣人は誰なのだろうか、少なくとも会話ができそうな人間であれば誰でもいい。隣人の荷物は見当たらないのでベッドには手をつけず、コートを脱いだり荷物を整理したりしていると、船が出発したのを感じた。まだ隣人は来ないのだろうか、と思っていると唐突にノックの音が聞こえる。

「はい?」

「ここの相部屋の者なのだが、鍵がなくて入れないんだ。入れてくれないか?」

「ああはいはい、今開けますよ。」

 急いでドアに向かい、鍵をひねる。自分が開けてぶつけてしまうといけないので声をかける。

「開けましたよ。」

「ありがとう、わざわざすまない。」

 ぶつからないようにドアから離れると、ドアノブが捻られドアが開く。

 ドアの向こうにいたのは、先程自分が「ホームズ」と勝手に呼んでいた人物であった。

「あれ、君は僕の前に並んでた人じゃないか。妙な巡り合わせもあるものだね。」

 彼、もしくは彼女はこちらを見るやいなやそう言い放った。

「お、覚えてたんですか?」

「乗客の背格好や服装は何となくね、君は顔まで見えたからより覚えてた。」

 部屋に入って荷物を整理しながら彼、または彼女は淡々と返答する。ふとなにかに気づいたらしくこちらをむくと

「そういや自己紹介をしないのは不躾だったね。僕は杏崎、杏崎きょうさき ときだ。好きに呼ぶといいよ。」

「ええと、自分は──」

「辻島 彰だろう?チケット確認の時に聞こえたよ。」

「ほんとに記憶力が良いんですね…」

「それぐらいしかあの時やる事が無かっただけだよ。」

 それからしばらくは互いの事を話していた。ホームズこと杏崎は東北地方のとある大学の3年であり、土着文化に関する研究を専攻しているらしい。

 杏崎も私と同じように、このツアーはお世話になっている教授からチケットを譲って貰い参加したとの事だった。その教授も懸賞で当てたというところまで一致しており。偶然とは思えないほど状況が似ていたものだから驚いた。

「なぜ部屋に来るのが遅かったんです?」

「この船を見ておきたくてね、あちこち探索をしていたんだ。」

「へぇ、そんなに面白いものですか。」

「それが意外と面白いんだ。君も物書きなら様々な事をよく見るのは大事だよ。」

「はは…人間観察なら癖になってるんですがね。」

 そんなことを話しているうちに、アナウンスで夕食の支度が整った旨が伝えられた。

「もうそんな時間か、確かビュッフェ形式なはずだから早めに行かねば。」

 そう言うと杏崎はそそくさとものを整え、部屋を出てしまった。

「忙しい人だな…」

 そう思いながら自分も腹が空いていたので手早く荷物を整えると、鍵を持って自室を出た。

 その後のビュッフェは海鮮系の料理が多かった事は覚えているのだが、途中で酒が軽く入ってしまったためにあまり覚えていない。ただまぁ非常に美味しかったことは確かである。


 翌朝起きると、己の体は下段のベッドに沈み込んでいた。

 軽い頭痛を感じながら部屋の冷蔵庫に備え付けてあった水を飲み、意識を覚ます。ふと上段のベッドを見ると、ミノムシのように布団に丸まっている杏崎の寝姿があった。少々面白かった為に、吹き出して迷惑をかけないよう堪えるのが大変であった。

 そのうち朝食のアナウンスが入り、それと同時に杏崎は跳ね起きた。

「はて、ひふか……(意訳:さて、いくか)」

 と呂律の回らない声を出しながら、夕食の時のようにさっさと行ってしまった。

 私は酒のせいによる頭痛に苛まれていたのでゆっくりと向かったのであった。


 オムレツやら生ハムやらを程々に腹に入れ、頭痛薬を飲んで部屋でゆっくりとしていると再びアナウンスが入る。

「本船はあと五分ほどで島に到着いたします。」

 そろそろ着くのか、部屋の窓から島が見えたりしないだろうかと思い窓を覗くが見えるのは海だけであった。

「僕達の部屋の側からは島は見えないよ。」いきなり背後から声が聞こえたので驚いて振り返ると、杏崎が近づいてきていた。

「あちゃあ、写真にでも撮っておきたかったんだけどなぁ。」

「極寒の孤島だから外観はあまり綺麗なものでは無いよ。」

「その方が雰囲気はあるじゃあないですか。不気味で。」

「そういうものなのか、作家センセイの見識はまた違うね。」

「センセイはやめてくださいよ、まだ短編数個の三文物書きなんですから。」

 杏崎はカラカラと笑いながら自分の荷物の整理に入り始めた。

 私も窓の海一面から目を離してデスクに散らかっている仕事道具やらをしまい込む。

 荷物を整理し終わり忘れ物の点検を終えた辺りにもう一度アナウンスが入った。

「本船は無事着港いたしました。これより下戦準備に入ります。」

 また最後尾になって待たされるのが嫌だった私と杏崎は、さっさと下船口付近に向かい、準備が整うのを待っていた。

 5分ほどしてまたアナウンスが入り、下船準備が完了した旨が伝えられると同時に私達は下船口に1番に並んだ。

 再びチケットを確認された後ようやく下船できるようになった。眩しい外の光に目を細めながらタラップを降りると、冷たい風が頬を掠める。

 ようやく目が慣れて眼前に映し出されたのは、凍土とも言うべき広大な自然であった。そしてそこに一際存在感を放つ洋館と呼ぶには巨大な、まるで城のような建物が建っていた。

「あれが、天使邸……」

 それが、これより始まる惨劇の舞台であった。

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